トーマス・シェリング『ミクロ動機とマクロ行動』

 2005年にノーベル経済学賞を受賞し、昨年の12月に95歳で亡くなったトーマス・シェリングの比較的一般向けに書かれた本。
 ノーベル経済学賞を受賞したシェリングですが、経済学者というよりはゲーム理論の専門家と言うほうがその業績はわかりやすいかもしれません。実際、主著の『紛争の戦略』は、日本では政治学の名著を紹介する「ポリティカル・サイエンス・クラシックス」の1冊として刊行されており、政治学にも大きな影響を与えた人物です。


 そんなシェリングが書いた『ミクロ動機とマクロ行動』というこの本ですが、これまたなかなか適当なラベルを貼るのが難しい内容です。
 第7章を除けば、それほど難しい事は言っていません。さまざまな身近な事例をあげながら話が展開していくので、多くの人が「あるある」と思いながら読めるでしょう。
 そんな「あるある」な現象を、単純な「算術」とゲームの理論を始めとする経済学のいくつかの知見で読み解いたのがこの本です。


 目次は以下の通り。

第1章 ミクロ動機とマクロ行動
第2章 椅子取りゲームの数学
第3章 サーモスタット、レモン、クリティカル・マス・モデルなど
第4章 選別と混合―人種と性別
第5章 選別と混合―年齢と所得
第6章 子供たちの遺伝子を選ぶ
第7章 ホッケーのヘルメット、サマータイム―二値選択モデル
第8章 驚くべき60年―ヒロシマの遺産(ノーベル賞受賞講演)


 この本の冒頭では、著者が大きな講堂で講演を行ったときのエピソードがとり上げられています。
 著者が舞台の袖から客席を見たところ、そこからは前方12列ほどしか見えませんでしたが、そこはすべて空席でした。ところが、ガラガラの会場で講演をするのかと思って演壇に進むと、なんと13列目から後方までびっしりと席が埋まっていたのです。この状況は、大学の授業などで経験したことがある人もいるでしょう。前方中央部だけが爆心地のように空席になっていて他が埋まっているような状態です。
 おそらく、開場後早い時期に何人かが12列目に座り、最前列に座りたくないと考えた残りの人がその後ろに座っていったのでしょう。そしてある程度席が埋まると、今度は不自然に空いている前方の席を関係者席か何かと勘違いした人もいたのかもしれません。


 このように人の行動は、他の人の行動に左右され、それが不合理な状況を生み出してしまうことがあります。
 先ほどの講演のケースで言えば、12列目に座った人が最前列に座れば、後方はもっと余裕をもって座れたでしょう。そして、もしこのような誘導ができれば全体の厚生は改善できるはずです。


 この本で繰り返しとり上げられるのは、このような個人のちょっとした選択があまりよろしくない均衡をもたらしてしまう問題です。この「均衡」という言葉について、著者は次のように述べています。

経済分析が不必要に不信を招いているのは、経済学者が均衡を論じるとき、その状態を承認しているという前提にある。しかし均衡が好ましいという前提は、だいたいにおいて(いつもではないが)誤りだと私は考えている。(23p)

 

 均衡状態は人に行動の指針を与えてくれます。例えば、東京ではエスカレーターに乗るときに右を空けるという均衡が成立しています(正しい乗り方とはいえませんが)。東京に行った人はエスカレーターの左に立てばいいのです。一方、大阪では左を空けます。東京から大阪に行った人は周囲を見て自らの行動を修正する必要があります。
 エスカレーターのケースは均衡が成立していることが重要であり(安全面からは間違った均衡かもしれませんが)、右でも左でもどちらかに統一されていることが必要です。


 一方、プロ野球において周囲の選手がドーピングをしているので自分もドーピングをするというのはよい均衡とは言えないでしょう。
 この場合、コミッショナーなどがドーピングを厳しく取り締まり、みんながドーピングをしているという均衡状態を変えるべきです。


 また、この均衡をつくりだすものとして注目すべきなのが「クリティカル・マス」という現象です。
 もともとは原子力工学の「限界質量(クリティカル・マス)」という言葉からきているもので、核分裂反応が自律的に維持されるウラニウムの量を指します。この「限界質量」を超えるウラニウムがあれば、爆発的な連鎖反応が起きるのです。
 人間社会においても、こうした現象は見られます。この本で取り上がられている一例は、学期の最後の授業における学生の拍手です。一定以上の人が拍手をすれば教室全体が拍手をするでしょうし、その水準に届かなければ拍手は立ち消えになってしまい気まずい雰囲気が残るでしょう(102p)。


