加茂具樹・林載桓編『現代中国の政治制度』

 著者の一人である梶谷懐氏よりご恵投いただきました。ありがとうございます。

 本書はタイトルの通り、現代中国の政治制度についての本なのですが、特徴としては、確固たる「制度」が固まってない内容に見える中国の政治制度を、ピアソンの経路依存の考えを用いて分析しようとしているところにあります。

 また、倉田徹が香港の民主化問題について、梶谷懐が中国の経済についての論考を寄せており(これが両者とも面白い)、中国の政治制度だけではなく、その周囲にある問題も知ることができます。

 

 目次は以下の通り。

第1部 国家――包容と強制
第1章 民主的制度の包容機能
――人代改革の起源と持続(加茂具樹)
第2章 現代中国の刑事司法制度と「厳打」
――起源、経路依存、制度進化(金野 純)

第2部 エリート政治
第3章 「集団領導制」の制度分析
――権威主義体制、制度、時間(林 載桓)
第4章 領導小組の制度変化
――中国の政策決定における半公式制度の機能の重層化(山口信治)
第5章 中国の幹部選抜任用制度をめぐる政治(高原明生)

第3部 中央・地方関係と経済
第6章 香港の民主化問題の「時間の政治学(ポリティクス・イン・タイム)」
――選挙制度形成の歴史と今後の見通し(倉田 徹)
第7章 中国経済の制度的背景
――分散的権威主義体制下の自生的秩序(梶谷 懐)

 

 第1章は全国人民代表大会全人代)について。

 権威主義国家においても多くの場合で選挙と議会、そして野党が存在しています。そして、それらは「体制エリートの離反の防止」、「反体制勢力の抑制と弱体化」、「統治の有効性の向上」に役立っており、政治における「包容」の機能を果たしていると言われています。

 中国には選挙や野党と行った存在が欠けていますが、「包容」の役割を果たしていると考えられる機関が人民代表大会(人代)です。特に本章では、社会の要求や不満を収集し政策決定者に伝達する機能である「統治の有効性の向上」に人代が一定の役割を果たしていると考え、その起源を探っています。

 

 人代は1970年代末以降、その活動を活発化させており、特に政府を監督する活動が活発化しています。「政府を監督する」ということに関しては政府(つまり共産党の中枢)が嫌がりそうな気もしますが、中国共産党の指導者地たちはこの監督活動を支持しています。共産党の指導部の「統治の有効性の向上」に関する人代の役割を認めていると考えられます。

 この人代改革のキーパーソンと考えられるのが彭真です。文化大革命の混乱を経験した彭真は文革の再来を防ぐために、人代の役割を強化し、党の活動を法で規制しようとしました。

 この彭真によって主導された人代改革が、現在の共産党支配の安定に役立っているというのが著者の見立てです。

 

 第2章は「厳打」について。「厳打」と言っても多くの人はよくわからないでしょうが、これは中国で中央政府が政治運動形式で行う反犯罪闘争のことです。この期間中は、検察・裁判所・公安、さらに市民も協力して取り締まりを行い、犯罪には通常よりも厳しい処罰が課されます。1983年には厳打中に犯罪の発生から処刑までわずか5日という事例もあったそうで(51p)、いわゆる「法の支配」からはかけ離れたものとなっています。

 この厳打は文化大革命後に深刻化した犯罪(78年に約53万件だった犯罪件数は81年には89万件になったという(51p))への対応としてトウ小平時代に導入されています。 

 この厳打は「1人を殺して100人に警告を与える」という抑止理論から正当化されていますが、公式統計でも運動終了後に犯罪が増加することを示しており、多くの問題を抱えています(53p)。

 しかし、厳打は続いています。この理由として、内戦〜朝鮮戦争の期間において中国において公安部の優位が確定し、その運動の経験が80年代になって参照されたという経緯があります。

 直接的にはポスト文革期の社会混乱が厳打を生み出すわけですが、この時代は第1章でも見られたように法による統治が模索された時代でもあります。

 それでも厳打という手法が採用されたところに、大衆路線という中国共産党の統治イデオロギーがあるといいます。「刑事司法制度もまた大衆路線という共産党の正統性維持装置のなかにビルトインされており、それが厳打のような現象を生み出し続ける内的動因として作用している」(72p)のです。

 

 第3章は中国共産党における集団領導制を扱っています。もはや習近平が「皇帝」的な権力を手にし個人独裁が始まっているのではないかと見る向きもありますが、とりあえずこれまでは集団領導制が機能してきました。この章ではその形成と展開を追っています。

