千田航『フランスにおける雇用と子育ての「自由選択」』

 ずっと日本では少子化が大きな問題として認識されています。一時期よりは良くなったとはいえ、2016年の合計特殊出生率は1.44 で、今の人口を維持していくことはできない水準となっています。

 少子化は基本的には先進国に共通した問題なのですが、下のグラフを見ると70年代以降ずるずると低下し続けた日本やドイツ、イタリアとそこから反転したフランスやスウェーデンアメリカといった図式が読み取れます。

 

https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/img/sekai-shusshou1.gif

内閣府 https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/sekai-shusshou.html より

 

 だいたいこうしたグラフのあとに、「アメリカは移民国家だから、フランスやスウェーデンは子育てに対する手厚い福祉を行ったから出生率が回復した」というような説明がなされることが多いのですが、実は同じ「手厚い福祉」といってもフランスとスウェーデンではその中身が少し違います。

 スウェーデンでは女性が子どもを産んだあとも働き続けられることに主眼が置かれているのに対し、フランスでは専業主婦の世帯にも支援が行われるようになっています。

 また、少し難しいことを言うと、G・エスピン‐アンデルセンの福祉社会の3類型においてもスウェーデン社会民主主義ジーム、フランスは保守的レジームと違っています(『福祉資本主義の三つの世界』参照)。

 保守的レジームの国は他にドイツやイタリアなどがあり、出生率は低迷しています。ですから、フランスの出生率子育て支援というのは、理論的な見通しからは少しずれているのです。

 

 この「ずれ」を歴史的に検証し、フランスの子育て支援を特徴づける「自由選択」という概念がいかなる形で定着してきたかを論じたのが本書になります。

 著者の博論を元にした本で、「フランスの子育て支援について知りたい」という人が読むとややわかりにくい部分があるかもしれませんが、専業主婦がまだかなりのウェイトを占めている日本に対する示唆の大きな本で、少子化問題に興味がある人はチャレンジしてみる価値のある本だと思います。

 

 目次は以下の通り。

序 章 福祉国家の新たな鍵―困難に立ち向かう家族政策と「自由選択」
第1章 「自由選択」は何をもたらすのか―対立を超えた福祉政治の可能性
第2章 「自由選択」の見取り図―ライフスタイル選択の政治
第3章 「自由選択」への助走―フランス家族政策の成立と安定
第4章 「自由選択」の発展と再編―2階建て現金給付の確立
第5章 認定保育ママと働く女性への「自由選択」
終 章 「自由選択」の意義と課題

 

 まず、現代の福祉国家を語る上で外せないのが「男性稼ぎ手モデル」の限界です。第2次大戦後、多くの国が「男性稼ぎ手/女性ケアの担い手」という性別役割分業をもとに福祉制度を構築してきましたが、このモデルは1970年代頃から維持が難しくなってきました。

 そこでスウェーデンなどの北欧諸国は女性が働きながら子育てできる仕組みを整えていったわけですが、そこでうまく変化できなかったのがエスピン‐アンデルセンに言わせればドイツ、イタリア、フランスなどカトリックキリスト教民主主義などの影響によって「男性稼ぎ手モデル」にこだわった保守主義ジームの国です。

 そして、保守主義ジームと必ずしも同じというわけではありませんが、日本も強固な「男性稼ぎ手モデル」を持つ国です。

 

 ところが、最初にも述べたようにフランスは保守主義ジームの国でありながら高い出生率を誇っています。

 フランスには手厚い子育て支援があり、それが高い出生率を支えているわけですが、フランスの子育て支援スウェーデンのような女性の就労のために行われているものとは少し違います。

 その鍵となるのが本書のキーワードともなっている「自由選択」なのです。

 これは女性に、外で働くか家で子どもの面倒を見るか、あるいはどのような保育方法をとるかという選択肢を保障するもので、専業主婦であってもその子育てを公的に支援するものです。つまり、スウェーデンのように就労と子育て支援がセットになっているのではなく、子育て支援がそれだけで自立しているのです。

 

 フランスの実際の子育て支援に関してはさまざまなものがあるのですが、特徴的なのは48pの表1-1で紹介されているさまざまな現金給付です(さらに細かい表が巻末資料にもある)。

 妊娠7ヶ月のときに支給される出産・養子手当金(923.08ユーロ)、3歳未満の子どもがいる家族への基礎手当(184.62ユーロか92.31ユーロ)、6歳未満の子どもがいる家族が認定保育ママや在宅保育者などによる保育を行うときの保育方法自由選択補足手当(0~3歳までは174.37~460.93ユーロ)、3歳未満の子どもがいる家族が就労の中断かパートタイム勤務を行う場合の就業自由選択補足手当(満額で390.52ユーロ)、第2子以降の子どもがいる家族への家族手当(子ども二人の場合129.35ユーロ)など、数多くの現金給付があり、しかも、その多くに所得制限が付いていません。

 

 もちろん、これは一朝一夕にできた制度ではありませんし、はじめから計画された制度とも言えません。本書はその「自由選択」のアイディアがいかに生まれて、いかに定着したのかということを追っていきます。

 

 フランスの家族政策は家族手当や出産・養子手当などの基礎的給付と、就業自由選択補足手当、保育方法自由選択補足手当などの補足的給付の2階建ての構造を持っています(105p図3‐1参照)。

