岸本美緒『中国の歴史』

 明清の社会経済史を専門にする著者が、放送大学用のテキストとして書いたものを文庫化したもの。
 「「中国」とは何か?」といった問から始め、中国における文明の発生から現代にいたるまでの歴史を叙述しています。
 本文は300ページほどで、簡略化してある部分はかなり簡略化してあります。例えば、『三国志』の時代の記述は5行と高校の世界史の教科書並みの記述しかありませんし、楊貴妃の名前も楊国忠を説明するときに一回出てくるきりです。中国史における人間ドラマを知りたい人には明らかに不向きです。
 

 しかし、社会経済史の面では世界史の教科書などでは見えてこないポイントがコンパクトに解説されており、中国の政治史や人間ドラマの背景がみえてきます。また、各章に【焦点】、【史料】というコラム的なものが掲載されています。特に【焦点】では、「儒教とは何か」、「士大夫の倫理と生活」、「銀と中国経済」、「新文化運動と「家」批判」など、中国の歴史や社会を理解する上でのキーポイントが解説されており、役に立ちます。


 この本で中国の通史を改めてたどると、「中国」という存在が周囲の異民族との相互作用の中で形成されてきたことがわかります。
 晋の滅亡以降、華北には五胡と呼ばれる異民族が次々と侵入し、国を立てるわけですが、これらの国々はそれらの異民族と漢民族を合わせて統治した多民族国家なのですが、その理念は北朝の流から出た唐にも受け継がれています。この唐について、著者は次のように述べています。

 唐代初期の諸制度をかつての漢代や、あるいは唐より後の宋(趙宋)代の制度に比べてみると、明確な理念にもとづいた整然たる構成をもつ点にその特色があるといえるだろう。唐王朝は、さまざまな民族を統合してゆくために明確な理念を必要とした北朝政権の諸制度を受け継ぎ、それを集大成していったのである。唐初の諸制度のこのような性格は、東アジアの新興国家がそれを取り入れてゆくのにふさわしい普遍性をもっていたといえるだろう。しかし他面から見れば、このような理念的制度は現実と乖離して形骸化してゆきやすいものでもある。(109p)


 また、いわゆる「唐宋変革」についても、「皇帝を中心とした中央集権化」、「商業の発展」、「士大夫を担い手とする文化の興隆」といった特色を上げ、その背景について次のように書いています。

 この変動は、中国国内の政治や社会・文化の発展のみで説明できるものでなく、東アジアにおける周辺民族の台頭という情勢のなかでとらえる必要があるだろう。 
 対外危機に対し、宋王朝は中央集権を強化することによって対処しようとした。中央財政は膨脹し、かつてない多額の銅銭が発行されることによって全国的商品流通も促進された。また、士大夫の間には、純粋な中華を目指す中華正統主義の風潮が高まった。(137ー138p)

 
 さらに後の時代の明清の記述においても、北方の遊牧民族漢民族の関係に注意を払っており、「中華」というものが周辺民族との対立と協調のなかで成り立っていることがわかります。
 清の皇帝に関しては、「中華皇帝としての顔と、北方・西方民族のハンとしての顔と、二つの顔をもっていた」とし、康熙帝は「人並み外れた能力と努力によって、この2つの側面を統合した人物であった」(178p)と述べています。17・18世紀における清朝の強さの理由の一端を知ることができる分析です。


 この本では訒小平の「南巡講話」あたりまでをとり上げているので、複雑な20世紀の中国史に関しても、見通しが得られると思います。
 そして、「文庫版へのあとがき」では、現在の中国が直面する問題についても簡単に分析しています。その中で著者は「民主と法制」の問題をとり上げ、劉暁波零八憲章に触れた上で次のように述べています。

 ただ、劉暁波のような西洋型リベラル・デモクラシーを志向する人々は、国民全体のなかでは、必ずしも多数派ではないと思われる。権力と財力をもつエリートが庶民を抑圧する不公正に対し、不満を持っている人々は多いであろうが、政府の側も、リベラル・デモクラシーとは全く異なる形で、そうした不満に応えようとしている。習近平が「法による国家統合」を強調し、精力的に進めている腐敗撲滅キャンペーンはその例である。それは、デモクラシーというよりは、むしろ、清廉かつ有能な為政者による善政という形で、庶民の支持を得ようとするものといえよう。(298ー299p)


 このあたりの見方は、経済学者の梶谷懐の『日本と中国、「脱近代」の誘惑』梶谷懐『日本と中国、「脱近代」の誘惑』 - 西東京日記 IN はてなや中国ウォッチャーの高口康太の『なぜ、習近平は激怒したのか』の見方とも近く、興味深く読みました。


中国の歴史 (ちくま学芸文庫)
岸本 美緒
4480096914