丸川知雄・梶谷懐『超大国・中国のゆくえ4 経済大国化の軋みとインパクト』

 『現代中国の産業』『チャイニーズ・ドリーム』などの著作で、勃興する中国経済の現場に切り込み、ミクロ的な視点から今までの経済の常識をくつがえす中国の姿を描き出してきた丸川知雄と、『現代中国の財政金融システム』で急成長する中国経済のマクロ的な変化と問題点を冷静な筆致で指摘し、『「壁と卵」の現代中国論』では、中国の経済問題をオーソドックスな経済理論で分析しつつ、村上春樹なども引用しつつ中国の社会問題や中国と日本の関係にまで考察を広げた梶谷懐。そんな二人がタッグを組んだのがこの本です。
 この本は東京大学出版会の「超大国・中国のゆくえ」というシリーズの1冊で(この本は第4巻だけど1番最初に刊行されている)、どういった経緯で二人がこの本を担当することになったのかはわかりませんが、ともに中国経済の今を鋭く捉えている論者ながら、見ている部分は違いますし、中国経済の将来に対しても丸川知雄はやや楽観的、梶谷懐はやや悲観的と見方が分かれていて(2011年から2030年までのGDP成長率の予想は丸川が7%半ばなのに対して、梶谷は5.7%、資本増加率と労働生産弾力性の想定が違う)、非常に面白い取り合わせになっています。個人的には中国経済を語るのに理想的なコンビだと思います。


 目次は以下の通り。
 序章と第2章、第3章を丸川知雄が、第1章と第4章を梶谷懐が執筆していて、タイトルの「軋みとインパクト」の「軋み」の部分を梶谷懐が、「インパクト」の部分を丸川知雄が担当する形になっています。

序章 経済超大国への道
第1章 投資過剰経済の不確実性とダイナミズム
第2章 貿易・投資大国化のインパク
第3章 技術大国化のインパク
第4章 土地制度改革と都市化政策の展開
終章 経済の曲がり角とその先


 第1章では、「バブル」と言われ続けている中国の投資熱と、その背景、その危うさといったものが分析されています。
 中国は、固定資本投資の収益率が低下し、投資を消費に振り替えたほうが経済厚生が増加するにもかかわらずを投資が行われている「過剰資本蓄積」の状況にあると考えられますが、それでも投資が続いています(20ー23p)。
 これにはリーマン・ショック後の「4兆元投資」の影響も大きいのですが、著者はそれ以外にも、(a)(地方)政府主導の積極的な投資行動、(b)労働分配率の趨勢的低下、(c)企業による内部留保の増大、(d)家計部門における高い貯蓄性、の4つをあげています。
 これらの背景には中国の金融制度の不備や、社会保障制度の不備などさまざまな問題があるのですが、胡錦濤政権のもとではリーマン・ショックから始まった世界同時不況に対処するために、こういった制度的改革よりも政府主導の公共投資による受給ギャップの解消が目指され、それが「国進民退」という現象(国有部門の賃金の伸びが非国有部門の賃金の伸びを上回る)を生み出しました。
 中国では、「非国有部門が高い生産性の伸びを通じて経済成長を牽引していたにもかかわらず、それに見合うような賃金の上昇や資本の分配は行われてこなかった」(35p)のです。このことが生産性の低い部門に資本と労働が投入される原因、そして「過剰資本蓄積」の原因ともなっています。
 この章では、さらに「影の銀行」やグローバル不均衡の問題にまで分析を広げ、中国経済の「強さ」と「脆弱さ」についてマクロ的な視点から概観しています。


