アルフレッド・W・ クロスビー『ヨーロッパの帝国主義』

 ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を読んで、その視点とスケール感に驚いた人も多いと思いますが、このアルフレッド・W・ クロスビー『ヨーロッパの帝国主義』を読むと、『銃・病原菌・鉄』が突然変異的に出てきたわけではなく、今までの研究の積み重ねをまとめたものであることがよくわかると思います。
 著者はアメリカの歴史学者で、『史上最悪のインフルエンザ』みすず書房)などの著作もあります。
 この本の原著が出版されたのは1986年、1998年に『ヨーロッパ帝国主義の謎』というタイトルで翻訳され、今回、改題されてちくま学芸文庫からの出版になります。


 目次は以下の通り。

プロローグ
パンゲア再訪
ノルマン人と十字軍
幸多き島々
遙か彼方の海を吹く風
達し得るが捉え難い土地
雑草
動物
疫病
ニュージーランド
解釈の試み
結論


  北アメリカやオーストラリア、ニュージーランド、あるいはアルゼンチンなどにおいてヨーロッパ人たちは現地人たちを圧倒して、「ネオ・ヨーロッパ」ともいえる地域をつくり出しました。
 この征服はいかにして可能だったのか?ということを、この本では、疫病、動物、雑草などに注目しながら論じています。
 疫病や動物に関しては『銃・病原菌・鉄』でもとり上げられていましたが、雑草への注目はこの本ならではですし、古典を幅広く引用した文章にも他にはない特徴があると思います。
 また、カナリア諸島ニュージーランドなどの事例をかなり具体的にとり上げているのも特徴ですし、大航海時代と海を吹く風の関係など、地理的な記述が充実しているのも本書の特徴と言えるでしょう。


 疫病については、『銃・病原菌・鉄』あるいは、山本太郎『感染症と文明』岩波新書)などにいろいろと書かれていますが、この本では疫病だけでなく、ヨーロッパ人のもたらした動物や雑草が現地の生態系そのものを変えてしまった様子が描かれています。
 インカ帝国が少数のスペイン人に征服された理由の一つとして馬があげられますが、馬がもたらす軍事力だけがアメリカ大陸やオセアニアを支配したのではありません。
 ユーラシア大陸には存在したが、アメリカやオセアニアには存在しなかった、馬・牛・山羊・羊・豚といった家畜の数々がネオ・ヨーロッパの建設を可能にしたのです。

 
 例えば、ニュージーランドはヨーロッパ人が始めてきた時は温帯のジャングルとも言うべき深い森に覆われていましたが(348p)、そこにヨーロッパからつれてこられた豚が野生化して繁殖し、さらにヨーロッパから持ち込まれた雑草も広がっていきました(360-363p)。
 豚は人間の食糧ともなり、雑草はその他の家畜のエサとなって、ヨーロッパ人がこの地に根を下ろすのを助けました。家畜や雑草がヨーロッパ人の暮らす環境を用意したのです。


 豚だけでなく、牛や馬や羊なども新大陸やオセアニアで大繁殖しました。新大陸に存在しなかった馬は北アメリカでも南アメリカでも野生化して繁殖し、アルゼンチンのパンパには驚くべき数の馬が存在するようになりました(298-299p)。
 西部劇のインディアンたちは当たり前のように馬に乗っていますが、それにはこのような馬の大繁殖という背景があったのです。


 第五章「遙か彼方の海を吹く風」で語られる大航海時代と地球上に吹く風の関係を扱った部分も面白いです。
 単純に地図だけを見ていると、コロンブスアメリカ大陸到達よりもヴァスコ・ダ・ガマのインド到達よりも遅れたのが不思議に思えるかもしれません。大海原を進むしかなかったアメリカへの航路に対して、インドへはアフリカ沿岸を伝っていけばたどり着けるように思えるからです。
 ところが、地球を吹く風を考えるとその理由がわかります。カナリア諸島からアフリカに向かった場合、行きはいいですが帰りは逆風となり、帆船でそのまままっすぐに返ってくることは出来ません。また、セネガル河からコンゴ河に至る沖合は無風地帯で、かつ嵐が頻発する「最悪の海」と言われる場所で(198p)、ここから抜け出すことは容易ではありませんでした。
 これらの難所をバルトロメウ・ディアスヴァスコ・ダ・ガマは北半球における偏西風の知識を南半球にも応用するなどして切り抜けたのです。
 また、マゼランも太平洋に吹く風をうまく捉えることで、アメリカ大陸からフィリピンへとたどり着くことが出来ました(210-213p)。


 また、この本ではヨーロッパ人の進出をマクロ的に描くだけでなく、第4章の「幸多き島々」でアゾレス諸島マデイラ諸島カナリア諸島、第10章ではニュージーランドがいかにしてヨーロッパ人の支配する土地となったかを史料などを用いて論じています。
 いずれの場合もヨーロッパ人の持ち込んだ動植物や疫病がおおきなポイントとなっています。現地人の衰退はヨーロッパ人の武力だけでなく複合的な要因で引き起こされているのです。
 特にニュージーランドの、ヨーロッパ人たちがヨーロッパに比べて病原菌の少ないニュージーランドの地で大きく数を増やす一方で、ヨーロッパからの病原菌に晒されたマオリの人々の数は減り始め、性病の蔓延なども伴って衰退していったという部分などは興味深いです。


 文章はうまいものの、叙述の順番や構成などはガッチリとしていないので、読みやすさやインパクトでいえばまずは『銃・病原菌・鉄』になると思います。
 ただ、これまでに述べたように『銃・病原菌・鉄』では拾いきれていない生態学的な部分や地理的な要因を詳しくとり上げており、この本にしかない面白さもあります。
 特に世界史と地理の双方に興味のある人(世界史と地理を両方教えている教員の人とか)にはお薦めしたいですね。


ヨーロッパの帝国主義: 生態学的視点から歴史を見る (ちくま学芸文庫)
ルフレッド・W. クロスビー Alfred W. Crosby
4480097899