ダニヤール・ムイーヌッディーン『遠い部屋、遠い奇跡』

 パキスタン人の父親とアメリカ人の母親の間に生まれ、子ども時代はパキスタンで暮らし、アメリカで高等教育を受け、パキスタンの農場に戻り小説を執筆したという経歴を持つ著者の短篇集。
 この短篇集に収録されている「甘やかされた男」はオー・ヘンリー賞を受賞しており、また、この短篇集自体も全米図書賞やピューリッツァー賞の最終候補になるなどずいぶんと評価されているようです。


 訳者の藤井光は、メキシコ出身のサルバドール・プラセンシア『紙の民』(傑作!)、レバノン出身のラウィ・ハージ『デニーロ・ゲーム』、ペルー出身のダニエル・アラルコン『ロスト・シティ・レディオ』ユーゴスラヴィア出身のテア・オビレヒト『タイガーズ・ワイフ』、あるいは韓国系アメリカ人のポール・ユーン『かつて岸は』など、外国にルーツを持ちながら英語で執筆をしている作家を集中的に訳している印象がありますが、このダニヤール・ムイーヌッディーンも生まれはアメリカなのですが、そうして系譜に連なる作家といえるでしょう。


 また、藤井光は他にもウェルズ・タワー『奪い尽くされ、焼き尽くされ』、ロン・カリー・ジュニア『神は死んだ』など、ひたすら殺伐、荒涼としている世界を描く作家たち(これは最近のアメリカ文学の一つの流れなのかなと思う)の作品も訳しています。


 そしてこのダニヤール・ムイーヌッディーン『遠い部屋、遠い奇跡』はこちらの流れも受け継いでいる小説でもあります。
 文章は端正で、古典的とも言えるような優雅さがあり、ウェルズ・タワーやロン・カリー・ジュニアとは真逆です。しかし、どの短編も最後まで読むと、そこに残酷さ、救いのなさといったものが潜んでいます。
 

 例えば、表題作の「遠い部屋、遠い奇跡」。
 大地主K・K・ハールーニーのもとに没落した名家出身の若い女性フスナーがやってきて仕事の紹介を求め、そのフスナーの瑞々しい若さに惹かれたK・K・ハールーニーは彼女を愛人に迎えます。
 若い女性と死につつある富豪の恋が描かれるこの作品は、フスナーの心の動きや変化を見事にとらえており、「古典的」とも言っていい佇まいを持っています。
 ただ、ラストの切り方が酷薄。ハッピーエンドで終わるような設定でないことは最初からわかりますが、それにしても物語の終わりは想像以上に荒涼としています。


 パキスタンといえば、最近ではマララさんの襲撃事件などに代表されるイスラム原理主義グループを思い出し、イスラムの教えに厳しく支配された社会のようなものをイメージするかもしれませんが、この小説で描かれるのは圧倒的な貧富の差と、その中でコネがすべても言えるような社会の仕組みです。
 この本は、「遠い部屋、遠い奇跡」に出てくるK・K・ハールーニーとその一族、使用人たちが織りなす連作短編となっていて、K・K・ハールーニーの一族に代表される上流階級と、そのもとではたらく使用人たちの世界が描かれています。
 

 そんな中で、ある使用人はK・K・ハールーニーの一族や上級の使用人の知己を得てその暮らしを改善させ、ある使用人は上流階級とのつながりを失って没落していきます。
 こうした関係はもろく気まぐれで、それがこの小説の登場人物たちを過酷な運命へと突き落とします。
 そして、その運命を丁寧に、また冷徹に描いていくのがダニヤール・ムイーヌッディーンの特徴になります。
 少しオー・ヘンリー的な出来すぎ感を感じる部分もありますが、なかなか力のある小説家であり、また見事な短篇集だと思います。


4560090378遠い部屋、遠い奇跡 (エクス・リブリス)
ダニヤール ムイーヌッディーン Daniyal Mueenuddin
白水社 2014-12-14

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