ジェイン・ジェイコブズ『市場の倫理 統治の倫理』

 『アメリカ大都市の生と死』で知られるジェイコブズが社会における2つの道徳体型について語った本。以前から読みたいなと思って、古本屋などで探していたのですが、今年の2月にちくま学芸文庫から復刊されたので読んでみました。


 この本の、「道徳体型には市場の倫理と統治の倫理という2つのものがあって、それが混ぜ合わせると腐敗が起きる」という基本的な主張は知っていたのですが、この本が対話篇の形式を持つ本だとは知りませんでした。
 プラトンの書いた対話編と同じようにある主張が厳密に証明されているわけではないのですが、とり上げられている問やエピソードには広がりがあり、良い意味で「哲学的」な本になっていると思います。


 世の中には、道徳的な価値が衝突するケースがあります。例えば、この本の冒頭では製材会社の森林破壊を告発するために、テレビ局をだましてそれを報道させるという話が登場人物から語られます。
 これによって森林は守られましたが、そのために「だます」という道徳に反する行為がなされています。これをどう考えればいいのか?
 あるいは、ある会社が倒産を免れるために一時的に会計をごまかし、それによって倒産を免れたようなケースはどうでしょう? これらの行為は犯罪ですが、おそらくやった当事者は「会社や従業員を守るために仕方がなかった」というような弁明をするでしょう。


 このような道徳の衝突に対して、例えば功利主義はその結果から正しい行為を導き出そうとしましたし、カントは道徳法則を擁護しようとしました。
 これに対して、ジェイコブズは道徳には2つの体系があり、それを適用すべきケースがそれぞれ違うのだという議論をします。
 そして、この2つの体系をそれぞれ「市場の倫理」と「統治の倫理」と名付けるのです。


 それぞれの倫理は以下の通りです。


市場の倫理

暴力を締め出せ
自発的に合意せよ
正直たれ
他人や外国人とも気やすく協力せよ
競争せよ
契約尊重
創意工夫の発揮
新奇・発明を取り入れよ
効率を高めよ
快適と便利さの向上
目的のために異説を唱えよ
生産的目的に投資せよ
勤勉なれ
節倹たれ
楽観せよ


統治の倫理

取引を避けよ
勇敢であれ
規律順守
伝統堅持
位階尊重
忠実たれ
復讐せよ
目的のためには欺け
余暇を豊かに使え
見栄を張れ
気前よく施せ
排他的であれ
剛毅たれ
運命甘受
名誉を尊べ


 このような2つの道徳体型を想定するのはジェイコブズのオリジナルというわけではなく、実はプラトンが『国家』の中で述べています。
 ただ、プラトンが「統治の倫理」的なものを重視しているのに対して、ジェイコブズは「市場の倫理」を重視するアプローチからこの区分にたどり着いたようです。この本の第2章の原注(413p)には、最初、2つの道徳律を「商人」道徳と「略奪者」道徳と名づけていたこと、のちに「「略奪者」道徳律が商人道徳律同様に道徳として有効であり、正当な領土的関心に根ざしていることに気づいた」ということが書いてあります。


 例えば、嘘をつくことは市場のなかでは排除されるべき行為です。商品の品質について嘘をつく商人ばかりならばその市場は衰退していくでしょう。
 一方で、外交官や軍人にはときに嘘をついてでも国益を守ることが求められます。「空城の計」を用いたとされる諸葛孔明を「うそつきだ!」と批判する人は少ないと思います。信長の死を隠して毛利軍と交渉した秀吉に関しても同様です。
 仲間や領土を守るための道徳律と、幅広い取引を行うための道徳律は違うものなのです。


 ジェイコブズはこの2つの道徳律の起源を、人間の2つの生活様式である「取ること」と「取引すること」に求めています。動物には1つの生き方しかないが、人間には2つの生き方があって、それが違った道徳律を生み出すというのです。
 このあたりの議論の成否については何ともいえない所があるので、興味のある人はぜひ本書を読んで確かめて下さい。


 そしてこれらの道徳律が混ざること、あるいは場違いに使われることが大きな腐敗を生むといいます。
 例えば、共産主義は「統治の倫理」によって市場をコントロールしようとして失敗しましたし、逆に統治者が「市場の倫理」に従って腐敗することもあります。この本の286p以下では、警察官を労働時間あたりの逮捕件数で評価するようにしたら、でっち上げ逮捕が発生してしまったとう話がとり上げられていますが、これなどは「統治の倫理」に「市場の倫理」を持ち込んでしまった失敗例といえるでしょう。
 

 『稼ぐまちが地方を変える』NHK出版新書)や『地域再生の失敗学』光文社新書)で、木下斉が行政の出す補助金をさかんに批判していることなども、このジェイコブズの考えをもとに考えるとよくわかると思います。
 
 
 この道徳の混合から来る腐敗を防ぐものとして、ジェイコブズは「カースト(身分)制」と「自覚に基づいた倫理選択」の2つをあげています。
 当然、「自覚に基づいた倫理選択」でしょ、と言いたいところですが、この本の面白いのはカースト制もそれなりに合理的なシステムだとしている点。例えば、江戸時代は身分によってこの道徳の混合を防ごうとした社会の代表例としてあげられています。武士を商売にタッチさせず(だんだんとそれは崩れていきますが)、商人を統治にタッチさせないことで江戸幕府は安定した社会をつくり上げたのです(朝ドラの「あさが来た」の新選組の土方とあさの対決などは、まさにこの2つ世界の道徳の対立だった)。
 ジェイコブズは第二次世界大戦後の香港なども、統治と市場がうまく分離した例としてあげています(354ー355p)。
 しかし、このカースト制には落とし穴もあります。この本では20世紀のイギリスの衰退を、商人たちが次第に上流階級である統治者のライフスタイルを真似るようになったことに求めています。
 このあたりの議論も適切なのかどうかよくわからない部分はありますが、対話篇ならではの自由なアイディアの表出があって、こうした議論もこの本の売りになっていると思います。


 社会科学の本として読めば、「エビデンスは?」みたいなことになると思うのですが、この本はそういったものではなく、社会科学の基盤を提供するような、まさに「哲学的」な本になっていると思います。


市場の倫理 統治の倫理 (ちくま学芸文庫)
ジェイン ジェイコブズ Jane Jacobs
4480097163