ダニエル・アラルコン『夜、僕らは輪になって歩く』

伝説の小劇団の公演旅行は、小さな噓をきっかけに思わぬ悲劇を生む――。内戦終結後、出所した劇作家を迎えて十数年ぶりに再結成された小劇団は、山あいの町をまわる公演旅行に出発する。しかし、役者たちの胸にくすぶる失われた家族、叶わぬ夢、愛しい人をめぐる痛みの記憶は、小さな噓をきっかけにして、波紋が広がるように彼らの人生を狂わせ、次第に追いつめていく――。ペルー系の俊英が放つ話題作。

 これがAmazonのページ載っている作品紹介。
 内戦が続いた国で流れている行方不明者を探すラジオ番組を舞台にした小説『ロスト・シティ・レディオ』でデビューしたダニエル・アラルコンの長編第二作になります。
 アラルコンはペルーで生まれ、アメリカに住み、英語で作品を発表している作家です。前作の『ロスト・シティ・レディオ』では舞台となる国が明示されていませんでしたが、今作では母国の舞台がペルーになっており、時代も2001年を中心とした時期に設定されています。


 主人公(少なくとも前半は主人公と言っていい)のネルソンは役者志望の芸術学校の生徒。彼は伝説的な劇団「ディシェンブレ」の復活を聞き、オーディションに参加、見事に選ばれます。
 「ディシェンブレ」の劇作家のヘンリーは内戦時にテロリストの疑いをかけられて「収拾人街」と呼ばれる刑務所に収監されますが、政情の安定とともに釈放され、かつての仲間であるパタラルガとともに「ディシェンブレ」の復活を考えたのです。


 ヘンリーとパタラルガとネルソンの3人は、そのわずか3人でペルーの地方を巡り『間抜けの大統領』という風刺劇の公演を行っていきます。行き当たりばったりで行く先を決め、公演できる場所を探して劇を演ずる。そのような旅が始まります。


 と、このように書くと、ネルソンが旅の途中でさまざまな経験をして成長していく物語が目に浮かびます。ネルソンの兄がアメリカにわたっていながら、ネルソンは父の死でアメリカ行きをあきらめざるを得なかった境遇や、イクスタという恋人とのうまくいかない関係も、ネルソンの成長を語るための背景としてはうまく使えそうな設定だと思えるのです。


 ところが、読みはじめて少したつと「僕」という語り手が現れ、やや奇妙な印象を受けます。そして、物語が進むに連れてどんどんと、その「僕」の存在感が増してくるのです。
 しかも、途中からはその「僕」の語りによって、ネルソンに何か不幸なことが起きたことが示唆されます。主人公の成長物語にも見えた作品はページが進むに連れて不吉さを増していくのです。


 途中まで読むと、読者には「こういう不幸が起こるのではないか?」とある程度見当がついてくるように感じます。
 ところが、この本はその不幸な出来事が何度も延期されます。「ついに破局か?」と思うたびに、その破局は先延ばしにされるのです。
 読者にとって「わかっている」はずのネルソンの人物像もだんだんとわからなくなり、主人公かと思えたネルソンがいちばん謎めいた人物になっていきます。


 「訳者あとがき」によると、この小説は最初ネルソンの一人称で書かれていたらしく、それを「僕」という語り手が語る構造に書きなおしたそうです。
 そのせいもあって、全体としてややちぐはぐな印象もあります。「僕」を語り手としたことでミステリー的な要素も出てくるのですが、そういったミステリーとしてはあまりうまくいってないと思えるからです。


 けれども、その印象は最後の最後で覆されます。最後のネルソンの語りと行動によって、この「僕」という語り手の存在が、語り手と語られる対象の関係性や非対称性といったものを浮き上がらせる上で必要だったことがわかるのです。
 記憶は生き残った者、あるいは声を封じられていない者にしか語れない。当たり前のことですが、その重みを改めて感じさせる作品となっています。


夜、僕らは輪になって歩く (新潮クレスト・ブックス)
ダニエル アラルコン Daniel Alarc´on
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