今なお、SF映画に大きな影響を与え続けている『ブレードランナー』。特にテクノロジーと東アジア的な猥雑さをミックスした近未来描写は、例えば最近の『ゴースト・イン・ザシェル』なんかも基本的には『ブレードランナー』の世界を継承していました。
そんな『ブレードランナー』の続編を今になってつくるということは、少なくともあの世界観に匹敵するようなイメージを構築しなければならないわけで、そのハードルはけっこう高かったと思います。
この『ブレードランナー2049』の監督は、『メッセージ』でテッド・チャン「あなたの人生の物語」を見事に映像化してみせたドゥニ・ヴィルヌーヴ。
本作でも冒頭のカリフォルニアの風景から、ロサンゼルスの外の世界、打ち捨てられたラスベガスなど、前作のような猥雑な街を描きつつも、同時に新しいイメージを付け加えています。
さらに、主人公のK(ライアン・ゴズリング)のパートーナーともいうべきAIの描くホログラムのジョイ(アナ・デ・アルマス)が実際の娼婦と重なるシーンは出色の出来で、素晴らしかったです。
他にも暗闇のステージに明滅するエルビス・プレスリーのホログラムなど、さすがドゥニ・ヴィルヌーヴだなと思わせるシーンは随所にありました。
ただ、ドラマとしてはやや弱いところがあって、ここは前作の『ブレードランナー』には及ばない所。
前作は世界観やアイデンティティをめぐる謎だけではなく、レイチェルというファムファタールと、ルドガー・ハウアー演じる敵役のかっこよさがドラマを引っ張りましたが、今作はそういった要素が弱いです。
もちろん、アナ・デ・アルマスは素晴らしく可愛くて、AIという設定も非常にたくみに活かされていたと思いますが、主人公のKを引っ張る要素としてはやや物足りない気もします。
基本的にハードボイルド小説を下敷きにしているような展開なので、主人公が1人で行動するシーンが多いのですが、そのせいもあって展開がややスローに感じます。実際長い映画(163分)なのですが、やはりすこし長く感じるのはそのせいかもしれません。
ハードボイルドに寄せたことで前作よりもドラマ性が落ちたという点では、押井守の『イノセンス』を思い出しました。
『イノセンス』も映像的には前作に劣らないものがありましたが、チームとして動く面白さのあった『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』に比べて、バトーの一人芝居のようなシーンが増えた結果、映画としてのテンポは悪くなったと思います。
この『ブレードランナー2049』にもそれに通じるものを感じましたね。
ただ、映像はとにかく良いと思うので、退屈するということはありませんでした。SF好きであれば、やはり見ておくべきではないかと思います。