大塚啓二郎『なぜ貧しい国はなくならないのか』

 シカゴ大学ノーベル経済学賞を受賞した農業経済学者のセオドア・シュルツに学び、その後も開発経済学、農業経済学の分野で活躍している著者による開発経済学の入門書。
 サックスとイースタリーの論争や、アビジット・V・バナジーエスター・デュフロ『貧乏人の経済学』など、開発経済学は経済学のホットなトピックの一つとなっています(先日紹介したレイモンド・フィスマン+エドワード・ミゲル『悪い奴ほど合理的』開発経済学の本でした)。


 しかし、著者はこの本でサックスの『貧困の終焉』とイースタリーの『傲慢な援助』、そして『貧乏人の経済学』をとり上げ、それなりの意義を認めつつも(サックス対イースタリーではどちらかというとイースタリーに共感している)、「この3冊の書物に共通している欠陥は、経済発展のメカニズムについての分析が皆無であることだ」(111p)と手厳しく述べています。
 そしてこれらの本は「開発経済学」の本ではなく、開発経済「論」だとするのです。
 

 では、この本が意図する開発経済学とはいかなるものなのか?目次は以下の通りになっています。

第I部 何が問題なのか?
第1章 開発経済学とは何か?
1-1.まず定義からはじめよう
1-2.所得の国際比較
1-3.所得と「人生の質」の指標
1-4.所得と貧困
1-5.基本的視点と本書の構成
1-6.まとめ

第2章 貧困は減っているか?
2.1 貧困者はどこにどれだけいるのか?
2.2 貧困の構造を考えよう
2.3 人口の年齢構成と貧困
2.4 就業構造と貧困
2.5 どういう人が貧困か?
2.6 貧困と所得分配
2.7 まとめ

第3章 なぜ貧困を撲滅できないのか?
3.1 ストックの蓄積には時間と金がかかる
3.2 援助が足りないのか?
3.3 効果的な開発戦略がわかっていない
3.4 最近話題になった開発経済「論」
3.5 まとめ

第II部 何が起こっているのか?
第4章 飢餓は是が非でも避けたい
4.1 経済発展と農業問題
4.2 アジアとアフリカの食糧問題
4.3 熱帯アジア:絶望的食糧不足から食糧増産へ
4.4 アフリカ:慢性的食糧不足から脱却するチャンス
4.5 アジア農業の未来
4.6 世界の穀物のマーケットはつながっている
5.7 まとめ

第5章 東アジアから何を学ぶか?
5.1 製造業の国際競争は厳しい
5.2 中国は元気、日本は元気がない
5.3 東アジア型の経済発展の秘訣
5.4 アフリカは停滞から抜け出せるか?
5.5 まとめ

第III部 してはいけないこと、しなくてはいけないこと
第6章 途上国がしてはいけないこと
6.1 これまでのような農地改革
6.2 大規模農業支援
6.3 むやみな社会林業
6.4 性急な重化学工業化
6.5 大企業支援
6.6 高い最低賃金
6.7 まとめ

第7章 途上国が「豊か」になるためにすべきこと
7.1 どの産業も発展戦略の基本は同じ
7.2 アフリカの農業開発戦略
7.3 製造業の発展戦略
7.4 近代的サービス産業の発展
7.5 農業国から工業国へ
7.6 誰が何をすべきか?

第8章 世界がもっと真剣に取り組むべきこと
8.1 MDGsからSDGs
8.2 気候変動と被害の予測
8.3 環境クズネッツカーブはあてにならない
8.4 気候変動の元凶
8.5 途上国は積極的に世界の枠組みに参加を
8.6 むすびにかえて――「持続的」発展の設計図

 この目次を見ると内容的にかなり盛り沢山であることがわかると思います。
 第I部は経済学における貧困や開発へのアプローチの仕方と現状認識について。
 途上国における貧困については意外と漠然としたイメージを持っている人が多いと思うので、この本でのさまざまなデータに基づく分析にはいろいろな発見があると思います。
 例えば、41ページの表では1990年前後には全世界で15億人の貧困者(1日1.25ドル以下の所得)がいましたが、2010年前後には8億7000万人程度にまで減っています。
 この大きな貧困の減少は何によってもたらされたのか?答えはズバリ中国です。
 「20年間で貧困者の総数は約6億5000万人減ったのだが、中国だけで5億3000万人も減っている」(42p)のです。中国の経済成長の凄さというものを改めて感じさせますし、1990年前後の中国はまだ明らかに「貧しい」国だったことがわかります。
 一方、アフリカでの貧困者数はむしろ増えています。


 他にも、第3章の「なぜ貧困を撲滅できないのか?」では、経済成長には人的資本、物的資本、インフラ、社会関係資本、知的資本などのストックの蓄積が欠かせないとして、これらの差をいくつかのデータを使って示しています。
 その中でも各国の特許申請件数(92p)の違いは強烈で、2010年のデータで日本が34万件、中国が39万件に対してエチオピアやナイジェリアやネパールはゼロ。技術の蓄積がまったくもって違うレベルであることがわかります(もちろん制度的な要因もあるのでしょうけど)。


