ロベルト・ボラーニョ『第三帝国』

 「詩」と「死」、「失踪」、「暴力」、「ナチス」。
 これらはボラーニョの小説に繰り返し登場するモチーフですが、この『第三帝国』もそれは同じ。
 タイトルの「第三帝国」はもちろんナチスドイツのことですが、この小説では第二次世界大戦をシミュレートした<第三帝国>というボードゲームが存在し、主人公はそのチャンピオンということになっています。


 ドイツ人の主人公ウドは、恋人のインゲボルグととも10代のころによく滞在したスペイン・カタルーニャの海辺のリゾート地にやってきます。そこで主人公はバカンスを楽しむとともに、雑誌に発表するための<第三帝国>の新しい戦術についての文章を書き、そして初恋の人ともいうべきホテルの支配人の妻フラウ・エルゼと再会するというのが彼のプランでした。
 主人公とインゲボルグの二人は同じくドイツから来ているチャーリーとハンナのカップルと仲良くなり、行動を共にします。さらにそこに<狼>と<子羊>というブラブラしているスペイン人の若い男二人が絡むようになり、夜の街などで遊ぶようになります。
 さらに、その<狼>と<子羊>を通じて、<火傷>と呼ばれている顔や首や胸に大きな火傷のある謎めいた男と知り合います。彼はビーチで貸し出すツインボートを管理していて、夜もそのボートを組み合わせてビーチで寝ています。
 小説を読み進めると、<火傷>がスペイン人ではなく南米出身で、しかも火傷は意図的に負わされたものだということがわかります。はっきりとは書いていませんが、南米の独裁政権下(やはりボラーニョの祖国であるチリのピノチェト政権か?)拷問を受けたという設定かもしれません。


 前半は、主人公の過ごすバカンスの様子が描かれているのですが、読ませる文章ではあるものの、取り立てて面白いものではありません。
 この小説は初期に書かれた長編ですが発表はされず、死後に遺稿が見つかり出版されました。ということで、完成品とは言いがたいですし、全体的な構成は甘いです。


 しかし、チャーリーとハンナの間に暴力の影が忍び寄り、チャーリーが失踪すると、小説は独特の色彩を帯び始めます。
 チャーリーを待つために当初の予定を変更してホテルにとどまった主人公は、最初は遊び半分で<火傷>を<第三帝国>のプレイに誘います。主人公がドイツ側、<火傷>が連合国側です。
 当然のようにチャンピオンである主人公は素人の<火傷>を圧倒するわけですが、<火傷>は途中で投げたりせず、驚くべき執着力でもってゲームに取り組みます。
 読者は「<火傷>がなぜこのゲームに拘るのか?」、「<火傷>とは一体何者なのか?」という謎に引っ張られ、ページをめくることになるでしょう。


 そして、後半にある<火傷>と同じく謎めいた人物であったフラウ・エルゼの夫と主人公が対面するシーンは何とも言いがたい迫力があります。
 ドイツの将軍をドイツ文学者に喩え、「マンシュタインギュンター・グラスに匹敵するし、ロンメルはさしずめ……ツェランだと言ってやろう」(305p)などと言っている主人公の軽薄さが破壊されるこのシーンは、ボラーニョのその他の傑作と比べても遜色のないものです。


 明らかに長い、という面は否めませんが、やはりボラーニョは読ませる小説を書く人間だなと思いました。


第三帝国 (ボラーニョ・コレクション)
ロベルト・ボラーニョ 柳原 孝敦
4560092672