コルム・トビーン『マリアが語り遺したこと』

母マリアによるもう一つのイエス伝。カナの婚礼で、ゴルゴタの丘で、マリアは何を見たか。「聖母」ではなく人の子の「母」としてのマリアを描くブッカー賞候補となった美しく果敢な独白小説。

 本の帯の説明にはこのように書いてありますが、まさにこの通りの内容。
 著者のコルム・トビーンアイルランド生まれの作家。以前読んだ『ブルックリン』が面白かったので手にとってみました(訳者が栩木伸明というのも個人的には信用できる)。
 『ブルックリン』は、カバー裏のあらすじで小説の内容がほぼ書かれてしまっていたにもかかわらず、ストーリーに引き込まれる小説でしたが、この小説も結末はだれでも知っているキリストの死になります。
 

 小説の冒頭、二人の男がマリアの元を訪れ、息子イエスの生涯や死の様子についていろいろとマリアから聞き出そうとしています。この二人の男の名前は明示されませんが、「訳者あとがき」にも書いてあるように、おそらくはヨハネパウロなのでしょう。
 彼らのひとりは「私の語って聞かせる話が、彼が勝手に決めているものさしと合わないと、いかにも不満げに顔をしかめ」(8p)ます。
 その二人に対してマリアはこんなふうに語りかけます。

 息子の周りには、世の中と反りが合わないひとたちや、息子と同じひとりっ子や、父親のいない男や、女の目を真っ直ぐに見られない男たちが集まっていた。ひとり笑いする男や、若いのに老成した男たちがね。(中略)私の息子ははぐれ者たちを集めていた。自分だけは全然はぐれ者じゃくて、何でもできる子だったんだけど。ひとりで静かにしていられる子だった。ひとりぼっちで楽しく過ごすなんて誰にでもできることじゃないのに、あの子は平気だった。(13ー14p)

 

 この小説の中でマリアの目を通して映るイエスというのはこんな感じです。
 もちろん、これは作者が考えうる客観的なイエスの姿というものではなく、あくまでもひとりの母親であるマリアの目を通したイエス像であり、この小説の中でも、マリアの考えるイエスと実際のイエスとの行動の間にはズレがあります。
 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書の内容が微妙に違っているように、この小説もひとつのバリエーションのひとつであり、「真のキリスト」を描いたものではありません。


 もともと、この小説は一人芝居の台本として執筆されたものであり、120ページちょっとの短い本です。
 そのために小説としての「厚み」のようなものはありませんし、また、やはり聖書を読み込んでいないとピンと来ない部分もあります。
 ただ、一時期は神父になろうとすら考えながら、「教会はある時期から、多くの女性や同性愛者にとっては、威張り散らす者たちが幅を利かす場所でしかなくなってしまいました」(訳者あとがきで紹介されているインタビューの一節 138p)と言う著者による、キリスト教への批評的な眼差しというものは魅力的です。また、訳文もよみやすいです。


マリアが語り遺したこと (新潮クレスト・ブックス)
コルム トビーン Colm T´oib´in
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