 そして第3章の後半から、いよいよ「どうしたら発展できるのか?」という話に移っていくのですが、著者がまず基本に据えるのが農業です。
 著者は「緑の革命は、歴史上産業革命に次いで最も重要な革命的技術変化である」(102p)と述べ、アフリカでの緑の革命の進展がアフリカを経済成長させ、貧困から抜けださせるためのキーポイントと見ています。


 1960年台からの緑の革命によってアジアでは、作付面積はほぼ横ばいにもかかわらずコメの生産量が増えています。これは品種改良や灌漑施設の整備によって収量が増えたためで、これによってアジアは飢餓を回避出来ました。また、「実は緑の革命は、農民を潤したというよりは、コメの価格の下落を通じて消費者を潤したのである」(127p)という指摘も重要でしょう。
 一方、アフリカではその緑の革命の成果がなかなか出ていません。アフリカでもコメや小麦に関しては徐々に収量が伸びていますが、アジアには後れを取っています。著者はコメこそがアフリカの食糧事情を改善する作物になると考えており、アジアの技術を移転することによってコメの収量を大幅に伸ばしていくことも可能だと見ています。
 そして、最後にアジアの国々で農家の経営規模が縮小傾向にあることに警鐘を鳴らしています。アジアでは賃金が上昇しつつあるのに、いまだに労働集約的な小規模農業が行われているのです(これは日本にもズバリあてはまる)。


 工業に関しては、著者はいわゆる「雁行形態論」でいくしかないと考えています。
 ほとんどの国が、労働集約的産業→資本集約的産業→知識集約的産業の経路で発展しており、いかに先進国へキャッチアップしていくかがポイントになるとしています。
 この本ではバングラデシュのアパレル産業とエチオピアのアパレル産業がとり上げられており、バングラデシュでは韓国の大宇社の研修を受けた人々が次々と独立し、今のアパレル産業の基礎を築いたこと、エチオピアのアパレル産業は後れを取っているが、海外に学んだ仕立屋出身の企業が好成績を収めていることなどが紹介されています。
 海外の技術や経営ノウハウを上手く模倣することこそが、途上国の経済発展の鍵になるのです。
 ちなみに、世界全体で製造業に従事する労働者数が、ここ20年ほど大きく変化していないことを示すグラフ(150p)も興味深いです。つまり、どこかの地域が工業化に成功すれば、どこかの地域で工業が衰退しているのです。


 また、本書で興味深いのは第6章の「途上国がしてはいけないこと」です。
 ここでは、 「小作地を地主から没収して小作人に移譲する」、「近代的な大型機械を導入し、大規模農家を維持発展させる」、「農民が共同で管理する『社会林業』で森林を守る」、「大企業を優先して重化学工業を育成する」、「最低賃金を高く設定する」といったことが、「途上国がしてはいけないこと」としてあげられています。
 少し経済学を学んだ人ならば、最低賃金や重化学工業化については「筋が悪い」と思うでしょうし、「社会林業」についてもいわゆる「共有地の悲劇」を思い起こす人がいるかもしれません。ただ、農地改革や農業の大規模化などについては、「やるべき」と考える人が多いでしょうし、実際に多くの途上国で取られている戦略になります。

 
 これに対して著者は、農地改革は上手くやらないとかえって貧困をもたらすとしています。
 フィリピンやインドでは農地改革にともなって小作人を追放し、小作人を農業労働者に置き換えたり、毎シーズン小作人を交替させたりしました。一般的な小作人は借り物とはいえ農地を管理し、農業経営をする主体ですが、農業労働者となるとそうはいきません。結果、農業の生産性が低下してしまったというのです。
 また、農業の大規模化については、農業は家族経営が基本であり、スケールメリットはなかなか働かないといいます。実際、「南アジアやアフリカの途上国では3-5ヘクタール規模の中規模農家と、1-3ヘクタール規模の小規模農家を比較すると、後者のほうが収量が高い」(182ー183p)そうです。これは「農家規模と生産性の逆相関」と言われる現象です。


 続く第7章では今までの知見を活かした具体的な開発戦略の道筋を、そして第8章では地球温暖化問題がとり上げられています。
 このように盛りだくさんの内容の本ですが、「入門書」として書かれているだけに読みやすしですし、経済学的な考えについてもコラムに上手くまとめられていて、難しさは感じないと思います。
 冒頭に上げた海外の華々しい著作に比べると派手さはないかもしれませんが、その分、よりトータルに貧困や開発といった問題を捉えることができる良い本だと思います。


なぜ貧しい国はなくならないのか 正しい開発戦略を考える
大塚 啓二郎
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