 1977年に常務委員会が再建されると、80年代には幹部終身制の廃止や任期制限が打ち出され、文革への反省から個人独裁を防止する制度づくりがなされました。しかし、86年の胡耀邦の失脚や89年の天安門事件は、トウ小平個人に権力が集中していたことを明らかにするものだったと言えます。

 その後、江沢民のもとで集団領導制は定着していきます。これはトウ小平の意図でもありましたし、革命参加の経歴を持たない江沢民が正統性を獲得するためのしくみでもありました。この流れは胡錦濤にも受け継がれ、集団領導制は強化されました。

 著者は習近平のもとでも集団領導制の根幹を揺るがすようなことは行われておらず、集団領導制は継続されるだろうと見ていますが、個人的には、それはまだわからないなと感じています(集団領導制のルールをきれいに守った最高指導者はまだ胡錦濤一人で、制度はまだ可変的(フォーカルポイント的なものが形成されていない)だと思うので)。

 

 第4章は中央領導小組について。「中央領導小組は、中国共産党中央政治局および中央書記処のもとに設置され、さまざまな政策領域について各部門の代表者が集まり、各部門間の調整、政府の執行に対する指導、政策諮問などを行うグループ」(103ー104p)で、「半公式制度」ともいうべき存在です。

 領導小組には政策課題に応じてアドホックに作られるものと常設化されているものがあり、とくに地方レベルではアドホックな性質が強く、県委書記が壟断的権力を保持するための道具になっているといいます(109p)。

 

 著者のまとめによると、領導小組の機能は、「党の政府に対するコントロールと政策決定」、「政策に関する諮問」、「政策調整」の3つになります(112p)。

 このうち近年重要になってきているのが「政策調整」で、政策に関わるアクターが増えつつある中で、その調整を行うために領導小組が活用されているのです。

 胡錦濤政権にはこの領導小組が制度化され、それぞれの常務委員が各領導小組長に就くことで権力の分有が進みましたが、習近平政権になると多くの組長を習近平が兼ねる形に変わりつつあり、チップダウン型の政治決定が志向されています。

 著者は、「中国の政治の一つの特徴として、大きな方針決定についての高度の集権と具体的政策決定・実施の分散が併存していることが挙げられるが、領導小組はその間をつなぐ機能を果たしているとみることもできる」(125p)と述べる一方で、「しかし同時に、領導小組への依存は、中国政治の制度化の限界を示唆しているともいえるのではないだろうか」(125ー126p)とも述べています。

 

 第5章では中国の幹部選抜任用制度が扱われています。

 中国は古代から官僚制を発達させてきた国ですが、現在でも大学や国有企業などの職員も官僚制の階統によってランク付けされており、「中国社会の一大特徴は、いわば超官僚制化されているところにある」(131p)のです。

 こうした中、文化大革命後から現在まで中国では幹部を選抜するときに「徳」を重視するか。「才」を重視するかという問題がありました。文革後には「才」を重く見るトウ小平と、「徳」を重く見る陳雲が対立しています。

 その後、基本的に幹部任用制度は制度化と公開化が進み、実績が重視されるようになるのですが、2008年に胡錦濤が「徳才兼備、だが徳を優先する」と述べたように、近年では清廉性を取り戻すために「徳」を重視する傾向があります。

 さらに習近平政権のもとでは制度化と公開化が後退し、かなり抽象的な基準で幹部が選抜されるようになっています。これは中央に人脈をあまり持っていなかった習近平が自らの権力基盤を固めるために、あえて曖昧な基準にしたとも考えられます。

 

  第6章は香港の民主化について。この章が一番面白かったです。

 2014年の「雨傘運動」で注目を集めた香港の民主化運動ですが、ここに至るまでにはさまざまな出来事があり、また中国とイギリス、双方の誤算もありました。この章では香港の民主化の歴史をたどりながら、そのポイントを見極めようとしたものです。

 

 1980年代からイギリスは中国が香港の回収に動く可能性を考え、普通選挙による区議会を設置するなど民主化へと動きだしました。

 その後、84年に中英共同宣言が発表され、香港の返還と香港の立法議会での選挙の導入が決まりますが、89年に天安門事件が起こると香港の民主化が焦点として持ち上がり、92年に就任したパッテン総督は中国の意向を無視して民主化を推し進めます。

