苦しみの中にいる人を助けたい―。
そのように考え、
行動した人道主義が
支配の構造をつくり出してきた。
これはこの本の帯に書かれている文章。タイトル自体もそうですが、なかなか刺激的で挑戦的なものだと思います。
人道主義というと「良い介入・統治と悪い介入・統治を分ける基準」(5p)になるものだと考えられていますが、人道主義こそが統治を「する側」と「される側」を規定し、先進諸国による途上国への「支配」を正当化してきたのではないか?ということが著者の問題提起になります。
目次は以下の通り。
第1章 英領インドと人道主義―野蛮、独裁、無秩序
第2章 アフリカと人道主義運動―奴隷、ネイティブ保護、植民地主義
第3章 トラスティーシップの国際化と人道主義
第4章 貧困と支配―開発トラスティーシップの出現
第5章 人道的危機と介入―冷戦後の平和構築トラスティーシップ
終章 人道主義の二分法を超えて
この目次を見ると、特定の時代の人道主義の問題点をとり上げるだけでなく、それこそ植民地支配の時代から現代に至るまでの長いスパンの中で人道主義を問題視していることがうかがえると思います。
著者が目的とするのは「悪い人道主義」と「良い人道主義」を区別することではなく、人道主義そのものに内在する問題を抉りだすことなのです。
この本でたびたび登場するのが「トランスティーシップ」という言葉です。
著者はこのトランスティーシップという言葉を「国際社会における介入、統治を「する側」と「される側」の非対称な関係、および介入・統治の場を指すもの」(6p)と定義しています(辞書的な意味だと、受託人(管財人)の職、信託統治、信託統治領など)。
このトランスティーシップはイギリスが自らの植民地支配を正当化する概念として使われ、非ヨーロッパ人を保護・発展させる責任といったものがこのトランスティーシップを支えました。
現在、さすがに「進んだヨーロッパ人が遅れた未開の人々を導かねばならない」と大真面目に唱える人はいないでしょうが、人道主義は生きています。そして人道主義こそがトランスティーシップを正当化しているというのです。
第1章はイギリスのインド統治についてです。
イギリスのインド統治に大きな影響を与えたのがジェイムズ・ミル(J・S・ミルの父)による『英領インド史』でした。この本では、インドが「遅れている」のはヒンドゥー教などによって人々が抑圧されているからだとされています。そこから、J・S・ミルをはじめとする功利主義者たちは、イギリスがインドを統治する正当性を見出しました。
彼らはインドを発展させる処方箋として「教育」に注目し、教育や社会制度・政治制度の改良によってインドの発展は可能だと考えていました。ただ、そのとき誰が改良するのかというと、それはもちろんイギリス人ということになります。
功利主義者に影響を受けた植民地官僚は、インドの「遅れた」慣習を廃止し、人々を独裁から解放しようとします。しかし、1857年にインド大反乱が起きると、性急な介入が反乱を引き起こしたとの批判が出て、インドを無秩序な状態にさせないためにインドの伝統的な政治・社会システムを利用する「間接統治」の考えが浮上します。
植民地支配というと「搾取」というイメージが付きまといますが、インド統治に関わったイギリス人の中には人道主義的な理由から支配を正当化する人も多かったのです。
第2章ではアフリカに対する植民地支配と人道主義の関係が分析されています。
19世紀、欧米の中で反奴隷運動の機運が高まり、1833年にはイギリスで「奴隷制度廃止法」が成立します。しかし、この法律ができた後も奴隷貿易はなくならず、奴隷に反対する人々はアフリカ社会の中にこそ問題があるのではないかと考えるようになりました。
反奴隷を訴えたイギリスの議員のバクストンは、奴隷の供給者に注目します。彼はアフリカ人を「残虐で欲深い存在」(73p)として描き、アフリカ社会を変えることこそ奴隷廃止のために必要なことだと考えるようになりました。そして、奴隷貿易を取り締まるために、イギリスの軍事力の使用、海軍基地の建設、統治権の確保などを求めたのです(76ー77p)。
また、この19世紀には白人入植者からコイサン人などのネイティブを守る運動も起こりました。白人入植者達によってコイサン人は土地を追われ、奴隷のように扱われるケースもあったからです。
ここでも、ネイティブのためのという理由で持ちだされたのはイギリスによるパターナリスティックな統治です。南部アフリカをイギリスが統治することによってネイティブは保護され、やがて帝国の臣民として育っていくというのです。
第3章では19世紀末から、第一次世界大戦後の出来事がとり上げられています。
欧米列強によるアフリカへの植民地支配の正当性は、アフリカ人への虐待が明らかになったコンゴ自由国事件と南アフリカ戦争によって大きく揺らぐことになります。そんな中で、アパルトヘイトの萌芽ともいえる考えも出てくることになります。探検家で作家のメアリー・ギングズリーは、アフリカ人の独自性を尊重しつつ、「白人の文明に適用すべき政治的理念は、ネイティブの統治には大抵適用すべきでないとわれわれは気が付きました」(111p)と述べるように、白人とアフリカ人の「分離」を主張するようになります。
さらに第一次世界大戦は、欧米列強の植民地支配を揺るがしましたが、トランスティーシップという考えがむしろクローズアップされた面もありました。
アルメニア人の虐殺などによって「非人道帝国」(126p)というレッテルを貼られたオスマン帝国は解体され、その支配地域などを統治するために信託統治という方法が生み出されます。
