著者はグアテマラ生まれの作家。「グアテマラ生まれの作家の作品のタイトルがなぜ「ポーランドのボクサー」?」と思う人もいるかもしれませんが、それは著者の一家の複雑な生い立ちに理由があります。
著者のエドゥアルド・ハルフォンはユダヤ系で、母方の祖父はポーランドに生まれ、アウシュビッツを生き延びたアシュケナージ系のユダヤ人で第二次世界大戦後にグアテマラに移住しています。父方はアラブ世界にルーツを持つセファルディ系のユダヤ人になります。
1981年にハルフォンの一家は内戦を避けるためにアメリカに移住。ハルフォンはアメリカでは工学を専攻しましたが、28歳のときにグアテマラの大学に戻り、スペイン語で小説を書くことを選んだそうです。
この本はハルフォンの短篇集と中編を、著者の考えに沿って配列した日本オリジナルのもので、その一つの核となるのが、アウシュビッツを生き延びた母方の祖父の話になります。
母方の祖父の左腕には「69752」という五桁の数字があり、祖父はそれを電話番号だと言っていましたが、死の間際になって著者はそれがアウシュビッツの囚人に対して彫られてものだということがわかります。そして、その祖父から祖父の命を救ったポーランド人のボクサーの話しを聞くのです。
このように書くと、「なるほどこの本はホロコースト文学なのか」と思う人もいるかもしれませんが、冒頭の2つの短編、「彼方の」と「トウェインしながら」を読むと、そういった印象はまったく受けません。
大学で小説について教える著者とそこに現れた詩の才能のある若者の交流を描いた「彼方の」や、マーク・トウェインについての会議に招かれた時の様子を描いた「トウェインしながら」から受ける印象は、ずばりロベルト・ボラーニョです。
ボラーニョはチリに生まれながらクーデターによって祖国を追われるのですが、ハルフォンのその根無し草的な感じや、ときに吐き捨てるような文体はボラーニョを感じさせます(訳者がボラーニョも訳しているという面もあるかもしれませんが)。
ラテンアメリカ文学ながら、ガルシア=マルケスやバルガス=リョサらとはまったく違う世界がそこには広がっています。
「根無し草的」と書きましたが、著者は自らのユダヤ人としてのルーツにはこだわりつつも、「ユダヤ的なもの」には距離をとっています。
特に妹の結婚式のためにイスラエルを訪れた時のことを描いた「テルアビブは竈のような暑さだった」などでは、正統派のユダヤ教への嫌悪感が示されており、また、イスラエルに建設されている「壁」についても批判的に触れています。
この作品集のもう一つの核はセルビア出身でジプシーに関わりを持つラキッチというピアニストとの交流です。
一つの場所に留まることを嫌い、行く先々から著者に絵葉書を送ってくるラキッチ。やがてその絵葉書が途切れ、著者はラキッチを探してセルビアのベオグラードへと渡ります。そして、ジプシーの世界へと足を踏み入れていくのです。
この作品集のテーマの一つはアイデンティティということになるのでしょうが、そのアイデンティティは、わかりやすい「ホロコーストを生き延びたユダヤ人の孫」というものに落ち着かずに、むしろ落ち着くことを拒否するように小説の世界が動いていきます。
「日本文学」、「アメリカ文学」、「ロシア文学」といったくくりが通用しなくなってきている近年ですが、このハルフォンはまさにそういったくくりをさせない存在です。
この後、どのような作品を発表していくのかはわかりませんが、非常に面白い存在であり、また優れた書き手と言っていいでしょう。
ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)
エドゥアルド・ハルフォン 松本 健二