曽我謙悟『現代日本の官僚制』

 もちろんこれは歴史的事実とは異なる。歴史的事実としては、官僚制は君主制権威主義体制の下で王や支配者に仕える統治機構として、長らく存在してきた。そうした官僚制の中には、民主化の際に抵抗を見せ、民主化後も議会にの統制に服しないものも見られた。しかし、たとえ事実としてそういった官僚制が存在するとしても、現代の民主制の下では正統性を得られない。正統性を備えない存在が長期にわたり持続することは不可能である。歴史的事実には反するフィクションであっても、社会契約説に基づき代表民主制を捉えることが、その性格を理解する上で有効であるのと同様、官僚制もまた、現代民主制における本人・代理人関係のなかに位置づけることが、その最適な理解の方法である。(42-43p)

 これは、この本の第2章にある「政治家たちと官僚制の関係は、本人・代理人プリンシパル・エージェント)関係の典型例であり」という文章につけられた注です。
 なんで、こんな文章の引用から始めたかというと、この文章がこの本のスタンスをよく表しているからと思うからです。


 もし、「『現代日本の官僚制』というタイトルの本を書け」と命令されたら、どのような構成を考えるでしょうか?
 おそらく、多くの人は明治期における官僚制のはじまりや55年体制下における官僚の動きなどを追いつつ、90年代後半の橋本行革などによって日本の官僚制がいかなる変化を遂げたのかということを分析する、といったスタイルを考えると思います。
 しかし、この本では官僚制は「政治家によって創出されなければ存在し得ない」とした上で、政治制度が官僚性に与える影響を数理モデルを使って構築し仮説を提示、さらに国際比較や日本の実態を通してその仮説が妥当かどうかを検討します。
 仮説の中には日本の実態と乖離したものもあるのですが、著者は仮説を棄却するのではなく、そのズレを日本の官僚制の歴史を見ていくことで埋めていきます。
 つまり、冒頭の引用文と同じく、歴史的事実からその特徴をつかもうとするのではなく、合理的なモデルから日本の官僚制の特徴をつかもうとしているのです。

 
 ちなみによく似たタイトルの本に清水唯一朗の『近代日本の官僚』中公新書)がありますが(面白い本です!)、「近」が「現」になって、「制」の一文字が追加されるだけど、ここまで中身が違ってくるのか、とも思いますね。


 この本で提示される仮説とは以下のようなものです。

仮説I-a 政治環境と官僚制の組織編成の間には、つぎの関係が成立する。
統一政府かつ二大政党制や単独政権→やや強い分立と強い統合
統一政府かつ多党制や連立政権→やや弱い分立と弱い統合
分割政府かつ議員の一般利益志向→弱い分立と強い統合
分割政府かつ議員の個別利益志向→強い分立と弱い統合

仮説I-b 政治制度と官僚制の組織編成の間には、つぎの関係が成立する。
議院内閣制かつ多数代表制→やや強い分立と強い統合
議院内閣制かつ比例代表制→やや弱い分立と弱い統合
大統領制かつ多数代表制→弱い分立と強い統合
大統領制かつ比例代表制→強い分立と弱い統合

仮説II-a 政治環境と政治任用の間には、つぎの関係が成立する。
・執政の政策の質についてのアカウンタビリティを強く問うことは、技能投資の価値が大きい場合には、政治任用を増大させる。技能投資の価値が小さい場合には、政治任用を減少させる。
・議会の政策形成以外の活動に要する時間と労力の増大は、政治任用を増大させる。
・政策領域の専門性や議会の立法能力がある範囲まで向上することは、政治任用を減少させるが、非常に高くなると政治任用は増大する。
・官庁が政策選好を中立的なところに設定すると、ある程度技能投資の価値が低くとも、政治任用が回避される(自律性が確保できる)。技能投資の価値がさらに高ければ、官庁の政策選好がより執政に近くても、自律性を確保できる。
労働市場が開放的な場合、政治任用が拡大する。逆の場合、政治任用は回避されやすい。
・官僚が理想点の実現に拘るタイプの場合、政治任用は減少する。 

