呉座勇一『戦争の日本中世史』

 源平合戦から応仁の乱まで、中世の二百年間ほど「死」が身近な時代はなかった――。手柄より死を恐れた武士たち、悪人ばかりではなかった「悪党」、武家より勇ましいお公家さん、戦時立法だった一揆契状……「下剋上」の歴史観ばかりにとらわれず、今一度、史料をひもとき、現代の私たちの視点で捉え直してみれば、「戦争の時代」を生きた等身大の彼らの姿が見えてくる。注目の若手研究者が描く真の中世像。

 これが裏表紙に載っている本書の紹介になりますが、本書の内容とはちょっとずれていると思います。
 またサブタイトルは「「下剋上」は本当にあったのか」ですが、「下剋上」のぞんざいを否定する本でもありません。
 では、どんな本なのか?

 
 まず、時代的には元寇から南北朝の動乱の時代が中心になります。
 元寇南北朝の動乱も多くの人が知っている事柄だと思いますが、よくテレビドラマ化され関連書籍も多い源平合戦や戦国時代に比べると、イメージは湧かないと思います。
 「あとがき」で、著者も「中世の戦争を取り上げようと思ったのは、この分野の研究が一番遅れているからだ」(333p)と書いているように、この時代について書かれた一般書というのもあまり思い浮かばないですし、そういった意味でまずは知識の空白を埋めるためにもってこいの本です。


 次に、「「下剋上」は本当にあったのか」について。
 先ほど述べたように、この本は下剋上を否定している本ではありません。ただ、戦後の歴史学が濃厚に持っていた「階級闘争史観」によって組み立てられた「下剋上中心の歴史」に対しては異議を唱えています。
 今までの戦後歴史学では、マルクス主義の影響が強かったため、下の階級が上の階級を打ち倒すというストーリーが好まれていました。
 この鎌倉末期から室町にかけての時代だと、まず既存の鎌倉幕府の秩序に歯向かう悪党が出現し、鎌倉幕府が打倒され、朝廷中心の復古政治を狙った建武の新政も時代の変革を求める人々に打ち倒させる。さらに、室町幕府と各国を任された守護に対しては、国人たちや惣村を組織した農民たちが抵抗し、中世的な秩序を解体していくというようなストーリーです。


 これに対して著者は、悪党が必ずしも「反対制」ではないこと、建武の新政から南北朝の動乱を「武家」対「公家」の戦いとして捉えることが必ずしも適当ではないこと、惣村の武装化が守護に対向するためとは限らない事などを指摘し、一元的な「階級闘争史観」に意義を唱えています。
 

 そうした検討を行いながら、南北朝の動乱を一つの画期として、そこに武士たちの考えや行動の変質を見ているのが本書の大きな特徴です。 
 足利尊氏の足跡を見てもわかるように、武士たちが日本を西へ東へと転戦したのが鎌倉幕府の滅亡から南北朝の合一までの時代です。
 地図に示された彼らの行動を見ると、破れかぶれにも見えたりするのですが、従軍していた武士たちにとってこの大遠征は大きな負担だったはずです。食糧や馬や武器などを調達する必要もありましたし、何よりも見知らぬ土地で戦死する可能性もありました。
 また、惣領が遠征することで元の所領の守りは手薄になり、周囲の武士から侵略を受け、所領を失うこともありました。
 このような武士の「大変さ」を、この本では数々の史料を引用しながら明らかにしていきます。


 そして武士の間には厭戦気分が広がり、徐々に大規模な遠征は難しくなっていきます。京都では絶対的な権力を誇示した足利義満も、地方支配に関しては妥協しており、義満といえども大規模な地方遠征はそう簡単にできるものではなくなっていたのです。
 

 このように、この本では一見わかりにくい中世の武士たちの行動を現代にも通じるサバイバルとして読み解いていきます。
 中世の歴史の大まかな流れが頭に入っていないとわかりにくい部分もありますが、全体的に読みやすい文章になっており、武士たちの変化を追っていくことができるはずです。
 ただ、中世の武士の行動が現代にも通じるというのはその通りだと思いますが、同時に中世の人々には清水克行『喧嘩両成敗の誕生』で紹介されたような、現代人には考えられないキレっぷりがあります。
 この「現代人と中世人の違い」について、もう少しフォローしてあるとさらに良かったかなと思いました(著者は足利尊氏をそれなりに合理的な人物として描いているけど、やはり「変な人」だったと個人的には思っています)。


戦争の日本中世史: 「下剋上」は本当にあったのか (新潮選書)
呉座 勇一
4106037394


喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)
清水 克行
4062583534