中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』

 何をもって「因果関係がある」と言えるのかを、近年の研究成果を交えながら明らかにした本。
 こう書くと少し難しく感じますが、例えば次の3つの問を見てください。

メタボ健診を受けると長生きする
テレビを見せると子どもの学力は下がる
偏差値の高い大学に行けば収入が上がる

 多くの人が「その通り」と思うかもしれませんが、この本ではいずれの場合も「因果関係があるとは言えない」と結論付けられています。つまり、メタボ健診を受けたからといって長生きするわけではないし、子どもにテレビを見せても学力が下がるわけではないし、偏差値の高い大学に行っても収入が上がるわけではないのです。


 こうした因果関係を論じた本で過去に面白かったものとして、高根正昭『創造の方法学』(講談社現代新書)や久米郁男『原因を推論する』有斐閣)があります。内容的に重なる部分も多いのですが、この『「原因と結果」の経済学』の特徴は、何と言ってもその読みやすさと、方法論についての体系的な説明です。
 『創造の方法学』は面白いものの、さすがに初版が1979年の本であり、新しい方法論はフォローしていませんし、新書であってもこの『「原因と結果」の経済学』よりも内容は硬いです。
 『原因を推論する』は個人的に大好きな本なのですが、基本的に政治学に寄っている本であり、特に後半は社会科学の方法論となっているので、一般の読者との関心とは少しずれるかもしれません。
 

 その点、この本は少し硬めの新書よりも早く読めるのではないかと思いますし、とり上げられている例も、上記以外に「男性医師は女性医師よりも優れているか」、「認可保育所を増やせば母親は就業するか」、「高齢者の医療費の事故負担割合と死亡率に因果関係はあるか」、「勉強ができる友人と付き合うと学力は上がるのか」など、普通の人でもその答えが気になるものばかりです。
 特に、「男性医師は女性医師よりも優れているか」と「高齢者の医療費の自己負担割合と死亡率に因果関係はあるか」という研究の結果である、「内科医では男性医師よりも女性医師の担当した患者のほうが入院から30日以内に死亡する確率が0.4%低い」、「自己負担割合が低くなると受診回数は増えるが短期的な死亡率は変わらない」といった知見は今後の医療や社会保障政策を考えていく上でも重要です。


 また、方法論についての体系的な説明ということに関しては、49pにおいて、「メタアナリシス」(複数のランダム化比較試験を統合したもの)を頂点に、「ランダム化比較試験」→「自然実験と擬似実験」→「回帰分析」という医学におけるエビデンスレベルの階層を示しており、さらに「自然実験と擬似実験」に関しては、「自然実験」、「差の差分析」、「操作変数法」、「回帰不連続デザイン」、「マッチング法」と5つのやり方をそれぞれ1章をあてて説明しています(「回帰分析」に関しては、第8章で「重回帰分析」が簡単に触れられていますが、あくまでも基本的な考え方を提示しているレベルです)。
 『原因を推論する』でとり上げられていたのは、「ランダム化比較試験」(「無作為割り付け実験」という名前になってる)、「自然実験」、「重回帰分析」の3つであり、また、そのエビデンスレベルに関しても特に触れられていなかったので、こちらのほうがより体系性を意識した記述になっているといえるでしょう。


 このように読みやすさと方法論がよく整理されて提示されることがこの本の大きな長所です。


 それを踏まえて、この本を読みながら思ったのは、医学的な問題と社会的な問題では、やはり因果推論を考える上でも違いが出てくるのではないかということです。
 この本の最後の補論で、「外的妥当性」という問題が出てきます。ランダム化比較試験はエビデンスレベルの高いものですが、その結果が他の集団にも当てはまるかということです。例えば、アメリカ人に行った薬の効果の実験結果を日本人に当てはめることができるかというと、それは慎重に考えなければなりません。
 この「外的妥当性」の問題は社会的な問題ではさらに大きくなるのではないでしょうか。日本人の15歳の男性に効く薬は、おそらく日本人の18歳の男性にも効くでしょう。3年で身体に大きな変化が出るとは考えにくいからです。一方、15歳の男子生徒に効果のある教育法が18歳の男子生徒にも効果があるかというと少し微妙になってくると思います。3年でその生徒の持っている知識や、モチベーションや自尊心のあり方などは大きく変化している可能性があると思うからです。


 そのため、冒頭にあげた3つの問題のうち、「テレビを見せると子どもの学力は下がる」については、その擬似実験が1940年代後半から1950年代前半のアメリカで行われたものであり、それを現代の日本に当てはめる外的妥当性については疑問も残りました。
 この擬似実験では、「テレビを見ていた子のほうがむしろ学力が上がった」という結果が示されているのですが、テレビ番組の内容といった部分は考慮に入っておらず、「昔のテレビ番組のほうが今のテレビ番組に比べて高尚だった」という可能性もありますよね。
 この外的妥当性の問題については、著者の中室牧子『「学力」の経済学』でも感じたことです。また、ノーベル経済学賞受賞者のアンガス・ディートンが『大脱出』でランダム化比較試験を批判しているポイントの一つも同じものです。
 社会的問題については医学的問題ほどきれいにエビデンスレベルを確定できないのではないかと思います。


 ただ、この因果推論の基本的な知識はどんな問題を考える上でも必要になるものですし、何度か述べているようにこの本は読みやすく、提示されている例が非常に面白いものばかりです。
 問題とその解決方法を考えるときの、まず最初の1冊としてお薦めできる本と言えるでしょう。


「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法
中室牧子 津川友介
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