 これによって香港の民主化は進展しましたが、中国との協調が崩れたことによって、中国はパッテンの民主化を無効とし、中国主導で選挙制度の設計を行います。「パッテン改革は返還後の民主化にとってマイナスとなった可能性もある」(159p)のです。

 

 中国政府は香港における行政主導を目指し、立法議会の権力を制限し、行政と立法を分離して立法議会の議員が政府の役職につくことを禁止しました。さらに政党の成長を嫌い、行政長官が政党に所属することを禁止し、選挙では最大剰余式の比例代表制という小政党に有利なしくみが採用されました。これによって民主派政党が大きくまとまっていくことを阻もうとしたのです。

 この作戦は半分は成功しました。香港の民主派政党が大きく伸長することはなかったからです。しかし、同時に行政部から排除された議員は政府批判を強め、小政党に有利な選挙制度は過激な議員を当選させました。

 結果として、香港のおける行政主導は実現したとは言いがたい状態です。返還から2013年7月までの16年間の法案成立率は55.6%であり(165p)、政府の弱体化が問題となっているのです。

 

 多くの権威主義体制国家では権威主義体制ながら議会があって選挙があります。この理由として今井真士『権威主義体制と政治制度』 では、議会には「野党勢力の取り込みの場」、選挙には与党優位の場合は「利益誘導の機会」、政党には「与党勢力内のエリートの利害調整と民衆の動員」という機能があるとしているのですが(42p表2.5)、香港では行政部と議会を分離したために野党勢力の取り込みができず、政党の伸長を抑える選挙制度にしたために利益誘導もうまくいっていない様子なのです。

 

 また、香港の「一国二制度」にはきたるべき台湾統一のためのモデルという意味もありましたが、台湾で民主化が進展したこともあって香港の民主政治は台湾にとって全く魅力のないものとなり、「台湾のひまわり運動でも「今日も香港は明日の台湾」とのスローガンが多用され」(168p)ました。

 こうした結果、香港ではある種の停滞がもたらされています。民主化は完全に停滞していますが、中国政府も完全には思い通りにはできないような状況です。2014年の雨傘運動は現れと言っていいでしょう。

 

 第7章は経済問題を扱っています。この章の内容に関しては著者による『中国経済講義』(中公新書)の内容と重なっている部分がありますが、加藤弘之の「曖昧な制度」の議論と、小川さやか『「その日暮らし」の人類学』の議論を援用している部分がこの論文の特徴と言えます。

 「曖昧な制度」の議論の中で著者が注目するのは「包(請負)」の考えです。「包」とは、ある業務の遂行を第三者に丸投げするということを意味するのですが、この「包(請負」」の連鎖構造が中国経済発展の一つのポイントとなってきました。改革開放を支えた「生産請負制」や上級政府と地方政府の「財政請負制」などはその例です。

 

 小川さやか『「その日暮らし」の人類学』は、タンザニアの零細商人へのフィールドワークを通して彼らの行動原理を探ったものですが、この行動原理と中国人の行動原理には通じるものがあるといいます。

 タンザニアの零細商人たちは、何か共同体的な関係を前提として計画を立てたりせず、何かのプロになろうとするのではなく何でもある程度こなせるジェネラリストを目指し、好機を捉えようとするといいます。

 これは近代的な資本主義の考えとは相容れないような考えですが、こうした彼らの商売は、儲かると思われる業種に人々が殺到し、すぐに過剰生産に陥り、参入した企業が共倒れになる中国の「殺到する経済」と密接に関わっているといいます。

 こうした生み出される、「安定なき停滞」とも呼べる不確実な状況が、アフリカの零細商人の「その日暮らし」の行動、さらには「山寨携帯」に見られるような中国の零細業者の行動を生んでいるとも言えるのです。

 

 著者は加藤弘之と小川さやかの議論に共通するインフォーマル性への注目をとり上げ、これは経済の後進性を表しているのではなく、「もう一つの資本主義」を形作るものとして類型化できるのではないかと考えています。

 そして、議論は『中国経済講義』の第6章の議論と重なる、中国におけるイノベーションと、中国における「自制的秩序」についての議論につながっていきます(この議論に関してはこちらを参照)

 

 基本的に中国の政治制度に関する専門書であり、専門的な興味がある人が読む本だとは思いますが、第7章は『中国経済講義』の補助線として面白いと思いますし、第6章は権威主義体制というものを考えたい人に広く薦められる内容になっていると思います。