戸部良一『日本陸軍と中国』

 以前、講談社選書メチエから出ていた本が、このたびちくま学芸文庫で復刊。『失敗の本質』や『逆説の軍隊』、『外務省革新派』などの著作で知られる著者が陸軍の「支那通」について分析した本になります。
 カバー裏の内容紹介は以下の通り。

中国スペシャリストとして、戦前の対中外交を率いた陸軍「支那通」。その代表的人物・佐々木到一は、孫文はじめ中国国民党の要人と深い親交を結び、第二次北伐に際しては国民革命軍にも従軍した。しかし、その後、支那事変(日中戦争)では南京攻略戦に参加して、いわゆる南京「虐殺」の当事者となり、戦後、激しい批判にさらされることになる。革命に共感を寄せ、日中提携を夢見た彼らが、結果としてなぜ泥沼の支那事変へと両国を導くことになったのか。われわれは、どこで道を誤ってしまったのか?「支那通」の思想と行動を通して、戦前の日中関係の深層に迫る。


 まず、この本で中心的な人物としてとり上げられる佐々木到一です。この紹介文だけだと何か「深み」のある人物に思えますが、基本的にはいかにもダメな陸軍軍人といった印象で、特に魅力のようなものは感じません。
 国民党支持からの「転向」もほぼ私怨ではないかと思われるものですし、エリート崩れの狷介な人物が、中国に革命のロマンを求めた挙句に勝手に失望したというようなストーリーです。
 『外務省革新派』における白鳥敏夫もそうですが、著者は人間的魅力に乏しい人物を特に持ちあげるわけでもなく、その事績を丁寧に掘り出していきます。


 このように書くと特に読む価値のない本に思えてしまいますが、そんなことはありません。
 佐々木到一はあくまでも「支那通」の一類型であって、著者は「支那通」の誕生から終焉までをしっかりと追っていきます。この本の主役は佐々木到一ではなく、日本陸軍の「支那通」なのです。土肥原賢二板垣征四郎、磯谷廉介、岡村寧次、田中隆吉、影佐禎昭、本庄繁といった比較的知られている人物をはじめとして、数多くの「支那通」の動きを追っています。
 また、その「支那通」の動きを追うことで、辛亥革命以降の複雑怪奇な中国情勢、とくに軍閥の動向が見えてきます。


 基本的に陸軍の「支那通」は中国の情報を収集するために育成され、各地に派遣されました。彼らは軍閥の顧問などとして、軍閥をコントロールすることで日本の利益を確保しようとしましたが、軍閥に食い込むあまり、時には軍閥の意向を日本に取り次ぐメッセンジャーのような役割も果たしました。彼らからすると、軍閥を利用していた感覚でしょうが、同時に軍閥に利用された側面もあるのです。


 また、彼ら「支那通」には、たんなる情報将校にとどまらない、あるいはとどまろうとしない「想い」のようなものがありました。

 ところで、陸軍支那通の多くには、そうした情報将校としての任務意識だけが働いていたのではない。彼らにはしばしば、西洋列強の圧迫から東洋を守るという素朴な「東亜保全」のロマンティシズムが作用していた。陸軍支那通が単なる情報将校にとどまらない性格を有しているのは、大半がこのロマンティシズムに由来している。(263p)


 「東亜保全」のような「理念」を抱く彼らの中には、「利益」で動く軍閥の指導者に嫌悪感を抱くものもいました。この本の主役の佐々木到一がまさにそうですし、張作霖を嫌い、爆殺事件を引き起こした河本大作などもそうです。
 この軍閥への嫌悪感は佐々木を国民党へ接近させます。「利益」ではなく中国統一という「理念」で動く国民党の軍に佐々木は感銘を受けたのです。
 しかし、「支那通」の背後には日本の「利益」があり、その「利益」は中国統一という「理念」とは衝突するものです。佐々木は、中国統一の敵はイギリスであり、日本とは「理念」を共にしていると考えるわけですが、これは日本側の一方的な思い込みであって、中国における日本の利権が大きくなればなるほど、日本の存在こそが中国統一の「理念」を妨げるものになります。
 結果的に吹き荒れた排日の動きと、済南事件において中国兵に捕まり袋叩きにされたことによって佐々木は「転向」します。
 最終的に佐々木は日中戦争の南京攻略戦に第30旅団長として参加し、南京での「虐殺」に加わります。日中提携を夢見た佐々木は、中国人民にとって許しがたい存在になったのです。


 こうした陸軍の「支那通」について、著者から佐々木についての研究を聞かされた江藤淳は「佐々木が中国に裏切られたのは、中国が「他者」であるという認識にかけていたからだ」と言ったといいます(307p)。
 佐々木に関しては、まさにこの言葉に付け加えることはない感じですが、その他にもこの本は、明治期の「支那通」から、「支那通」による日中戦争和平工作まで扱っており、近代において日本軍が中国で何をしたのかということがわかる内容になっています。資料的な価値も高い本といえるでしょう。


日本陸軍と中国: 「支那通」にみる夢と蹉跌 (ちくま学芸文庫)
戸部 良一
4480097406