『美しい星』

 1962年に発表された三島由紀夫のSF的小説を『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督が映画化。
 原作は未読なのですが、「今なぜこの作品を映画化?」という思いを抱きつつも、吉田大八ならば、現代的な意味付けもしているのであろうと思い見に行きました。


 自分たちを宇宙人だと思い込む家族の話ですが、父親をリリー・フランキー、母親を中島朋子、長男を亀梨和也、長女を橋本愛が演じています。舞台は現代に移され、設定はかなり改変されているようです。
 冒頭はイタリアンの店で家族が長男の誕生日に集まるところから始まるのですが、家族のバラバラさ加減が強調されることもあって、ある種のホームドラマのような形で物語はスタートします。
 リリー・フランキーはお天気キャスターですが若い女性アシスタントと不倫をしており、中島朋子は冴えない専業主婦、亀梨和也はバイク便をやっているフリーター、橋本愛は周囲に心を閉ざしている感じで、いかにも機能不全に陥った家族です。
 このあと、リリー・フランキー亀梨和也橋本愛がそれぞれ不思議な体験をし、自分をそれぞれ火星人、水星人、金星人だと思い込みます。原作では母親も木星人だと思いこむようですが、この映画では中島朋子も「美しい水」というミネラルウォーターのマルチ販売にハマるものの、自分を宇宙人だとは思い込みません。
 

 この映画の前半はそうした家族それぞれの動きを追っていきます。オーソドックスな画面作りと、ミュージックビデオのような新しい画面作りを織り交ぜた吉田監督の腕は冴えていますが、前半では「今なぜこの映画?」という疑問は解消されません。
 ところが、中盤以降はリリー・フランキーの行動の面白さと、橋本愛の何もしなくても周囲から浮いてしまうくらいの美しさが映画を引っ張り、さらには佐々木蔵之介がマンガの『寄生獣』に出てくるようなキャラクターを怪演するとこもあって、ひたすら楽しめます。
 その後、リリー・フランキー亀梨和也の父親世代と長男世代の世代間対立などがせり出してきて、この映画の「現代的な意味」のようなものも少し出てくるのですが、最終的に「今なぜこの映画?」という答えが明かされるのは最後になってから。
 ここでこの映画が「震災後」の映画であることが示されるのですが、ここの示し方はやや唐突で弱い気がしました。もう少し、それ以前に何かを織り込んでおいたほうが良かったように思えます。
 ただ、随所に監督のうまさが光っていますし、「面白かった」と言える映画です。