横山和輝『マーケット進化論』

 サブタイトルは「経済が解き明かす日本の歴史」。経済史を専攻する経済学者が、日本におけるマーケット(市場)の発展を読み解いたものになります。
 もともとは『経済セミナー』に連載されたコラムが元になっており、きっちりとした経済史というよりは、それぞれの時代からトピックを抽出して、マーケットの発展を分析しようとしています。
 250ページほどの本で律令制以来の日本の経済史を分析しているため、「広く、浅く」という面は否めないのですが、高校の歴史の教科書などと比べると、経済学に基づいた本質的な議論がなされていますし、各時代ごとにぶつ切りになるのではない、まとまった見通しが得られます。
 また、史料に関してもなかなか面白いものを紹介しています。


 この本では日本史におけるマーケットの進化の7つの局面として5ー8pで次のものをあげています。

1.律令制の時代:市場経済の黎明
2.鎌倉・室町時代市場経済の発展
3.戦国時代:公権力による市場設計
4.徳川時代:全国覇者による市場設計
5.明治維新:産業化の時代
6.関東大震災:市場の機能を活用した復興
7.昭和:市場経済、冬眠の時代へ

 この7つの局面にそれぞれ1章を割き、さらに「面積と土地制度」、「交通のイノベーション」、「金利計算と金融教育」、「小学校教育と経済発展」という4つの章を付け加えています。


 平城京平安京に市が置かれたという事実を知っている人は多いと思いますが、その市がどのように機能して、どのような金儲けの場になったのかというと、教科書の記述などではよくわかりません。
 この本では、市では和市(わし)という価格(交換比率)が形成されるとともに、市司が10日ごとに沽価(こか)という公定価格を決めたということを利用して、寺院がその2つの価格をうまく利用して利益を上げたことが紹介されています。
 さらに地方の市の価格と沽価の差を利用して、儲けようという国司なども出現し、政府によってそれが取り締まれられたこともあったようです(27ー28p)。


 さらに34p以下では塩の荘園が紹介されています。荘園というと農地を囲い込んだものと思いがちですが、この本で紹介されている伊予国弓削島荘は荘園領主の東寺に塩を納めていました。
 塩のような貢納物からうまく利益を上げるにはマーケットの活用が欠かせません。荘園領主たちはマーケットを活用し、それと同時に座が発展しました。
 これらの座は寺社のもとで発展しますが、著者は寺社がマーケットで大きな存在感を持った背景として、情報や人が集まる機能、神仏に使える物同士が取引することによって裏切りを防ぐ機能があったことなどを指摘しています(41ー43p)。


 しかし、戦国時代に入ると荘園領主や寺社の権威は低下し、今までのようにマーケットは機能しなくなります。戦国時代には全国レベルで指令経済を通じて資源配分ができる存在も、市場を全国一律の基準で見守ることのできる存在もいなくなります。
 一方、戦国大名の領国支配にとって商工業者の誘致は死活問題だったため、戦国大名は定期市のルールである市場法(いちばほう)を制定し、市場の秩序維持に努めました。有名な織田信長の楽市令も、誰もが商売できるということを決めるだけでなく、押買(不当に安い料金で商品を購入しようとする行為)や乱暴狼藉などを禁止しています。
 また、多様な銭貨が流通していたため、その価値の保証も戦国大名の仕事の一つとなりました。そのために出されたのが撰銭令ですが、同時に上杉氏は天正金と呼ばれる通貨、毛利氏は石州丁銀と呼ばれる銀貨を鋳造するなど、信用できる銭貨をつくりだそうとしました。この問題は結局、米が大規模取引に用いられるようになり解決されていきます。


 徳川幕府が成立するとマーケットのルールを決める統一的な権力が登場することになりますが、大名の収入が米だったことや、江戸の金遣いと上方の銀遣いの違いといった江戸時代のしくみは、両替商の行う複雑な商売を生み出しました。
 幕府は商人たちに対し株仲間の結成を認め、商人集団の自律的なルールによって、市場を機能させようとしていきます。


 しかし、天保の改革を行った水野忠邦はこの株仲間を解散させました。株仲間こそが物価騰貴の原因だと考えたのです。経済学の教科書的には株仲間は一種の独占であり、その独占を禁止すればその商品の価格は下がるはずです。
 ところが、物価は下がりませんでした。当時、在郷商人の台頭によって株仲間の統制力はすでに落ちており、さらに株仲間が担っていた集荷機能がはたらかなくなることで江戸では品不足と物価騰貴に見舞われました。
 「単に自由競争を促すだけでなく、市場の機能不全を防ぐ仕組みが必要」(106p)だったのです。


 この「市場の機能不全を防ぐ仕組み」は開港後や明治維新後においても必要とされました。
 開港後、生糸が海外へと輸出されましたが、外国商人相手に粗悪品を売りつける商人もいました。今まで、株仲間のような閉鎖的な集団で取引を行っていた者にとって見知らぬ相手への「信用」はあまり重視されなかったのです。
 この問題を解決するために、群馬県では県(幕末期からの取り組みもあった)と生産者がブランディングを行い信用を獲得しようとしました(このあたりは『花燃ゆ』でもやってた)。一方、福島県は県令と県会の対立の激しさなどから、このブランディングに失敗したといいます(127p)。
 この後、この本では関東大震災の復興時における電力会社のM&A、昭和恐慌期の経済政策などについて触れています。
 

 ここまでが通史的部分で、さらにこの本はいくつかの面白いトピックをとり上げています。
 例えば、194ー195pに載っている、検地のときに使われた田地の形状の基本パターンの図やその計算方法についての史料は初めて見ましたし、明治期の小学校で複利の計算問題が扱われていたという話(224ー229p)も興味深いです。


 そんな中で一番勉強になったのが、「交通のイノベーション」でとり上げられていた運脚の話。
 律令制下において税を都まで運ぶのも農民の負担であったことはよく知られています。農民にとってほぼ歩くしか選択肢がない中、これは無茶な制度なわけですが、一応、律令政府は所要日数などを計算していました。
 それによると、税を運ぶ上りはおよそ時速2キロで1日8時間、手ぶらになった下りは時速4キロで1日8時間と計算しており、伊豆からだと上りは22日、下りは11日としていました。まあ、机上の計算ですよね。
 当然ながら、この負担は特に遠隔地にとってはあまりに大きく、地域差を伴いながら荘園制へと移行していくわけです。


 ざっと目についたところを書いてみましたが、これ以外にもいろいろと面白いトピックが紹介されています。
 歴史好き、経済好きの人には面白く読めるでしょうし、経済史を教えるときのネタに困っている中学や高校の歴史の教員にとっても、非常に役に立つ本だと思います。


マーケット進化論 経済が解き明かす日本の歴史
横山 和輝
4535558140