仮説II-b 政治環境と官僚制の技能投資の間には、つぎの関係が成立する。
・執政の政策の質についてのアカウンタビリティを強く問うことは、技能投資の価値が大きい場合には、技能投資を増大させる。技能投資の価値が小さい場合には、技能投資を減少させる。
・議会の政策形成以外の活動に要する時間と労力の増大は、技能投資を拡大させる。
・政策領域の専門性や議会の立法能力が向上することは、技能投資を拡大させる。
・官庁が政策選好を中立的なところに設定すると、ある程度技能投資の価値が低くとも、技能投資が行われる。
労働市場が閉鎖的な場合よりも開放的な場合の方が、技能投資の水準は低い。
・官僚が理想点の実現に拘るタイプの場合、技能投資は拡大する。 

仮説II-c 政治制度と政治任用の間には、つぎの関係が成立する。
議院内閣制かつ多数代表制→政治任用が用いられることは少ない
議院内閣制かつ比例代表制→政治任用が用いられることはやや少ない
大統領制かつ多数代表制→政治任用が用いられることはやや多い
大統領制かつ比例代表制→政治任用が用いられることは多い

仮説II-d 政治制度と技能投資の間には、つぎの関係が成立する。
議院内閣制かつ多数代表制→官僚制による技能投資がやや多く行われる
議院内閣制かつ比例代表制→官僚制による技能投資が多く行われる
大統領制かつ多数代表制→官僚制による技能投資が行われにくい
大統領制かつ比例代表制→官僚制による技能投資がやや行われにくい

 
 これだけでお腹いっぱいという人も多いでしょうし、そもそも何を言っているのかよくわからないという人も多いでしょう。すべてを解説するのは自分の手には余るので、いくつかをピックアップして考えてみたいと思います。
 まず、「仮説I」で出てくる、「分立」と「統合」ですが、「分立」は省庁の数、「統合」は首相府(内閣府)や大統領府の規模と役割で測定されます。また、「統一政府」は議会の多数派と執政(首相や大統領)が同一政党の場合、「分割政府」は議会の多数派と執政の所属政党が違う場合です。
 例えば、イギリスは議院内閣制で小選挙区という多数代表制の選挙制度をもっています。また二大政党制で、基本的には統一政府です。ですから、モデルからはイギリスは「やや強い分立と強い統合」だと想定できます。
 実際にイギリスのデータを確認すると、省庁数は22(83pの図4-2より)、行政中枢職員数は2000人弱でかなりの規模となっています(87pの図4-3より、ちなみに日本は800人ほど)。イギリスはモデル通りです。


 「仮説II」に出てくる「政治任用」は、官僚が選挙で選ばれた政治家によって任命されること。アメリカでは上級官僚のかなりの部分が政治任用であることを知っている人は多いと思いますが、アメリカは「大統領制かつ多数代表制」なので、モデル通り「政治任用が用いられることはやや多い」わけです。
 政治任用が多ければ、官僚という職業は終身雇用的なものではなくなり、技能投資は行われにくくなるでしょう。モデルでも「大統領制かつ多数代表制→官僚制による技能投資が行われにくい」となっています。


 ここまで読んで、「そのモデルはどうやって導き出されているのか?」と疑問に思った人もいるでしょうが、そのモデルの導き方を説明するのは数理モデルに疎い自分には不可能なので本書をあたってください。

 
 では、日本の官僚制はどうなのか?
 日本では90年代前半に選挙制度中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと変更されました。この本では中選挙区制は「非拘束名簿式比例代表制」に該当するとされていますので(165p)、この変更は「議院内閣制かつ比例代表制」から「議院内閣制かつ多数代表制」への変化となります。
 そうなると「仮説I-b」から、分立も統合も強くなるはずです。


 ところが、分立に関しては90年代後半の橋本行革により省庁再編が行われたことによって省庁の数は減りました。つまり分立は弱まっています。統合に関しては、確かに内閣府は強化されていますが、他国に比べるとその機能や人員は大きいとはいえません。日本に関しては、いきなり仮説との齟齬が現れるのです。
 著者はこの問題に対して次のように回答しています。

 筆者の回答は次のようなものである。2000年代以降の官僚制の変革の試みとは、こうした制度配置の不整合への部分的対応であった。部分的対応とは、分立については若干の修正に留めつつ、統合強化を梃子にしながら、首相による官僚制への統制を強めていくという試みである。その結果、現代日本の官僚制は、分立の上に、首相が行政中枢を用いながら統合を行うというものではなく、大括りの省庁が一方に存在しつつ、首相を支える行政中枢によって、首相が主導するプロジェクトを実現する形態を生んでいるのである。
 つまり、橋本行革がその歴史的文脈ゆえに、他の統治機構改革とは必ずしも整合しない、長期的な均衡たり得ない方向で官僚制を改革したことから、それ以降の官僚制は、常に変化の圧力がかかり続けた状態に置かれた。(166ー167p)

