ダイアン・コイル『GDP』

 サブタイトルは「<小さくて大きい数字>の歴史」。
 現在、GDPほど注目されている数字はないかもしれませんし、例えばGDPの四半期の伸び率が0.1%なのか-0.1%なのかによって株式市場や為替市場は大きく動くでしょうし、選挙で与党が敗北する要因になるかもしれません。
 しかし、ある程度経済ニュースを追っていると、GDPの速報値があとから0.2%程度修正されるのはよくあることだということもわかってきます。
 

 この本ではイギリスにおける「幻の1976年危機」が紹介されています。1976年のイギリスはインフレと貿易赤字に苦しめられ経済成長率は低く、ついにはIMFの緊急融資を要請するはめになりました。この3年後の総選挙で与党だった労働党は惨敗し、サッチャー率いる保守党が大勝しています。
 しかし、しばらくたってから「貿易赤字GDPの数値が修正され、あの「危機」が実はそれほど深刻ではなかったことが明らかになった」(43p)のです。もし、IMFの融資がなければサッチャーはあれほど選挙に勝てなかったかもしれません。


 このようにときには一国の政治の運命を決めてしまうGDPですが、その歴史は意外に浅く、アメリカ初のGNP(国民総生産)統計が発表されたのは1942年です。
 「戦争は発明の母」という言葉がありますが、「国内総生産も、第二次世界大戦が生んだ数多くの発明品のひとつ」(13p)なんです。
 この本はそんなGDPの歴史をたどるとともに、その特質、問題点を探った本になります。150ページほどの薄い本で読みやすいですが、GDPと現在の経済を考える上で押さえるべき点がよくまとめられてます。


 以前から経済力や経済規模を計ろうという試みは存在しましたが、それは現在のGDPとはずいぶん違うものでした。
 例えば、アダム・スミスは何か物を生み出す労働を「生産的労働」として評価しつつ、「屋敷の使用人の仕事は、何ものにも価値を付与しない」(16p)と考え、それを「非生産的労働」と呼びました。スミスは現在のGDPのかなりの部分を占めるサービスを生産的ではないと考えていたのです。
 

 1920〜30年代になると、イギリスのコーリン・クラークアメリカのサイモン・クズネッツ国民所得を正確に測定する試みを行います。
 これらの仕事が現在のGDPの元となるわけですが、クズネッツは軍事費や広告費、さらには都市生活者の不便を解消するための地下鉄や高価な住宅の価格などもこうした測定から排除すべきだと考えていました(20p)。
 しかし、時代は第二次世界大戦前夜であり、軍事費が増えれば経済が縮小してしまうような統計は不都合なものであり、アメリカのGNP統計は政府支出を含むかたちで発表されることになります。


 この事情について著者は次のように述べています。

 政府にしてみれば、既存の国民所得の額から国防費を差し引くのは、戦争が民間の消費支出に大きな犠牲を強いるという誤った印象を与える行為だ。独裁的な君主が戦争のために税金を徴収するというイメージはまずい。あくまでも民主的に、人々の所得を集めて公共サービスと社会保障を提供するのでなくてはならない。政府支出を経済から差し引くのではなく加えるという考え方には、こうした民主的な政府というイメージへの移行を助ける意味合いもあった。(23p)

 
 そしてこのGDPは戦後、「経済を動かすツール」として使われるようになっていきます。
 ケインズの死後、ケインズの考えをもとにしてマクロ経済運営が各国の基本政策となっていきますが、そのためにもGDPは必要不可欠なものとなったのです。


 しかし、GDPは単純なようでいて非常に複雑なもので、GDPの統計のために国連が作成した国民経済計算体系(SNA)のマニュアルは、1953年には50ページに満たないものだったものが、2008年時点で722ページにまで膨れ上がっています(31p)。
 例えば、その購入物が「消費」なのか「投資」なのか、季節変動の調整(クリスマスには消費が増えるが景気が良くなったわけではない)、政府の経済活動をどう計測するか、物価の影響を差し引いた「実質」をいかに算出するかなど、GDPを正確に計測するためにはさまざまなハードルがあるのです。
 2010年の11月5日から6日に間にガーナのGDPは60%も上昇しました。これは物価指数の計算に使うウェイトの基準を17年ぶりに変更したためで、こうした基準の変更がGDPの数字を大きく変えてしまうこともあります(39p)。


