坂野潤治『〈階級〉の日本近代史』

 帯には「軍国主義台頭の最大の理由は、社会的不平等だった!」との文句。
 『日本近代史』ちくま新書)などで知られる坂野潤治が、「戦前の民主主義はなぜ崩壊してしまったのか?」という問題に迫った本です。
 結論を先取りして言うと、戦前の政党が「平和と自由」という要素を重視しながら、民主主義にとってもう一つの重要な要素である「平等」を軽視したことが、戦前の民主主義の崩壊につながったというのが著者の考えになります。


 この本の「はじめに」の部分では、1937年の日中戦争から1945年の終戦までの間に小作農の生活が改善され、ついには自作農になった事例が紹介されています。
 日中戦争から8年続いた戦時下の時代は、人々が抑圧された「暗い時代」としてイメージされがちですが、同時にある種の「平等」を実現するための政策が行われた時代でもあります。例えば、1941年に国民学校令が出され、義務教育はそれまでの6年から8年とされました(なお、昭和19年度から実施されることとなっていた8年の義務教育は、戦時非常措置により、延期されたまま終戦)。
 このように軍国主義の中で、一部分にしろ「平等」を目指す政策が展開されたわけですが、それが政党政治にはなぜ出来なかったのか?というのが著者の問題意識になります。


 ご存知のように、大日本帝国憲法発布後に行われた第1回衆議院議員総選挙は直接国税を15円以上納めている男子のみに投票権のある選挙で、そこで選ばれたのは一定以上の階層、具体的に言えば地主層の代表でした。
 彼らが自由民権運動において掲げたのが「地租の軽減」であり、それは初期の議会でも民党によって繰り返し主張されました。しかし、「地租軽減」を成し遂げるためには、「経費の節減」が必要であり、これは軍備拡張を目指す政府の考えとは真っ向から対立するものでした。この対立は日清戦争をきっかけに緩和されますが、それでも根本的な対立構造は残ることになります。


 著者は、この時3つの道があったといいます。1つ目は選挙法を変えて地主以外の層にも選挙権を広げて地租増徴を目指す方法、2つ目は軍備の拡張を抑えること、3つ目は地租ではなく酒税や煙草税などの大衆課税によって税収を確保する方法です。日本で初めて誕生した政党内閣である第1次大隈内閣(隈板内閣)が選んだのは結局、この3つ目の「邪道」(59p)でした。富裕層を代表する政党内閣は自分たちよりも下の階層に負担を押し付けることでこの対立を乗り切ったのです。
 この後、政党は「経費節減」よりも「積極財政」を求めるようになり、利益誘導と政府への協力というスタイルを星亨や原敬が完成させていくことになります。


 しかし、この地主たちの民主主義は大正時代に大きく揺さぶられることになります。都市化の進展とともに選挙権の拡張、さらには普通選挙を求める声が強まってきます。政友会の原敬は、今までの政友会の地盤を守るために普通選挙導入に慎重でしたが、憲政会は新たな地盤を求めて普選導入へと舵を切り、1925年には普通選挙法が成立しました。
 けれども、この普通選挙実現の立役者でもあった憲政会(民政党)はリベラルな政党であると同時に「小さな政府」を目指す政党でもありました。著者はこのことについて次のように述べています。

 筆者が机上で考えれば、労働組合に好意的なリベラルな政党が「積極財政」を採用すれば、普通選挙制という政治改革が、都市中間層と労働者の増大という社会変動を吸収できたと思われる。しかし、当時はもとより、2014年の今日でも、リベラル政党は何時も「小さな政府」をめざす。戦前の憲政会=民政党然り、戦後の日本社会党民主党また然りである。反対に保守政党は、戦前の政友会から戦後の自民党まで、これまた一貫して「大きな政府」をめざしてきた。(109p)


 世界を見れば、あるいは日本でも時期によっては「リベラル政党は何時も「小さな政府」」を目指すというわけではなく、むしろ逆な場合が多いわけですが、確かになぜか日本のリベラルは「小さな政府」を志向することが多いです。
 また、労働組合も組合員の生活が悪化する可能性があるにもかかわらず、労働関係の法整備を期待して戦前は民政党を、そして近年は民主党を支持しました。で、戦前も近年も見事に景気は悪化したのです。


 普通選挙とともに生まれた無産政党は得票を伸ばせず、昭和初期の日本の政治は「平等」や「景気」への配慮を欠いたまま進んでいきます。そこに「平等」志向の受け皿として登場したのが軍部でした。
 また、思うように得票を伸ばせなかった無産政党社会大衆党も労働者や農民、資本家や軍部の代表が集まる「国民経済会議」の実現に期待を持つようになります。これに乗っかったのが陸軍の統制派の永田鉄山や「新官僚」で、岡田啓介内閣のもとで「内閣審議会」と「内閣調査局」が設置されます。しかし、これらの会議のメンバーとなったのは労働者や農民の代表ではなく、財閥の人間でした。


 結局、「平等」という理念がきちんと目指されないままに戦前の民主主義は終焉してしまいました。そして、日中戦争勃発以降の総力戦体制のもとで「社会的平等」が重視されていくことになります。戦争が格差の是正や社会変革をもたらしたと言える面もあるのです。
 ただ、著者はだからといって戦争を受け入れることは出来ないといいます。
 1937年の総選挙で社会大衆党は38名を当選させ、第3党に躍進します。著者はここに期待をかけ、もし議会選挙が続いていたら選挙のたびに社会大衆が議席を増やし、戦争なしでの「平等」の実現が可能だったのではないか?と「おわりに」で述べています。
 さすがにこれは甘い想定だと思いますし、社会大衆党自体がいち早く大政翼賛会に加わるような右傾化した党であったので、社会大衆党が躍進したからといって社会状況がよくなったとも思えません。


 けれども、この本は日本の民主主義の問題点を歴史から鋭く突いている本だと思いますし、現在とつながった歴史を語った本です。けっこう大雑把なところもあるので、出てくる数字などは割り引く必要があるかもしれませんが、日本の民主主義の問題点をざっくりと掘り出してみせた本になっていると思います。
 

〈階級〉の日本近代史 政治的平等と社会的不平等 (講談社選書メチエ)
坂野 潤治
4062585898