サミュエル・R・ディレイニー『ドリフトグラス』

 国書刊行会未来の文学>シリーズの最新刊は、サミュエル・R・ディレイニーの全中短編を網羅する決定版コレクション。
 全中短編を網羅しただけあって、付録の年表なども含めれば580ページ近いボリューム、しかも二段組。引っ越しでバタバタしていたせいもあって読み終えるのに一ヶ月以上かかかりました。
 ディレイニーはさらにすごいボリュームだった『ダールグレン』も読んでいるんだけど(『ダールグレン』も1月以上かかった)、それに比べるとボリュームがあるとはいえ中短篇集なのでとっつきやすいと思います。


 収録作で個人的に面白かったのは「スター・ピット」、「コロナ」、「われら異形の軍団は、地を這う線にまたがって進む」、「時は準宝石の螺旋のように」、「エンパイア・スター」といったところ。
 ディレイニーは短い作品よりも、中編くらいのほうがしっくりきますね。
 「スター・ピット」、「コロナ」、「時は準宝石の螺旋のように」は、いずれもノーマルな人間を超えた「超人」が描かれているのだけど(「時は準宝石の螺旋のように」の「シンガー」は「超人」とは言えないかな?)、そうした「超人」と特殊な能力を持たない人との関係、あるいは特殊な能力を持つゆえの哀しみ、そういったものが非常に上手く描かれています。
 逆に「われら異形の軍団は、地を這う線にまたがって進む」は、文明を拒否した「落ちこぼれ」的な人々の話。ヒッピーの末路を見るようでもあるこの作品でも、じりじりと居場所を失っていく者たちの哀しみが伝わってきます。


 そして「エンパイア・スター」。やはりこれが最高傑作ということになるでしょう。
 ある惑星に住んでいた若者が「宝石」(ジュエル)を見つけ、その「宝石」がもつメッセージをエンパイア・スターに届けるというストーリーの中で、単観(シンプレックス)、複観(コンプレックス)、多観(マルチプレックス)という著者独自の用語を使って若者の成長と、円環的で壮大な話の構造が明らかにされます。


 単観(シンプレックス)、複観(コンプレックス)、多観(マルチプレックス)というのは、一種の能力なのですが、超能力のようなものではなく誰もが獲得しうるものです。
 物事を一面からしか見れない、あるいは一つの判断基準でしか見れないのが単観(シンプレックス)なのに対して、物事を多面的に見て複数の判断基準に照らして判断できるのが多観(マルチプレックス)です(複観(コンプレックス)はその中間)。
 これは一般社会でも必要な能力であると思うのですが、これについてディレイニーはこの小説の中で「多観(マルチプレックス)意識とはつねに、質問をしなければならないときに質問をするものなのさ」(503p)と、面白い表現をしています。


 さらに、この小説にはルルという奴隷が出てきます。このルルに接するものは強烈な悲しみを感じずに入られないが、この宇宙の文明の多くはルルの奴隷労働によって築かれたものであり、人々はそのルルの力に頼っています。
 この設定から当然、ディレイニーが黒人であることを思い出すわけですが、実際、この小説は奴隷解放の物語としても読めると思います。しかし、解放への道は容易ではありません。その道程の長さをこの「エンパイア・スター」は、神話的な形で示すのです。


 気軽に手を出せる本ではないかもしれませんが、値段と読む時間に釣り合うだけの中身は十分にありますし、「エンパイア・スター」といくつかの短編だけでも十分に元は取れるのではないでしょうか。


ドリフトグラス (未来の文学)
サミュエル・R・ディレイニー 浅倉久志
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