ウィリアム・トレヴァー『恋と夏』

 国書刊行会から刊行が始まった「ウィリアム・トレヴァー・コレクション」の第1弾は、トレヴァー81歳の作にして最新長編。
 見返しにある紹介文は以下のとおり。

 20世紀半ば過ぎのアイルランドの田舎町ラスモイ、孤児の娘エリーは、事故で妻子を失った男の農場で働き始め、恋愛をひとつも知らないまま彼の妻となる。そして、ある夏、一人の青年フロリアンと出会い、恋に落ちる――究極的にシンプルなラブ・ストーリーが名匠の手にかかれば魔法のように極上の物語へと変貌する。登場人物たちの現在と過去が錯綜し、やがて人々と町の歴史の秘められた〈光と影〉が浮かび上がり……トレヴァー81歳の作、現時点での最新長篇。


 「究極的にシンプルなラブ・ストーリー」との言葉がありますが、基本的にこの紹介文から想像されるようなストーリーが進んでいきます。おそらく、似たような筋立ての小説は過去にゴマンと書かれているでしょう。また、文体も比較的シンプルで、凝りに凝った華麗な文体が披露されるわけでもありません。
 また、社会への批判とか新しい価値の想像とか、そういう方向とも無縁です。

 
 が、面白い!
 なぜ、ここまでありきたりな話が面白く感じられるのか疑問を持つほどです。
 

 とりあえず、感じたのは脇役の描き方の巧さ。
 小説はミセス・アイリーン・コナルティーという女性の葬儀から始まるのですが、その娘のミス・コナルティーという中年女性の造形、そしてストーリーへの絡み方が巧みです。
 コナルティーはヒロインのエリーを「かわいそう」な存在として扱い続けるのですが、彼女の生い立ちと、その認識のちょっとした歪みがシンクロしており、ラブストーリーを常に記憶をめぐる話に引き戻していきます。
 また、エリーの夫、ディラハンも暗い過去を抱えており、その記憶の中の「穴」が物語を引っ張る一つの力になっています。


 もう一つは省略の巧さ。
 トレヴァーといえば、短編の名手として知られていますが、短編で培われた省略の技法がこの長編でも活かされえいます。
 エリーとフロリアン接触は小説の中でたびたびあるのですが、二人の時の描写は意外と軽く、逆に周囲の人物の仕草や行動が細かく描写されたりしています。読み手は、この大事な部分の欠落を埋めたい、という思いに駆られることになるわけで、ありきたりな話に引き込まれていくことになります。


 短編の巧さは十分に知っていましたが、トレバーは長編も巧いです。長編でもこの巧さならノーベル文学賞でもいけると思うんですけど、どうですかね?


恋と夏 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)
ウィリアム トレヴァー 谷垣 暁美
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