ナーダシュ・ペーテル『ある一族の物語の終わり』

 松籟社<東欧の想像力>シリーズの第13弾は、現代ハンガリーの作家ナーダシュ・ペーテルの初期の長編。ちなみにハンガリーは日本と同じ姓−名表記なので、ナーダシュが姓。名前のペーテルは、同じく<東欧の想像力>シリーズの『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし』エステルハージ・ペーテルと同じになりますね。
 ナーダシュはユダヤ系の家に生まれていますが、ハンガリーに同化するために祖父の代に、姓をノイマイヤーからハンガリー語のナーダシュに変えています。


 主人公はシモン・ペーテルという小学年低学年くらいの少年。この少年が語り手となって話が展開していくのですが、著者はこの子どもの語り手という立場にこだわっており、あえて周囲の正確な状況を書かないままにしています。読み手は子どもと同じように断片的に世界を把握していくわけです。
 主人公は、基本的に祖父母に育てられており、母親はいないようで、父親は秘密警察の一員ということがだんだんとわかってきます(舞台は1950年代前半のハンガリーのようです)。
 主人公は隣に住む友だちと秘密基地などをつくって遊んだりしながら、祖父からはユダヤ人にまつわるさまざまな話を聞いたりします。
 子どもと祖父母、あるいはおじさんとの交流は東欧文学によく見られるパターンですが、この『ある一族の物語の終わり』も、祖父母から少年がさまざまな話を聞く物語になっています。
 そして、法螺も混じったような祖父母の話というのが、子どもの理解力と相まってユーモアを生み出していくのです。


 ただ、この『ある一族の物語の終わり』には秘密警察の父という一切のユーモアを拒絶するような存在があります。
 この父親の存在は、当初の小説世界において明らかに異質なのですが、後半になると父親の世界がグッとせり出してきます。そして、物語は始まった当初からは想像もできなかったような場所に着地します。牧歌的な少年時代は、「政治」によって完全に奪われてしまうことになるのです。
 この物語の転換は怖さを感じるほど見事だと思います。


 ここ最近、当たり外れのあった<東欧の想像力>シリーズですが、これは当たり。これぞ東欧文学という屈折した語りや、悲劇に至るユーモアがあり、東欧文学好きには間違いなくおすすめできる作品です。


ある一族の物語の終わり (東欧の想像力)
ナーダシュペーテル 早稲田 みか
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