ロベルト・ボラーニョ『はるかな星』

 白水社から刊行中の<ボラーニョ・コレクション>、前回の配本は、架空のアメリカ大陸のナチ文学者の人物事典『アメリカ大陸のナチ文学』でしたが、その最後に収められていたのは、空中に飛行機で詩を書くというパフォーマンスを行った人物を描いた「忌まわしきラミレス=ホフマン」でした。
 「忌まわしきラミレス=ホフマン」は詩人でありパイロットであり、そしておそらく猟奇的な殺人者であったのですが、そのエピソードを改めて長編としてまとめてみせたのが、この『はるかな星』です。 
 このように書くと新鮮味にかける小説に思えるかもしれませんが、ボラーニョの主要モチーフの「詩人」「失踪」「根源的な悪」といったものがすべて出そろっており、面白い小説です。大長編『2666』や『野生の探偵たち』への入門としても適当な小説と言えるでしょう。


 主人公が学生時代に詩のサークルで出会ったアルベルト・ルイス=タグレという男は、ハンサムで洗練されていながらどこか謎めいた男で、主人公の周囲に不吉な印象を残します。
 1973年、チリでクーデターが起こり主人公を取り巻く環境は一変します。主人公は逮捕され、その後ヨーロッパへ渡るのですが、ルイス=タグレはカルロス・ビーダーと名前を変え、チリ空軍のパイロットとして空中に飛行機で詩を書くというパフォーマンスを行い、一躍時の人となります。
 詩の内容はともかくとして、そのセンセーショナルなパフォーマンスは、軍のクーデターによって体制転換がなされたチリで多くの人からの賞賛を浴びるわけですが、彼はさらにセンセーショナルな写真展を披露した後に姿を消します。そして漏れ伝えられるその写真展の内容から、読者はカルロス・ビーダーが「根源的な悪」であることを知るのです。


 この小説では、他のチリ人の詩人のその後の行方が語られたあと、消えたカルロス・ビーダーの消息を追うストーリーが展開されます。
 主人公は、カルロス・ビーダーの消息を追う探偵から「詩人を見つけ出すにはほかの詩人の手助けが必要なんだ」(130p)と言われ、ヨーロッパ各地で発行された詩やその他の文学の同人誌などを読み、カルロス・ビーダーの影を探します。


 ここからは読んでのお楽しみということになりますが、いかにもボラーニョ的なテーマやモチーフが出揃っていることがわかると思います。
 そして、このカルロス・ビーダーという男は、たんに奇抜なだけではなく、現代のアートが抱える問題を鋭くえぐっているような人物でもあります。現代のアートでは、「センセーショナル」なものがもてはやされます。普通に紙の上に詩を書くよりも空中に書いたほうがより「センセーショナル」です。しかし、「センセーショナル」なものといえば、反倫理的なもの、それこそ猟奇殺人なども「センセーショナル」なわけです。
 そういった問題意識がおそらくボラーニョにはあったのではないと思われます。『2666』の第4部では猟奇殺人がひたすら羅列されていく記述がありますが、それによって個別の事件をセンセーショナルに消費できないようなしくみになっています。読者は延々と続く猟奇殺人の記録を読まされることによって、猟奇殺人を心理学的に解釈するようなロマンティシズムを封印されるのです。
 

 というわけで、繰り返しになりますが『2666』を読む前の第一歩としても良いと思いますし、『2666』を読んだ人にとっても、ボラーニョの一つの出発点として興味深く読める小説だと思います。


はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)
ロベルト ボラーニョ 斎藤 文子
4560092664