例えばイラクでは、イラク社会についてほとんど知らないインド省から派遣された官僚たちが、インド統治のやり方に基づいて統治をしようとしました。人道主義の名のもとに解体されたオスマン帝国の支配地域は、植民地のように統治されることになったのです。
第2次世界大戦後、植民地は次々と独立していくことになります。もはや人道主義を理由とした植民地支配というものは考えられなくなるのですが、新たに「開発トランスティーシップ」と呼ばれるものが出現します。
第1次世界大戦後、イギリスでは「貧困」が社会問題化されますが、その「貧困」は植民地にも見出されていきます。そして、この「貧困」を解決するためには教育や保健への投資が必要であり、それをイギリスが担うべきであるという言説が生まれたのです。
結局、イギリスによる植民地開発計画は頓挫し、植民地は独立していくことになるのですが、この「開発トランスティーシップ」は、冷戦期のアメリカの援助、そして世界銀行などで生き延びました。
特に世界銀行においては、1968年にロバート・マクナマラが総裁に就任すると、世界の貧困を解決するために大規模な開発援助に乗り出しました。
この開発援助は成果を上げた面もありますが、著者は同時に「対象社会の誤った表象、基本的な政策パッケージの誤った適用、開発の権威主義的傾向と現地住民のディスエンパワーメント」(169p)の3つの負の効果もあったといいます。
例えば、道路などのインフラ整備が安い穀物の流入につながり、かえって現地の農業に被害を与えるケースもありましたし、開発が現地政府の中央集権化を押し進めることになったり、現地政府が報告書の提出に追われる現象を生み出したりしました。
開発援助がかえって現地の人々を抑圧することになったケースも数多く見られるのです。
冷戦が集結すると、今度は「破綻国家」が問題視されるようになり、「平和構築トランスティーシップ」と呼ばれるものを生み出しました。
途上国の政府の中には次国民の権利を守らず、むしろ自国民を収奪し、その生命を危機に晒すようなものもあります。こうした時、国連や先進国の暫定統治によって、最低限の秩序を取り戻すことが必要であり、そのために実力行使が許されるとする考えが力を持つようになったのです。
80年代後半以降、「介入する権利」、「人間の安全保障」、「保護する責任」といった概念が登場してきますが、いずれもその国の政府の主権を制限して、先進国が介入することを正当化するロジックになりえます。特にルワンダでの虐殺は、この「平和構築トランスティーシップ」を人道主義によって基礎づける大きな契機となりました。
また、この「平和構築トランスティーシップ」の考えに基づき、カンボジアでは国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が行政・立法・司法権限を握り(213p)、ボスニア・ヘルツェゴビナではボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表事務所(OHR)が1995年から現在に至るまで活動を続けていますし、コソボにおいても暫定統治は続いています。
これらの国では民主的な政治体制を築くために非民主的な国際機関が統治を行うというねじれたことが行われましたが、このねじれを正当化したのもまた人道主義なのです。
こうした人道主義とトランスティーシップの関係の歴史をたどった上で、著者は終章で次のように述べています。
先行研究では「善なるトランスティーシップ」と「悪なるトランスティーシップ」を人道主義に沿って峻別してきた。「善なるトランスティーシップ」は人道主義を具体化した介入・統治で、「悪なるトランスティーシップ」は人道主義を濫用した介入・統治である。
しかし、人道主義とトランスティーシップが相互構成的な関係にあるとすれば、この二分法は適切ではない。人道主義は植民地主義の時代からトランスティーシップを構成してきた。脱植民地化後、植民地トランスティーシップは否定されたものの、人道主義はトランスティーシップの必要性そのものについては疑問を呈していない。人道主義は、自らがトランスティーシップの介入する側が地政学的利益を追求するのを手助けすをしていると自覚したとしても、人道的な目的を達成するために「より少ない悪」としてトランスティーシップの非対称性を正当化する傾向にある。(237p)
しかし、著者は人道主義そのものを否定したいわけではありません。「もしトランスティーシップと人道主義を誰かに対する抑圧のゆえに批判するならば、その批判もまた何らかの人道主義を採用していることになる」(239p)わけです。
「支配する人道主義」という刺激的なタイトルのもと、人道主義とトランスティーシップの長い歴史をたどり直してきた本書ですが、著者の主張は「トランスティーシップと人道主義につきまとう潜在的な危険性を認識すべきである」(239p)という、ある意味でささやかなものです。
けれども、個々の事例における人道主義の陥穽を指摘するのではなく、体系的に人道主義のもたらす問題点を取り出してみせた所に本書の大きな意義があるといえるでしょう。
このように非常に面白い本でしたが、国際政治学の外野からの感想としては、237pで少し言及されている「政治から切り離された人道主義」についての考察がもう少しあっても良かったと思います。
「「政治から切り離された人道主義」などない」というのもひとつの考えですが、それこそ「ウィー・アー・ザ・ワールド」やU2のボノが中心となった「ジュビリー2000」などは、「政治から切り離された人道主義」というイメージを持つものであり、近年の人道主義の一つのシンボルです。この辺りを含むとより包括的な人道主義の検討になるのではないでしょうか。
支配する人道主義――植民地統治から平和構築まで
五十嵐 元道