 
 「大括りの省庁が一方に存在しつつ、首相を支える行政中枢によって、首相が主導するプロジェクトを実現する形態」というのは現在の第2次以降の安倍政権を指しています。
 どのように統合を行うかということに関しては、小泉政権では内閣官房の強化が図られ、民主党政権では官僚ではなく内閣によって統合を試みようとしました(うまくいったとは言いがたいですが)。
 そして、安倍政権では内閣官房を強化しつつも、併任者(各省庁に籍を置きながら、内閣官房の業務にも常時するタイプの職員)を増大させています。つまり、「省庁の官僚に対してアドホックな形で併任をかけ、首相が主導するプロジェクトの実現にあたらせている」(191p)のです。
 これは、かなり流動的なスタイルであり、著者はこれを安定した均衡とはみなしておらず、今後も変化の可能性があると見ています。


 さらに第8章では、日本の官僚制における政治任用の少なさや技能投資について分析しています。
 ここでキーになるのは日本の官僚の自律性です。御存知の通り、日本の官僚制は政治任用をほとんど受け付けず、人事においても基本的に高い自律性を誇ってきました。著者は、この自律性が官僚によって戦略的に達成されたものだと見ており、例えば、一斉に行われる人事ローテーションは政治家からの人事介入を防ぐためのものだと分析しています。


 第9章では、日本の官僚制の「高い統治の質」と「低い代表性」の問題がとり上げられています。
 国際比較から見ると、日本の官僚制の統治の質は高いレベルにありますが、女性や多様な民族や宗教を代表した構成になっているかという代表性の点では他の先進国に比べてかなり低いレベルにあります(236pの図9-2を参照)。そして、この低い代表性が官僚制への不信につながってる可能性もあります。
 この代表性の低さをもたらしているのが日本の官僚における女性の少なさです。実際、「官僚」と聞くと「東大法学部卒の男性」をぱっとイメージする人も多いのではないでしょうか。
 この理由を前田健太郎は『市民を雇わない国家』(この本も面白い!)の中で、人事院勧告の仕組みが給与の水準を高め、それが採用の抑制につながり、女性公務員数を抑制したと説明しています。
 しかし、著者はこの説明だけでは、誰がその方向性を選択したのかわからないといいます。著者によれば、その選択は官僚制、とくに大蔵省が政治からの定員管理の介入を防御するために行ったものであり、人事の自律性を確保する手段と見ることができるのです(245ー246p)。


 こうした分析を経て著者は次のように結論づけています。

 他国と比較すれば、日本の官僚制に欠けているのは統治の質でなく代表性である。それは法案作成に特化することで、中立性を確保するとともに、技能投資の効果を中程度としたことにより、政治任用の極小化と大幅な権限委譲を得てきたことの裏返しである。政治介入の可能性の高さが、とりわけ人事における自律性確保のための官僚制の対応を生み出している。しかしそれは代表性の犠牲の上に成り立つものであり、人々が官僚制への信頼を持たないことにつながっている。このような姿は、民主的な統制の不足や天下りなどの官僚制の質を問題を強調し、逆に官僚制の代表性を問うことのない、一般に流布する官僚制の像とは異なるだろう。しかし、これが理論とデータの描き出す姿なのである。(251ー252p)


 このように非常に刺激的な議論がなされている本であり、その射程もかなり広いです。
 素人目からすると、「官僚の質」とう指標についてもう少しその内実を紹介し妥当性を検討して欲しかったというのはありますし、中選挙区制下の日本について「執政制度は議院内閣制であるが首相に対する政権党議員の委任は弱い大統領制的なもの」(194p)としている点には疑問は残ります(いくら委任が弱いからといって大統領制に近いといえるのか?)。また、正直なところ数理的な処理の部分はついていけないですし、グラフなんかも親切とは言えません。
 けれども、この本で提示されている現代日本の官僚制の姿は、今までとは違うアプローチで描かれた新鮮なものであり、なおかつ日本の官僚制の特徴やその問題をうまく抉り出したものになっています。
 日本の官僚制を考える上で、今後長く参照されつづけていく本だと思います。


現代日本の官僚制
曽我 謙悟
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