マキシーン・ホン・キングストン『チャイナ・メン』

 藤本和子翻訳で『アメリカの中国人』というタイトルで刊行された「小説」が、新潮文庫の「村上柴田翻訳堂」シリーズで復刊。柴田元幸の推薦ということだそうです。
 まず、最初に「小説」とカッコを付けたのは、この本はきれいにジャンルに収まらないものであるため。作者のマキシーン・ホン・キングストンアメリカの中国系移民の家に生まれた女性で、自らのルーツについて語ったこの『チャイナ・メン』は1980年に発表され、全米図書賞のノンフィクション部門を受賞しました。
 

 「ノンフィクション部門」と聞くと、「中国系移民の苦難の歴史を描いた記録」といったものが想像されますが、この本の語りはおおよそ「記録」とは程遠いものです。
 確かにこの本には、ハワイのさとうきび畑で働かされる中国人や、大陸横断鉄道の工事のために働かされる中国人労働者の話が出てきます。しかし、そこには荒唐無稽なエピソードも流れんこんでおり、また同時に本の途中には中国の説話なども組み込まれています。
 解説で村上春樹は「完全にナラティブな世界」と言っていますが、まさに「ナラティブ」(語り)といっていいものになっています。


 この本の最初の方に、作者が自分の父について語った次のような言葉があります。

 あなたはわずかな言葉と沈黙で語る。物語もない。過去もない。中国もない。
 あなたは中国人のように見え、中国語を喋る人にすぎない。中国服姿の写真も、中国の景色を背景にした写真もない。中華民国に対する支持を表すために辮髪を切ったのですか。それともあなたはずっとアメリカ人だったのですか。あなたが中国の過去を忘れることで、わたしたちに真のアメリカ人になれる機会を与えてくれるとでもいうのでしょうか。(22p)


 このような父の姿を探るために作者がとった手法というのは、父の足跡を丹念にたどり直すというものではなく、父の過去の可能性を描くことであり、「金山」とよばれたアメリカを目指した中国人移民のさまざまな運命を描いていくことです。
 例えば、この本ではニューヨークへ密航してくる父と、サンフランシスコに世紀の移民としてやってくる父の二つの姿が描かれています。これはもちろん矛盾しているのですが、著者は父のたどった可能性として、あるいは、中国人移民の姿として、その矛盾した2つの話を並置します。
 

 多くは出稼ぎのつもりでアメリカにやってきた中国人は、アメリカ社会の底辺で働き、やがて家族を作っていきます。そして、そのうちに中国は共産化され、中国という故郷とのつながりはますます薄れていきます。
 かといって、完全にアメリカ社会に溶け込んでいくわけでもありません。この本の最後に、ベトナム戦争に従軍(とはいっても海軍なので直接戦闘に参加したわけではない)した弟の話が出てくるのですが、朝鮮や台湾で自分が中国系アメリカ人だと告げると、「お前は運がいいな」と言われます。
 「自由の地を目指した」とかではなく、たまたまアメリカ人になった中国人たち。そんな中国人たちの姿をトータルで描こうとしたユニークな本だと思います。


チャイナ・メン (新潮文庫)
マキシーン・ホン キングストン Maxine Hong Kingston
4102200568