待鳥聡史『政党システムと政党組織』

 東京大学出版会から刊行が始まったシリーズ「シリーズ日本の政治」の1冊。
 基本的に教科書的な本なのですが、「政党」という重要だけど意外に説明しがたいものについて知りたかったということと、以前読んだ著者の『首相政治の制度分析』がなかなか面白かったことから手にとってみました。


 「政党とは何か?」、この問に対して中学生や高校生相手だと、とりあえず「同じ政策を実現しようとしている人々の集団」とか、「同じ政治目的を持った人の集団」といった説明をしているのですが、現実の日本の政党を見ると、こういった説明はしっくりこないですよね。
 共産党とかでしたら、これらの説明で説明できますが、自民党民主党といった大きな政党になると、メンバーが「同じ政策」「同じ政治目的」を持っているとは思えません。実際、すべての政党が一回分裂して政界再編が行われたほうが日本の政治はわかりやすくなると考えている人も多いでしょう。

  
 そうしたやっかいないものでもある政党について、海外の研究をうまくまとめながら、さらにそれを日本の政党にも当てはめて考察し、今後の政党についての展望を示そうとしたのがこの本。
 政党についての様々なアプローチの仕方を示すことで、政党について考えるための数々の材料を与えてくれます。


 まず、この本の面白い点は政党を「政党システム」と「政党組織」の2つの観点から分析している点。
 「政党システム」とは耳慣れない言葉ですが、これは一国の中の政党の数や対立の構造、政策的な位置関係などに注目した考え方になります。
 例えば、二大政党制なのか多党制なのか、二大政党でも政策的にまったく対照的な政党が争うのか、それもとも同じような政策を掲げる政党が争うのか、それぞれ国や時代によって違うわけですが、それを明らかにしようとするのが「政党システム論」ということになります。
 この「政党システム」の研究は当初ヨーロッパで盛んになり、特にリプセットとロッカンによって「クリーヴィジ」(裂け目、亀裂)という概念を使った説明がなされました。すなわち、社会にある大きな亀裂、「中央/周辺」「国家/教会」「所有者/労働者」という「大きな対立」に従って政党が生まれ、争うというのです。
 やや古さを感じる理論かもしれませんが、現在の日本でも「都市/地方」といった「クリーヴィジ」によって政党の勝ち負けを論じようとするものはあちこちに見られます。政党に対する根強い味方の一つになっているといえるでしょう。


 こうしたマクロ的な見方のマクロ政党システム論とは違うアプローチをするのが、選挙制度などが「政党システム」に影響を与えるとするミクロ政党システム論です。
 フランス人のデュヴェルジェは選挙制度が政党数に大きな影響を与えると主張し、またアメリカの経済学者のダウンズはハロルド・ホテリングノ立地理論などを参考にして二大政党の主張は中道に近づいていくという理論を提出しました。
 特にアメリカでは、メイヒューが『アメリ連邦議会』において、議員は次回の選挙での再選を目指して合理的な行動する観点から議員の動きを説明し成功すると、選挙が政党のあり方に大きな影響を与えるとするミクロ政党システム論が中心となりました。


 このように、ヨーロッパではマクロ政党システム論が、アメリカではミクロ政党システム論がさかんになりましたが、この本ではその後の様々な展開もフォローしています。
 特に1980年代以降のヨーロッパでは、政党の対立の軸が少し回転し、「社会主義政治/資本主義政治」から「左派・リバタリアン政治/右派・権威主義政治」の対立に変化したという、52pのハーバード・キッチェルトの考える図は面白いと思いました。


 次に「政党組織」からの分析ですが、こちらは政党内部の意思決定や組織形態などに注目するものになります。
 ヴェーバーによる「名望家政党」と「組織政党」の区別は高校の政治経済の教科書などでも見かける分類ですが、歴史の中で政党の性格や位置づけも変化しており、その変化に応じた概念が政治学者によって提出されてきました。キルヒハイマーの「包括政党」(あらゆる有権者からの得票を目指す政党)の概念は自民党の分析などにも使われています。
 政党組織論においてもミクロのアプローチをたったのがアメリカの政治学です。コックスとマッカビンズは議員が政党に属し、政治的決定のかなりの部分を執行部に委任することが合理的であることを見出し、政党が議員の合理的行動に適ったものであることを指摘しました。


 さらに近年になると、カッツとメアによる「カルテル政党論」というものが出てきます。
 カッツとメアは、市民社会と国家を繋ぐ役割をもつ政党が、現代においてはすでに市民社会との繋がりを失っているとした上で次のように政党を分析しているそうです。

 政党はもはや市民社会の諸利益を国家に表出する存在ではなく、国家の持つさまざまな資源を利用して、それを選挙の際に有権者に売りつけるブローカーにすぎない。より具体的にいえば、政党は組織として存続するために必要な資金などを国庫から調達し、それを使って職員も雇用している。(中略)そして、選挙においては競争している複数の政党の間にも、このような資源調達の方法においては相違がなく、むしろ既得権を維持するために結託しているとさえいえる。(95ー96p)

 ここからカッツとメアは現代の政党を「カルテル政党」と呼びます。さすがに「既得権を維持するために結託している」とまで言えるかどうかはわかりませんが、現在の政党が政党助成金などにみられるようにその資源の多くを国家に負っているというのは事実です。


 この本の第3章と第4章では、こうした海外の研究の成果をとり入れながら、日本の「政党システム」と「政党組織」の分析が行われています。 
 さすがにこれをまとめるのは大変なので興味のある方には直接あたってほしいのですが、政党助成金制度の導入によって日本の政党も「カルテル政党」として分析できるという研究については興味深く読みました。
 ここ最近の政党の分裂や新党結成は、政党助成金によって大きく左右されている感がありますが、「カルテル政党論」をみるとある程度仕方がない気もしてきます。政党は個人の献金などによって支えられるべきだという理想論はありますが、日本の現実からするとなかなかそうはいかないわけで、ある程度「カルテル政党」的な性格を認めつつ、国家の資源にアクセスする立場としての説明責任なり、きちんとした組織形態を政党に求めていくべきなのかな、と思いました。


 教科書的な本でもあり、けっしてエキサイティングな本ではありませんが、政党について、さまざまなアプローチの仕方を示すことによって、非常に説明しにくい政党というものの理解の糸口とその多面性を教えてくれる本だと思います。


シリーズ日本の政治6 政党システムと政党組織
待鳥 聡史
4130321269