 また、GDPの国際比較というのも難問です。為替レートは切り上げや切り下げがあったり、あるいは金融政策などによって変動しがちで、為替レートで複数の国のGDPを比較しようとすると、うまくいきません。そこで、購買力平価(PPP)為替レートという各国の生活水準をよりリアルに反映させたものが用意されましたが、それでも低所得国のGDPが相対的に高く評価されてしまう傾向が指摘されています(57p)。
 他にも、低所得国における物価調査は不十分な場合が多く、ときに大きな修正が行われることがあります。2007年には世界銀行が数値を修正し、中国のPPPベースの実質GDPが40%下がったこともありました。これは中国だけの問題ではなくガーナ、ネパール、バングラデシュ、フィリピン、ウガンダなどで40%以上の修正がなされています(60p)。

 
 このように問題を抱えたGDPでも戦後の高成長期には経済政策のツールとして重宝され、大きな疑問は持たれませんでした。
 70年代になるとケインズ主義的な経済運営はスタグフレーションによって行き詰まりましたし、公害や地球環境問題が浮上していきたことによってGDPを追求するやり方に疑問が持たれました。また、GDPに代わる指数、人間開発指数HDI)などの導入も進みます。


 さらにGDPはサービスやイノベーションをどう評価するのかという問題に直面します。
 例えば、工場とそこではたらく労働者であれば、アウトプットは生産された商品で測ることができ、そこから生産性なども測れます。ところが、これが教師だとそのアウトプットは何なのかということがまず問題になります。生徒の数なのか生徒の成績なのか、それとも生徒が稼ぐ生涯賃金なのか、それをはっきりと確定させることは困難です(90p)。
 また、イノベーションに関してもそれを経済統計にうまく組み込むことは至難の業です。スマートフォンの進化が人びとにどれだけの便益を与えているのか?グーグルがどれだけの便益を与えているのか?これらを測定することもまた困難でしょう。


 そして、リーマン・ショックGDPにおいて金融をいかに扱うべきかという問題を突きつけました。
 リーマン・ショックによって世界経済が混乱する中、イギリスでは2008年第4四半期において金融業界はかつてない勢いで成長しました。これは明らかに統計の欠陥です(104p)。
 金融業のアウトプットは以前は手数料で測られていましたが、それでは金融業の付加価値はとても少なく時にはマイナスになるということで、現在は銀行が資金を貸し借りするときの利率を「参照利子率」(中央銀行政策金利など)と比較し、その差から銀行の生み出した価値を計算しています(105ー106p)。
 しかし、この定義だと、「リスクが大きければ大きいほど、金融機関の実質成長率が上がる」(106p)という問題がありますし、そもそも銀行が何を「生産」しているのか、という疑問も出てきます。


 こうしたことを受けて、著者は改めてGDPの問題点である、インフォーマル経済が統計から漏れることや家事労働などがカウントされない点などを検討し、必ずしも「GDP=豊かさ」ではないことを示しながら、同時にGDPに取って替わるような指標もまた存在しないことを指摘します(著者は各指標のダッシュボードを政策形成の手助けとすることを奨めている(123ー124p))。
 

 そして、最後に経済成長の重要性を指摘して、「今のところ、GDP以外に経済成長を測る方法はない」(142p)と結論づけた上で、GDPについての今後の展望を次のように語っています。

 アメリカ商務省はGDPのことを「20世紀でもっとも偉大な発明のひとつ」と評したが、それは間違っていない。GDPに匹敵するような指標はどこにも存在しなからだ。だがこれ以上ややこしい定義や手法を掘り下げるかわりに、21世紀の「経済」とは何かということを、経済や統計の専門家はより深く考えてみたほうがいい。
 (中略)
 なぜ「経済」はどこかの時点で大きく見直されなくてはならないのか? その理由はすでにいくつか述べたが、何よりも大きな理由は、経済が物質的なものから形のないものへと変化しているからだ。(145ー146p)

 150ページも満たない小著ですが、GDPという数字の意味を改めて教えてくれる本ですし、GDPの変遷を通した「戦後経済史」といった面白さもあると思います。あまり経済学に馴染みのない人にも薦められる本です。


GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史
ダイアン・コイル 高橋 璃子
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