G・エスピン‐アンデルセン『アンデルセン、福祉を語る』

 ここで問題となるのは、死は民主的ではないということである。通常、所得の高かった恵まれた人々の平均余命は長い。所得の高かった人々は、より長い余生を楽しむことになる。つまり、彼らが我々の年金財源から引き出す金額は、平均よりも多いということである。これは社会的不公正の原因となる(iv〜vページ)

 これはこの本の「日本語版によせて」の中の一文ですが、エスピン‐アンデルセンのスタンスをよく示している一文といえるかもしれません。
 「福祉」というと、「老人」、「女性」、「障害者」といった弱者を「救う」というスタンスで語られることが多いですが、エスピン‐アンデルセンは社会全体の福利の増進を常に念頭に置きながら話を進めていきます。「福祉」とは全国民が享受すべきものであり、公正に、そして経済成長を阻害しない形でおこなわれるべきものなのです。


 エスピン‐アンデルセンといえば、主著の『福祉資本主義の三つの世界』が有名ですが、『福祉資本主義の三つの世界』の福祉国家の類型について論じた本であり、スウェーデンデンマーク社会民主主義ジームの優れた面をプッシュすることはあっても、具体的な福祉政策について論じたものではありませんでした。
 一方、この『アンデルセン、福祉を語る』は、フランスの一般読者に向けて、今後の福祉政策について書き下ろした本であり、「女性」、「子ども」、「高齢化」という3つの問題について、直面する問題点と、今後あるべき政策について論じています。

 
 最初に述べたように、エスピン‐アンデルセンは社会全体の福利を増進させるという観点から福祉を捉えており、それは「女性」について扱った部分でも同じです。

 育児と仕事を両立させることに失敗すると、その女性は、子供の世界に身をおくか、または経済的自立を獲得するために職を探すかの選択を迫られることになる。社会学風に表現するのであれば、「低い合計特殊出生率」で均衡させる、あるいは「慎ましやかな所得と職種」で均衡させるという、どちらかの準最適解で我慢させられることになる。(9p)

 この部分にも見られるように、女性の仕事と育児の両立を支援しないということは、女性の「権利」や「自由」を制限するというだけではなく、「低い合計特殊出生率」、あるいは女性が就労しないことによる経済や財政へのマイナスの影響をもたらします。
 著者が計算したところによると、デンマークの「補助金が支給された保育サービスの恩恵を受けた女性は、長期的には生涯所得の上昇と納税を通じて、初期の補助金金利込みである!)を返済することに」(25p)なります。
 育児をする女性への支援とは、福祉であると同時に割のいい「投資」でもあるのです。


 また、いわゆる福祉国家において、女性の出産をサポートするのは保育サービスだけではありません。次に述べているように、福祉国家の雇用構造そのものが、女性に安定した環境をもたらしているのです。

 今後、大部分の女性にとって出産の前提条件とは、安定したきちんとした雇用条件であり、高失業率や不安定な職は、出産にとって最大の障害となった。つまり、女性の一時雇用や失業は、合計特殊出生率を引き下げるという関係が、しっかりと確立されたのである。逆に、公的部門で働く女性の合計特殊出生率は高い。筆者がヨーロッパの世帯を調査した統計データを分析した結果、安定的な雇用契約で就労する女性が子どもを出産する可能性は、期限つき雇用契約で就労する女性の二倍であることがわかった。一般的に、公的部門での職は最も安定性が高く、さらにこうした職の雇用条件は緩い。だからこそ福祉国家に雇用されている女性たちの合計特殊出生率は著しく高い。(18-19p)

 この公的雇用と女性の関係は、日本にも大きく関わる問題です。前田健太『市民を雇わない国家』が指摘していたように、日本の公務員数の少なさは、実は女性の良質な就労の機会を奪うことにつながっています。日本の女性の地位の低さや少子化の背景には、日本の公的雇用の貧弱さもあるのです。


 また、「女性革命が未完であるとすれば、それは女性のライフスタイルにおいて女性が「男性化」したほど、男性のライフスタイルが「女性化」していないからでもある」(30p)とも述べ、男性の働き方の改革も必要であるとしています。


 次に「子ども」について。
 エスピン‐アンデルセンはヘックマンの研究などをあげ、幼児期に形成されると考えられている非認知能力の重要性を指摘し、就学以前の教育についての問題をクローズアップしています。
 福祉国家は平等を重視しますが、就学前の段階で親の所得や文化レベルなどによって子どもの能力に大きな差がついてしまうとなると、平等はなかなか実現しません。
 家族が生み出す社会的相続、エスピン‐アンデルセンはこれを大きな問題として、子どもを親からとり上げ国家に教育を任せるべきだとしたプラトンの話を持ち出したりしつつも、現実的な政策とはなりえないと否定しています(75p)。(ただ、ひょっとしたらエスピン‐アンデルセン個人としてはそれもありと考えているのかもしれませんが…)


 さすがに子どもを親からとり上げるわけにいきませんが、保育園や幼稚園で手厚い就学前教育を行うことができれば、子どもの能力はよる「平等」になると考えられます。
 エスピン‐アンデルセンは、北欧諸国が育児と仕事の両立のために保育施設の整備を進めたことが、北欧諸国のPISAなどのテストにおける好成績につながっているとみています(81ー84p)。「親の「文化資本」(そして社会的・経済的事情)の影響は、スカンジナビア諸国では一貫して軽微」(84p)であり、保育施設の整備によって、子どもが「親という環境」に左右される可能性が減るというのです。


 最後の「高齢化」については、まとめる気力が尽きたので興味がある方は本にあたって欲しいのですが、ここでも社会全体の利益や実現可能性といった視点から年金などの制度が検討されています。


 本文は135pほどで、それに40pほどの京極高宣による「監修者改題」がついており、多くの人に理解できるような形で仕上がっていますし、福祉先進国として知られる北欧諸国の「福祉へのアプローチの仕方」というものがよく分かる本です。


アンデルセン、福祉を語る―女性・子ども・高齢者 (NTT出版ライブラリーレゾナント049)
エスエスピン‐アンデルセン 京極 郄宣
4757142080