イーユン・リー『独りでいるより優しくて』

 泊陽(ボーヤン)はこれまで、人は深い悲しみを知ると凡庸でなくなると思っていた。しかし火葬場の控え室はよそと変わらないところだった。(5p)

 これが北京大学卒業後にアメリカに渡り、英語で小説を書き続けているイーユン・リーの『独りでいるより優しくて』の冒頭の文章です。


 実はこの小説を読み切るのにかなり時間がかかりました。最近、読むペースは落ちているとはいえ、長編の場合、ある一定のところまで行くとそれなりのスピードによって読めるのですが、この本はなかなかそのスピードが出ませんでした。
 内容は面白く、ストーリー的にも謎で引っ張っていく展開ですし、翻訳も悪くないのですが、とにかく文章の密度が「濃い」のです。文体がひねってあるとかそういうのではなく、冒頭に引用したアフォリズム的な文章が小説全体に散りばめられてあって、その密度が最後まで落ちないのです。
 もともと、イーユン・リーは短編の名手として登場した作家ということもあり、そういった短編の密度で長編も書ききってしまった感じです。この作品の前に読んだ同じく短編の名手であるウィリアム・トレヴァー(イーユン・リーも好きらしい)の『恋と夏』は、省略の多い、かなりスカスカとも言える文体で登場人物の微妙な心理を描いていましたが、この『独りでいるより優しくて』はその心理をすべて書ききっています。


 物語は少艾(シャオアイ)という女性の死から始まります。
 彼女は大学生時代に毒を飲み、その後21年間、他者ときちんとしたコミュニケーションの取れないままに亡くなります。
 その葬儀に立ち会ったのが、彼女よりも年下の泊陽(ボーヤン)。少艾(シャオアイ)が毒を飲む前に、彼には如玉(ルーユイ)と黙然(モーラン)という二人の女友達がいました。しかし、如玉(ルーユイ)と黙然(モーラン)はアメリカに渡っており、泊陽(ボーヤン)からの少艾(シャオアイ)が死んだというメールにも返信はありません。少艾(シャオアイ)が毒を飲んで倒れたという事件によって、当事高校生だった3人の人生は決定的に変わり、それぞれ遠く離れた道を歩むことになったのです。


 少艾(シャオアイ)が毒を摂取した理由は他殺なのか?自殺なのか?
 事件の背景にあるのは1989年の天安門事件天安門事件に参加した少艾(シャオアイ)は大学から停学処分を課されており、その前途に明るさはありませんでした。
 そんな少艾(シャオアイ)の家にやってきたのが、中国が社会主義化する前は大金持ちだったと思われる「大叔母たち」に育てられた如玉(ルーユイ)という少女。
 頭がよく、感情を表に出さず、「大叔母たち」の希望通りに人生をこなそうとする如玉(ルーユイ)の出現は、幼なじみで如玉(ルーユイ)と同世代の泊陽(ボーヤン)と黙然(モーラン)の関係に影響を与え、若くして人生に行き詰まった少艾(シャオアイ)を苛立たせます。


 そして事件は起こり、如玉(ルーユイ)と同世代の泊陽(ボーヤン)と黙然(モーラン)の3人はばらばらになり、それぞれ事件の陰を背負いながら20年近くの時を過ごしています。
 この小説は20年後の3人姿と、20年前の3人と少艾(シャオアイ)を交互に織り交ぜながら、事件に至るまでの過程と事件によって決定的に変わってしまった3人の姿を濃密な心理描写を通して描き出します。
 感情を表に出さず、決して自分のペースを乱さない如玉(ルーユイ)が唯一その自分を乱される部分など、4人の関係性を作り上げていく手つきもうまいです。


 ただ、最初に述べたように個人的には、長編にしてはやや濃密すぎた感があるのも事実で、このへんは少し好き嫌いが別れるところかもしれません。
 それでも、読み応えのある小説であることは確かで、読んでよかったと思ってます。


独りでいるより優しくて
イーユン リー 篠森 ゆりこ
4309206751