 第2章では、中国が世界経済に対して与えているインパクトが分析されています。
 この章において、なんといっても興味深いのが76ー81pにかけての産業ごとの中国のインパクトを分析した部分。中国は安い人件費を武器に繊維産業などの軽工業中心に輸出を伸ばしましたが、いまや電機や機械などの重工業分野においても輸出を行っており、「世界の工場」とも呼ばれるようになりました。この中国の輸出攻勢がどの分野とどの国に影響を与えているかを分析したのが、この部分であり、79pの表になります。
 この表を見ると、中国は船舶、電気機械などで日本のシェアを奪うと同時に、わら編み製品・かご細工物ではフィリピンやインドネシアのシェアを奪うなど重工業でも軽工業でも存在感を見せています。他にも毛・毛織物、綿・綿織物、履き物などでイタリアからシェアを奪っており、単純に高級品/低級品の住み分けができているわけではないこともわかります。
 一方、これだけの製品輸出を行う中国は資源の一大輸入国でもあります。中国への輸出比率が高い国というと韓国や台湾といった近隣諸国を思い浮かべるかもしれませんが、近年、中国への輸出比率を急速に伸ばしているのがラテンアメリカとアフリカ。これらの輸出の多くは一次産品で、ラテンアメリカからは大豆などの食糧や鉱物資源、アフリカからも鉱物資源が輸出されています。
 この一次産品を輸出する国と工業製品を輸出する国がはっきりと分かれてしまう現象は、南北問題の根本に横たわる問題として1964年のプレビッシュ報告などで指摘されましたが、その構造が中国とラテンアメリカやアフリカの国々との間で復活しつつあるとも見ることができるのです。
 この問題については、大塚啓二郎『なぜ貧しい国はなくならないのか』で指摘されていた、世界全体で製造業に従事する労働者数がここ20年ほど大きく変化していないということを考え合わせると、実は深刻な問題なのかもしれません。
 この章では、他にも日中間の貿易摩擦や中国の対外投資の特質などにも触れられています。


 第3章は、中国の技術進歩について。
 以前の中国は外資の導入によって資金と技術を得ていましたが、今や研究開発にも力を入れ中国独自の技術を生み出そうとしています。実際、中国は有人宇宙飛行を実現させ、世界一のスーパーコンピューター(天河一号A、2010年当時)をつくり上げました。
 ただ、そうした政府主導の先端的な技術開発がうまく産業に生かされているかというと、そうは言えない現状もあります。中国は携帯電話の通信技術において独自規格をつくって、それを政府が後押しすることで技術の普及をはかりましたが、それほどうまく行っていないのが現状です。また、レアアースの囲い込みについても、日本との対立は双方に損害を与える形になりました。
 一方、著者が「キャッチダウン型」と表現する、現地のニーズに合わせた商品開発においては、電動自転車や家庭豆乳機、フラッシュを使ったアニメなど、独自のヒット商品を生み出しています。


 第4章は中国の土地制度問題について。
 中国では生産年齢人口が頭打ちとなっているためこれ以上の高度成長は難しいという意見があります。この問題を考える上で重要なのが「ルイスの転換点」という考えになります。
 「ルイスの転換点」とは、開発経済学者のアーサー・ルイスの発展モデルに基づいた考え方で、工業化の過程で農業部門の余剰労働力が底をつくタイミングになります。生産年齢人口が頭打ちとなっても、もし農村に余剰労働力があるならば、その人々が都市の工業部門に移ることで労働力は供給され続けることになります。しかし、もう農村に余剰労働力がないとすれば、今までのような安い労働力の供給は期待できなくなります。近年、中国の大都市では賃金が上昇し、農村出身の非熟練労働者が不足していることから、中国はこの「ルイスの転換点」をすでに迎えたという見方があります。
 これに対し著者は、中国の特異な土地制度によって農民の土地所有権が不安定であり、そのため自分の農地を自由に売却することができないことが、余剰労働力を農村に留まらせていると分析します。この問題は、『「壁と卵」の現代中国論』の第3章でも分析されていましたが、ここではさらにこうした問題に対する中国の改革、重慶成都の試みも紹介しています。
 また、中国の「土地バブル」の背景についても分析されており、それこそ、岡本隆司『袁世凱』でも指摘されていた清朝の時代から続く中央ー地方の問題が、中国の土地問題を非常に難しいものにしていることがわかります。


 このように現代の中国経済を考える上で重要な論点が、幅広く、なおかつコンパクトにまとめてあるのがこの本。
 中国経済を考えるには、とりあえず「悲観論」と「楽観論」から距離を取り、経済学の原理を使いつつ、その原理だけでは測れない現象を丁寧に見ていくことが必要だと思うのですが、まさにそれができている本だと思います。


超大国・中国のゆくえ4 経済大国化の軋みとインパクト
丸川 知雄 梶谷 懐
4130342940