G・エスピン‐アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』

 もはや古典となりつつある名著なわけですが、やはり面白いですね。
 福祉国家を単純に福祉予算の額などから分析するのではなく、市場を重視する自由主義ジーム(アメリカ、オーストラリアなど)、福祉制度が職業などによって細かく分割されている保守主義ジーム(ドイツ、フランス、イタリアなど)、普遍的な福祉を供給する社会民主主義ジーム(スウェーデンデンマーク、オランダなど)の3つのレジームの違いから分析し、その違いを示すとともに、さらにそのレジームが社会階層や雇用にどのような影響を与えているかということが示されています。
 原著は1990年に出版された本なので、ドイツのデータやその分析などにおいてややずれている面もありますが、それでもここで提示されている分析の枠組みと、その知見は今でも十分に通用するものでしょう。


 まず、保守主義ジームですが、基本的に社会統合のためには伝統的地位関係を維持する必要があるとの認識に立っています。
 社会保険などの制度は職業別、あるいは公務員かそうではないかといった形で分かれており、特に「公務員に対しては過剰とも言える福祉を提供」(67p)しています。また、社会統合の維持のため、家族を重視し、貧民の救済にも積極的です。保守主義ジームの国はカトリックの影響が強い国が多いですが、これはカトリシズムの「補完性の原理」(家族の相互扶助能力が不能になった場合に限って、より大規模な社会的集合体が介入できるという思想)(69p)と保守主義ジームの親和性が高いからです(「補完性の原理」こそが保守主義的レジームの原理と言えるのかもしれません)。


 次に、自由主義ジームですが、この本では自由主義ジームの原理として「保守主義的階層化の残滓を一掃すること、と理解するのが最も適切であろう」(69p)と述べています。身分階級、ギルドといったものは社会を安定させるものではなく、個人の自由や健全な競争を阻害するものに過ぎません。市場によって成し遂げられたものこそが公正なものなのです。
 自由主義ジームも福祉を完全に否定するものではありません。しかし、その多くは最も貧しい階級のみを対象としており、多くの場合福祉を受給するにはミーンズテスト(行政の行う資力調査)を受ける必要があります。その結果、福祉の受給にはスティグマを伴うことになります。一方、最も貧しい階級以外が利用するのが民間保険商品、あるいはそれに政府が加わる形でできあがった社会保険制度です。


 最後の社会民主主義ジームは、その普遍主義が特徴で、最も貧しい階級だけでなく幅広い階級に、また、職業などによる区別なしに福祉を給付しようとすることがその特徴になります。
 この社会民主主義ジームをうまく説明するための言葉が、この本で打ち出されている労働力の「脱商品化」という考えです。
 資本主義によって、労働者は労働力の売買によって生計を立てるようになり、「商品化」されます。しかし、社会権が導入されるとその「商品化」にブレーキが掛けられ、労働力は「脱商品化」されることになります。
 この「脱商品化」を具体的にサポートするのが種々の社会保障制度なのですが、これらの設計によっては「脱商品化」は不完全なまま終わります。例えば、ミーンズテスト付きの救貧制度しかなければ、最も貧しい層以外を強制的に市場に参加させることになりますし(24p)、労働に対する恩顧的な性格の強い社会保障でも十分な「脱商品化」が進むとは言えません。

 脱商品化効果を持つ福祉国家は、現実にはごく最近になって登場した。それは少なくとも、市民が仕事、収入、あるいは一般的な福祉の受給権を失う可能性なしに、必要と考えたときに自由に労働から離れることができる、という条件を備えていなければならない。(24p)

 とのことなのです。


 この本では、このような3つのレジームの特徴を描き出しながら、特に年金と雇用に関して突っ込んだ分析を行っています。その中でも雇用についての分析は特に興味深いものでした。


