末廣昭『新興アジア経済論』

 『タイ 中進国の模索』などの著作で知られる末廣昭による現在のアジア経済をとらえた本。
 この本の大きな特徴は著者の特異とする東南アジアだけでなく中国も視野に入れて分析を行っている点と、経済だけでなく好調な経済の裏に潜む社会問題にも焦点を当てている点です。中国をはじめとするアジア地域がこれからどのように発展してくのかを考える上で非常に参考になる本だと思います。
 

 目次は以下の通り。

第1章 新興アジア経済論の視角と課題
第2章 歴史の中のアジア、世界の中のアジア
第3章 アジア化するアジア―中国の台頭と域内貿易の深化
第4章 キャッチアップ再考―技術のパラダイム変化と後発企業の戦略
第5章 「鼎構造」の変容―政府系企業・多国籍企業・ファミリービジネス
第6章 中所得国の罠―労働生産性イノベーション
第7章 社会大変動の時代―人口ボーナス・少子高齢化・家族の変容
第8章 社会発展なき成長―格差の拡大とストレスの増大
終章 経済と社会のバランス、そして日本の役割


 第1章はイントロダクションで、第2章は世界経済におけるアジア経済の地位上昇、第3章では中国の台頭と域内貿易の変化からアジア経済の「かたち」や貿易構造などを見ていっています。第3章で出てくるキーボード、光ディスクドライブ、プリンター、ハードディスク、液晶パネル、デジタル一眼レフカメラといった製品がすべて(100%)アジアで作られているという44pの表はインパクトありますね。IT製品の製造におけるアジア(特に中国)のシェアは圧倒的です。


 しかし、この本の読みどころは4章以下の部分と言っていいでしょう。
 まず、第4章では著者が提唱していたキャッチアップという概念が再考されています。キャッチアップというは、後発の工業国が先進国の開発した技術をうまくとり入れながら先進国との格差を縮めていくプロセスのことで、アジアの国々はこの「後発性の利益」を活かしたと考えられています。
 ただ、経済が発展し、技術が向上するにつれこの「後発性の利益」は失われていきます。このキャッチアップの壁の問題をこの章では様々な視点から分析しています。
 サムスン電子半導体事業や台湾のPCメーカーは、この「後発性の利益」を活かしつつ、ついには最先端の研究・開発の分野にまで食い込み、世界をリードするようになりました。また、タイでは「ハーブ革命」と呼ばれる化粧品や農業関連の産業の伸びが見られます。タイではITのような最先端の技術を追うのではなく、自国の強い農業などを活かした独自の戦略がとられているのです。

 
 第5章では、アジアの新興国経済が政府系企業・多国籍企業・ファミリービジネスの3つのタイプの企業が中心であることが示されています。
 ファミリービジネスは1997年のアジア通貨危機とその後に行われた改革などによって、もはや過去のものとなったのでは?と思う人もいるかもしれませんが、韓国は大胆な改革が行われたにもかかわらず財閥の強さは相変わらずですし、タイやインドネシアでもファミリービジネスは復活しつつあります。この章では、タイを中心にファミリービジネスの構造や最近の傾向が分析されており、なかなか興味深いです。


 第6章は「中所得国の罠」について。「中所得国の罠」とは、「安価な労働と低コストの資本の追加的投入によって経済成長を実現しようとする路線、つまり低コスト優位(low-cost advantage)の路線が行き詰まった状態」(126p)を指します。
 ラテンアメリカの国々が陥っている状況とも言われますが、アジアでも1979年に「上位中所得国」に移行しながら、いまだに「高所得国」の仲間入りができないマレーシアは、この「中所得国の罠」に陥っていると言えます。一方、韓国や台湾は「高所得国」に移行しましたし、2010年に「上位中所得国」の仲間入りをした中国とタイについては、まだ「中所得国の罠」について論じるのは早い段階です。
 しかし、無尽蔵と思われた労働力の供給の勢いが弱まり、賃金の上昇がしているのは中国、タイ、さらにはベトナムなどにも見られる現象で、生産性の向上や、研究開発への投資などがなければ、アジアの国々も「中所得国の罠」に陥るでしょう。特に、マレーシアの分析では、マレーシアでは製造業に占める外国人労働者(主にインドネシア人)の比率が高く、2007年には28%になっているという問題がとり上げられており(145p)、いまだに低コストに頼っているアジア経済の状況が浮き彫りにされています(タイでも、2011年の時点で外国人の合法就労者が58万人で不法就労・一時就労許可者が125万人。このうち8割以上がミャンマー人。ちなみにタイの民間企業の従業員数は900万人で外国人労働者の存在感は大きい(133p))。


 第7章は、アジア経済躍進の原因ともなった人口ボーナスと、その反動ともいうべき人口オーナスについて。大泉啓一郎『老いてゆくアジア』中公新書)と重なる内容です。
 急速に高齢化が進むアジアでは、そのスピードに社会保障制度の整備が追いつかず、高齢者の介護は大きな問題になっています。そして、その対応策も以下に見るように付け焼刃的なものが多いようです。

 シンガポールは1995年に「老親扶養法」を制定し、中国も2013年7月に「高齢者権益保障法」を改正した。前者は子どもの老親に対する扶養義務を成文化したものであり、後者は扶養義務者に「常回家」(頻繁に親元に顔を出すこと)を義務付けると共に、雇用主に対しては、従業員の帰省休暇を保証することを義務付ける法律であった。
 一方、香港、台湾、シンガポールなどのNIESでは、家族ではなく外国人家事労働者に高齢者の介護・ケアを依存する事例が増えている。タイの場合も、高齢者の介護・ケアに従事する「使用人」のうち、相当の数がミャンマー人であると推測される。労働省のデータでは、家事代行業(家政婦)に従事するミャンマー人女性の数は、2010年現在、5万8000人にも達している。(173ー174p)


 第8章はアジアの社会問題について、アジア諸国が格差の問題、非正規の問題など日本と同じような問題を抱えていることがわかりますが、驚きなのはタイでも自殺率の上昇が大きな問題となっている点。タイは1980年当時、世界でも最も地厚率の低い国の一つでしたが、2004年には10万にあたり10.5人にまで上昇しています(ちなみに2010年のデータで日本は10万人あたり23.4人、韓国は31.2人)。しかも、2007年以降は軍や仏教団体の強い反対で自殺率の数字は公表されていません。おそらく、大きく改善していることはないのでしょう。
 ずっと出生率の低さと自殺率の高さは日本、中国、韓国といったいわゆる「儒教文化圏」の問題かと思っていましたが、もはや「アジア圏」の問題といったほうが良さそうですね。
 終章で指摘されているように、アジア各国はその経済成長と高齢化に社会保障の整備が追いついておらず、この歪みはそう簡単には解消されそうにありません。


 このように現在のアジア経済だけでなく、アジアの社会問題についてもおおまかな見取り図が得られる本。幅広い話題を取り扱っているので、掘り下げ不足の面はあるかもしれませんが、アジア経済とアジアの直面する問題についての理解を深めてくれるいい本だと思います。


新興アジア経済論――キャッチアップを超えて (シリーズ 現代経済の展望)
末廣 昭
4000287427


 経済、とくにアジアでの生産ネットワークや経済成長の問題については先日紹介した丸川 知雄 梶谷 懐『超大国・中国のゆくえ4 経済大国化の軋みとインパクト』を読むと、より理解が深まるかもしれません。


超大国・中国のゆくえ4 経済大国化の軋みとインパクト
丸川 知雄 梶谷 懐
4130342940