レアード・ハント『優しい鬼』

 置き去りにしてきたとおもったすべてのものが、、明日と呼べるんじゃないかといまだにおもっていたもののまんなかにテントを張って「こっちだぞぉ」とわめく、そんな日がいつか来る。
 それで、わたしもここにいる。(160p)

 アメリカの田舎を背景にノコギリで音楽を奏でる鋸音楽師など不思議な人々を、詩に近いような語り口で語った『インディアナ、インディアナ』レアード・ハントの長編小説。訳は『インディアナインディアナ』と同じく柴田元幸
 『インディアナインディアナ』の「あとがき」で柴田元幸は、レアード・ハントのことをケリー・リンク、ポール・ラファージとともに、ここ数年のアメリカ文学の中で「これだ」と思った作家のひとりだと言っていましたが、その言葉通りこの『優しい鬼』も素晴らしい作品だと思います(個人的にポール・ラファージにはそれほどハマれなかったのですが)。


 Amazonに載っている紹介文は以下のとおり。

 南北戦争以前、ケンタッキーの山の中に住む、横暴な男。そこに騙されて連れてこられた一人の女性が二人の奴隷娘たちと暮らし始めると……。
 雲の女王になった話、黒い樹の皮の話、濡れたパイだねの話、タマネギの話など、密度の濃い語りですすむ、優しくて残酷で詩的で容赦のない小説。

 これだけだとよくわからないと思いますが、「優しい鬼」という邦題がこの物語の性質を一番良く物語っているような気がします。原題は"Kind One"。これを柴田元幸は「優しい鬼」としたわけですが、まさに主人公の女性、ジニー・ランカスターは「優しい鬼」ですし、そのジニー・ランカスターに使えた奴隷娘、ジニアとクリオミーも「優しい鬼」かもしれません。
 奴隷制という「狂った世界」の中では、多くの人間が「鬼」になってしまう。そんなことを描いた小説といえるかもしれません。


 この奴隷制という「狂った世界」を描いた作品としては、エドワード・P・ジョーンズ『地図になかった世界』という傑作があります。
 実際、この『優しい鬼』も、レアード・ハントが『地図になかった世界』の中の、夫がなくなった後に奴隷に反乱を起こされて働かされた白人女性の話にインスピレーションを得てつくられたものだそうです。
 また、奴隷制という「狂った世界」を描いたものとしては、アカデミー作品賞を獲った『それでも夜は明ける』があります。
 いずれも、奴隷制というものが人間のあり方そのものにも歪みをもたらすということが描かれていましたが、この『優しい鬼』もそうした作品といえるでしょう。
 ただ、そのアプローチの仕方はまったくちがうものです。


 物語は主人公のジニー・ランカスターが14歳のときに、ほとんど騙される形でライナス・ランカスターという独裁的な男の再婚相手となり、ケンタッキーの山の中のライナスの持つ「楽園(パラダイス)」に行くところから始まります。
 そこは「楽園」など言うものとは程遠いたんなる農場なのですが、そこにはジニーよりも年下のジニアとクリオミーという二人の奴隷の娘や、不思議な話をするアルコフィブラスという奴隷がいました。
 語り手は、すべてを経験したあとのジニーで、牧歌的でありながら、のちの悲劇をほのめかすような形で物語は語られていきます。ライナスに支配されながらジニアやクリオミーを支配するジニー。そんなねじれた関係を、やや幻想的でありながら的確に描いていくのです。


 『インディアナインディアナ』を読んだ印象からすると、レアード・ハント奴隷制のような「重い」テーマはしっくりこないような気もしていたのですが、読んでみるとフォークナー的なアメリカの田舎の「暗い部分」を的確にえぐっていると感じるのです。
 220ページほどの小説ですが、ずっしりと来る読後感を残す小説ですね。


優しい鬼
レアード・ハント 柴田元幸
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