丸島和洋『戦国大名の「外交」』

 以前から読もう読もうと思いつつ読んでいなかったこの本、評判に違わず、面白く濃密な本ですね。
 著者は、大河ドラマ真田丸」の時代考証を務めた人物でもあり、Twitterでの解説を楽しみにしていた人も多いと思います。
 前半では、外交書状の書かれ方、使われた紙、血判の推し方(推すというよりたらす、なのですが)などについても解説されていて、こういった知識が「真田丸」での書状作成にも活かされたのだな、と想像できます。
 ただ、なんといってもこの本において興味深い部分は、戦国大名の外交を担った「取次」という存在を明らかにした部分です。
 そこから、今までのイメージとは違った戦国大名、あるいは日本の封建制の姿が見えてきます。


 「日本や中国の封建制とは違い、ヨーロッパの封建制は「契約」中心で、君主が配下の領主を保護できなければ配下は仕える君主を変えたし(双務的関係)、複数の君主に仕える者もいた」というようは話を聞いたことがある人も多いと思います。
 ヨーロッパのこうした流動的な主従関係に対して、日本の主従関係は「たとえこの身が滅びようとも一人の主君に忠義をつくす」という、強く固定的な関係が想定されがちです。
 しかし、この本を読むとそういった日本的主従関係は江戸時代になってからつくられたものであり、戦国時代はヨーロッパにも似た流動的な関係であったことがわかります。そして、それを教えてくれるのが「取次」という存在なのです。


 取次は戦国大名と他家をつなぐ存在です。当時、外交は戦国大名同士の直接交渉ではなく、取次を通して行われていました。
 例えば、武田信玄北条氏康今川義元と同盟(甲駿相三国同盟)を結んでいましたが、両家との交渉には一門・宿老と側近からなる取次があたりました。信玄がまだ晴信と名乗っていた頃には、対今川家は、一門・宿老として穴山信友板垣信方、側近としては駒井高白斎が、対北条家は、一門・宿老としては小山田出羽守信有、側近としては駒井高白斎が取次として交渉にあたっています(104-105pの表より)。


 この取次は二重外交の危険性をはらむものですが、戦国期を通じてこの仕組みは残り続けました。著者は、その事情について、中世後期になると、一門や被官での合意形成が重要になり家臣団だけで物事を決めてしまうこともあったことから、「戦国大名としては、自身の意思と家臣団の意思が一致していることを表明する必要があり」、「とりわけ外交交渉においては、その書状の内容が、大名の個人的意見ではなく、家中の合意を経たものであるという事実を、取次が「保証」することが求められたと考えられる」(121-122p)と述べています。
 実際、大名の書状にほぼ同じ内容の取次の副状(そえじょう)が添えられる場合が多く、そしてそれは内容的に重複するものながら必要なものとされていました(78-85p)。


 このように取次の地位とは一種のステータスでもあり、その地位は「取次権」といったかたちで保障されることもありました(132-133p)。
 取次は他家との間をつなぐことで家中でも発言権を持ち、両家の間の調整役もつとめたのです。
 しかし、両家の間の関係が悪化すると、取次の立場もまた難しいものになりました。北条氏は一時期、北条氏邦を取次として上杉謙信と同盟を結びますが、一年余りで崩壊。この後、北条氏邦は北条氏の対外交渉に関わらなくなっていきます。
 徳川家康の重心だった石川数正も、羽柴秀吉との間の取次でしたが、家康と秀吉の関係悪化、さらには数正が指南をつとめていた信濃国小笠原貞慶の寝返りによって立場を悪くし出奔しましたし、近年の研究では、本能寺の変長宗我部元親の取次だった明智光秀が信長の四国攻めの決定で面目をつぶされたのが原因だという説が出てきています(172-174p)。


 また、この本では取次が相手国の大名から知行を与えられた例がとり上げられています。
 外交交渉がうまくいったお礼に取次が贈り物を受け取るといったことであれば理解しやすいですが、領地が与えられているのです。それでいて、両者の間に主従関係が成立しているわけではありません。例えば、武田家では小山田弥三郎信有らが北条家から、穴山信友が今川氏から知行を受けているのですが、両者ともそれぞれの大名の取次でした。
 知行を与える側としては、それによって外交交渉を有利に運ばせることができると踏んでいるわけですが、そうした行為が慣例としてあったということ自体が、戦国期の主従関係のイメージを変えるものだと思います。
 そして、幕臣から織田家家臣に転じた明智光秀細川藤孝、毛利家の家臣から独立した大名となった小早川隆景のように取次という立場から、主君を変えているとも言えるのです(228p)。


 さらに、国衆も2つの大名に両属することがありましたし、取次を通して大名との間に多重的な関係を結んでいることもありました。
 江戸時代以降はともかくとして、戦国期の君臣関係はかなり流動的で多重的なものだということがこの本を読むと見えてくると思います。
 

 この他にも第7章で取り上げられている島津家中の動きは「いかにも」な感じで面白いですし、ここでとり上げた取次以外にも国分の交渉や、境目の村落の扱いなど、面白い題材がいくつもとり上げられています。
 戦国大名という存在を考える上で外せない本と言えるでしょう。


戦国大名の「外交」 (講談社選書メチエ)
丸島 和洋
4062585596