 他にもハーバード大学における「立ち消えになるセミナー」という例が紹介されています。あるテーマについて定期的に議論する自主的なセミナーを企画した場合、初回には多くのメンバーが集まります。ところが、3、4回目ともなると参加者は半分程度となり、さらに5、6人ほどになりこのセミナーは解散してしまいます。
 ここでポイントになるのはセミナーの内容だけではなく、メンバーの出席率です。高い出席率が続けば、多くの人が「行かねば」と感じ、高い出席率が維持されますが、欠席が増えると、欠席しても良い雰囲気が生まれ、また、実際に受ける刺激も減るのでますます欠席が増えます。こうしてセミナーは消えるのです。
 この本の第3章ではそうした問題を検討しています。


 第4章では、こうした他人を気にする行動が人種の住み分けを生んでしまうことが証明されています。
 南アフリカアパルトヘイトのように黒人の住む地域が指定されてるケースではもちろん人種が「分離」されますが、そうでなくても、例えば白人が隣人の半分が白人であることを望み、黒人が隣人の1/3が黒人であることを望むだけで「分離」が進行していきます。そして、一度「分離」ができあがると、それは均衡状態になるので、自然にそれが解消されることは考えにくいです。ただ、それ以外の均衡が存在しないわけではありません。異なる人種への寛容度や、多数派への規制や協調が行われれば、また別の均衡も可能なのです。


 他にもこの本の第2勝では、単純な「算術」をつかってさまざまな事象を解き明かしています。
 スキー場でリフトを待つ長い列ができている場合、「もっとリフトの速度を上げればいいのに」と思ったことがある人もいるかもしれません。しかし、リフトの速度を上げても基本的には無意味です。
 スキー客は、「リフトで上がっている人」、「斜面を滑っている人」、「リフトを待っている人」の3種類に分けられます。もし、リフトのスピードが増せば、「リフトで上がっている人」の数は減ります。斜面を滑っている人のスピードが増すわけでものないので、「リフトを待っている人」が増えます。つまり、リフトの速度を上げれば列はもっと長くなるのです(71ー72p)。
 これはある種の恒等式なのですが、見過ごされやすい関係となっています。


 また、「加速度原理」と呼ばれる関係性もあります。
 例えば、郵便局の職員が50万人いて、毎年5%(2万5千人)が退職し、そのぶん新規採用が行われています。そして、職員のうち5%が黒人で残りは白人だったとします。今、郵便局におけるマイノリティの少なさが問題になり、黒人の割合を今後4年間で5%から11%に引き上げることになったとします。5%から11%への増加くらいなら無理なくできそうな気もしますが、このためには今後4年間で黒人職員を3万に増やす必要があり、さらに1年間に黒人職員1250人(退職者2万5千人の5%)が退職していくことを考えると、黒人を3万5千人雇用する必要が出てきます。一方、新規雇用者は今まで通り4年間で10万人なので、11%という数字を達成するためには新規採用における黒人の割合を35%にまで増加させる必要があります(66p)。


 これは人工的な例に思われるかもしれませんが、ビジネスでも人材養成でも、あるものの数(在庫や有資格者など)が増加のペースに依存するというのはよくある話で、現実的な計画を立てる時に非常に役に立つ考えです。


 このようにこの本は「算術」やゲームの理論を使いながらさまざまな事象を読み解くことで、思考のツールを提供してくれる本になっています。
 原著は1978年に出ているため、あげられている例が古かったり、「共有地の悲劇」や「レモン」(アカロフが分析した中古自動車市場)を紹介した部分には目新しさが感じられないといった部分はありますが、それでも今なお新しい知見を与えてくれる本になっていると思います。


 さらに、この本では最後にシェリングノーベル賞受賞講演「驚くべき60年 ー 広島の遺産」が収録されています。シェリングは「なぜ広島・長崎以降、核兵器が使用されなかったのか?」という問題を考え、その理由として、核兵器が使われなかったことの積み重ねが核をタブー化したからだと述べています。
 途中で引用される原子物理学者アルビン・ワインバーグの発言などは、日本人からすると素直に受け入れがたい部分もあるのですが、なかなか面白い講演だと思います。


ミクロ動機とマクロ行動
トーマス シェリング Thomas Schelling
4326550767