 例えば、雇用を維持するために、保守主義ジームの国では早期退職制度によって高齢者を退出させる傾向がありましたし、社会民主主義ジームの国では、公共セクターが多くの雇用機会を提供しました。この公共セクターの雇用によって女性の労働参加は大きく進んだわけですが(このあたりのことについては前田健太郎『市民を雇わない国家』も参照)、同時にスウェーデンでは看護師、教師などの典型的な女性職に集中しており「ジェンダー分離の著しい国」(225p)となっています(ただ、本書でとり上げられているのは80年代までの古いデータです)。著者はこのことについて「実際、スウェーデンの雇用構造は二つの経済部門に分かれて発展しているといえる。一つは男性に偏った民間セクターであり、もう一つは女性が支配的な公共セクターである」(228p)と述べています。


 一方、自由主義ジームのアメリカは女性の管理職が保守主義ジームのドイツや社会民主主義ジームのスウェーデンに比べて割合として多いものも、管理職自体が他国に比べて非常に多くなっており、その理由として、福祉制度が未成熟であるため福利厚生が必要なこと、労働組合と緊張関係にある場合が多いこと、職業紹介や職業訓練の制度が未整備で企業が採用や人材教育や管理に大きなコストを払わざるを得ないことなどがあげられています。
 そして、保守主義ジームのドイツに対する見方は辛辣なのですが、このあたりはおそらくシュレーダー改革よって近年ずいぶん変わってきているのではないかと思います。


 このように基本的に分析の対象となっているのは欧米諸国なのですが、この邦訳には著者による「日本語版への序文」も収められており、日本についての分析も行われています。
 日本は3つのレジームの特徴を併せ持っていますが、著者の分析によれば保守主義ジームと自由主義ジームの混合であり、いくつかの問題を抱えています。
 その1つは企業の提供する福祉がこの先も持つのかという問題点。大企業と中小企業の二重構造という問題を抱えつつも、日本の終身雇用が一定の福祉を提供していることを評価しながら、「それでもやはり、アメリカで過去十年間にわたって企業別の福祉がどれほど劇的に衰退してきたかについて留意する価値はある」(ixp)と述べています。
 さらに家族と女性の問題については次のように述べています。

 ポスト工業化社会の進展、男女の学歴格差の解消、女性の経済的自立の要求増大と少子化労働市場のサービス志向化などに伴って、家族主義的福祉国家は大きな緊張にさらされている。このような背景のもとでは、女性がキャリアに就いて勤労所得を得ていく潜在的可能性を考慮すれば、彼女らがフルタイムで育児や虚弱高齢者の介護をおこなうことの機会費用は高くなる。日本や大陸ヨーロッパのような福祉国家は、単に他の選択肢を提供しないことでこの機会費用を相殺している。このような場合、家族の対応は次の二つの方法のいずれかである。第一に、主婦が相変わらず家庭で子どもや両親のケアを続けるという方法。主婦が高学歴の場合、これは人的資本の大量浪費を意味する。第二に、それにもかかわらず女性がキャリアを追求するという方法である。しかし、家族形成にまつわるさまざまな困難が重なると、出産の時期が遅れたり、出産の機会が減少するだろう。
 日本だけでなく南欧でも、明らかに後者の連略が広まりつつある。そうでないとしたら、家族志向的でカトリック信仰の根強い文化を持つイタリア、スペイン両国が世界最低の出生率合計特殊出生率1.25以下)を示しているという事実が説明できない。(xip)


 はじめに書いたように原著は1990年の出版であり、それからすでに四半世紀がたとうとしています。実際、やや古びた点もあってドイツについての分析などはやや時代遅れになっていしまっている点もあるでしょう。
 けれども、この日本に対する分析はいまだに的確だと思います。社会科学の一つの業績として読む価値が有るのはもちろんですし、今の日本の福祉や雇用といった問題について考える上で、十分に現役として機能する重要な本だと思います。


4623033236福祉資本主義の三つの世界 (MINERVA福祉ライブラリー)
エスエスピン‐アンデルセン Gosta Esping‐Andersen
ミネルヴァ書房 2001-06

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