ウィル・ワイルズ『時間のないホテル』

 創元海外SF叢書の1冊。著者はもともとは建築やデザインに関するノンフィクションライターでこれが2作目の長編小説になります。
 著者は日本では無名ですし、タイトルも人目を引くものではありませんが、「J・G・バラードスティーヴン・キング」といった宣伝文句や、クリストファー・プリーストが絶賛し、若島正が解説を書いているというと、SF好きにとては俄然興味が湧いてくるかもしれません。


 主人公はニール・ダブルという男。彼は全世界で行われるさまざまな業界のコンベンションに参加し、依頼者の代わりに資料を収集し、セミナーに出席して情報を集めるという不思議な職業についています。
 コンベンションは全世界のさまざまな都市で行われるため、彼は世界中のホテルを利用し、かなりの日数を世界のどこに言っても代わり映えのしないビジネスホテルで過ごしています。そして、その代わり映えのしないビジネスホテルこそ、ニールにとっては喜びを感じさせるものなのです。


 そんなニールはあるコンベンションに参加するためにチェーンホテル「ウェイ・イン」に泊まります。このホテルは新しくできたばかりですが、世界中にある他の「ウェイ・イン」と同じシステム・同じ構造であり、既視感に満ちています。
 この既視感に満ちたホテルというのがこの小説の一つのポイントです。
 ビジネスホテルのエレベータを降りたあと、右に行くか左に行くか一瞬わからなくなったという経験をした人は多いと思いますが、それくらいビジネスホテルの風景というのは平板で変化がなく没個性的です。部屋番号がわからなかったら部屋まで辿りつけないかもしれません。
 

 そんな平板なホテルを愛するニールですが、彼はバーで、「ウェイ・イン」の各所に架けられている抽象画の写真をとっているという赤毛の女と出会います。彼女が言うには、その何の変哲のない抽象画は実は巨大な1枚の画だといのです。
 そして、その赤毛の女と会ってから、ニールの世界は少しずつ変調し始め、ホテルはまるで迷宮のように変化していきます。


 一応、SF叢書の1冊ですが、「サイエンス」的な要素はあまりなく、どちらかというと「ホラー」に近いのかもしれません。別に「怖い」わけではないかもしれませんが、迷宮のような巨大なホテルの雰囲気を描くのが非常にうまく、その不思議な世界に引きこまれます。
 最後の物語の解決の仕方はあまり良いとは思えなかったのですが、現代社会の無機質さのようなものをビジネスホテルに象徴させる中盤までの描写には巧さと新しさがあり、著者の才能を感じさせます。
 現代社会のある一面を鮮やかに切り取った作品だと思います。


時間のないホテル (創元海外SF叢書)
ウィル・ワイルズ 若島 正
4488014623