 この構造は第2次大戦前からある伝統的なもので、フランスでは非常に早い時期から普遍主義的な現金給付が行われていたのです。

 

 フランスでは1860年に皇帝通達で海兵隊員などの10歳未満の子どもに1日0.10フランの手当を支給する制度が始まりました。この制度は官庁の職員などにも拡大されていき、さらに1913年には13歳未満の子どもを4人以上養い生活費を欠くすべての家族に手当を支給する多子家族扶助法が成立します。

 さらに1910年代後半に使用者の拠出による補償金庫が子どもに対する家族手当を支給し始めたことで現金給付が拡大していきました。

 1939年7月には使用者や自営業者などすべての人を対象とした家族法典が成立。普遍主義的な家族手当が実現します。なお、この動きの背景には第2次大戦前の人口減少への恐れがあります(この大戦前の人口減少への恐れはマーク・マゾワー『暗黒の大陸』でも触れられている)。この家族手当はヴィシー政権のもとでも増額されました。

 

 戦後になっても普遍的な家族手当は維持され、全国家族手当金庫(CNAF)がつくられ、家族手当は疾病保険や年金保険と並んで福祉の柱と位置づけられました。

 また、戦後MRP(人民共和派)が政権運営のキャスティングボードを握ったことも家族手当の発展の追い風となりました。カトリック系のMRPは婚姻や出産を奨励するスタンスをとったからです。

 

 フランスの家族手当は女性の就労を支えることよりも子どもや家族への経済的支援が中心でしたが、70年代後半になるとそれが徐々に代わってきます。

 女性の労働市場への参加拡大と少子化問題の再浮上により(1965年に2.82だった出生率は1975年に1.96に落ちた(137p))、ひとり親手当や障がい児手当などとともに第三子以降の支援が拡大され、さらに認定保育ママ制度などの両立支援策も打ち出されていきます。

 そして、認定保育ママ制度を打ち出したジスカール・デスタンやミッテランによって「自由選択」というアイディアが浮上してくることになるのです。

 

 しかし、この「自由選択」という考えはすんなり定着したわけではありませんでした。90年代になると財政状況が悪化し、フランスの普遍主義的な家族手当は試練にさらされることになります。

 1995年の大統領選挙でシラクが当選し、首相にはアラン・ジュペが指名されます。ジュペは社会保障財政の悪化に対応するために、ジュペ・プランと呼ばれる社会保障改革プランを発表しますが、ここには家族手当に所得制限を導入することなども含まれていました。シラクは第1子向けの補足的給付である「自由選択手当」を導入する考えを持っていましたが、ジュペ・プランの中では特に取り上げられておらず、所得制限の導入への反発が労働組合や今まで政府と協調的だった全国家族協会連合(UNAF)などから起こり、結局、所得制限の導入は見送られ、今までの普遍的な家族手当が維持されます。

 

 1997年の総選挙で左派陣営が勝利すると、社会党のジョスパンが首相となります。ジョスパンもまた家族手当への所得制限を打ち出しますが、これもUNAFや各党の反発を招き、一度は導入が決まるのですが、わずか10ヶ月で撤回されました。

 一部には所得制限が導入されたものの、結局、フランスでは家族手当の普遍主義的性格が維持されました。

 こうした一連の議論の中で、右派左派ともに「自由選択」という言葉を使うようになり、この言葉へ反対しなくなります。家族手当への所得制限は断念される一方で、「自由選択」というキーワードのもとで家族手当の再編成が図られていくことになるのです。

 

  2004年には乳幼児向けの現金給付を再編してPAJEが創設されました。使徒を限定しない現金給付が第1子から導入されるとともに、両立支援のための保育方法自由選択補足手当が拡充され、パートタイム労働を選択した場合に給付される就業自由選択補足手当も引き上げられました。

 これらの支援は必ずしも両立支援一本槍ではありません。例えば、就業自由選択補足手当は女性がパートタイム労働を選択する誘引ともなりましたが、こうしたことも「自由選択」というキーワードのもとで行われていったのです。

 

 フランスでは早くから3~6歳までの保育を整備していましたが、0~3歳の部分は手薄で対応すべき課題となっていました。そこでその部分を補ったのが認定保育ママです。第5章ではその拡充の経緯がとり上げられてます。

 認定保育ママ制度は1977年に始まっていますが、順調に拡大したわけではありません。認定保育ママ制度を利用すると、親が認定保育ママと公式な雇用契約を結ぶことになり、所得税社会保険料を支払う必要が出てきます。そのため、それまでのような雇用関係ではない「子守り」のままでいたほうが良いという考えが、保育ママにも雇う側の親にもあったのです。

 そこで、1989年から改革が行われ、認定保育ママを雇用する親の社会保険料相当部分をCNAFなどに肩代わりさせる制度がはじまります。これによって認定保育ママは急増し、整備が追いつか泣かなかった保育所に代わって、3歳未満の子どもを保育する主要な柱となったのです。

 

 こうした内容を受けて、著者は終章で次のように述べています。

 

 これまでの福祉国家研究は「男性稼ぎ手モデル」が維持困難になった世界を、女性の労働市場参加を前提とした特定の家族像で代替することで乗り越えようとしてきた。それに対して、フランスは特定の家族像への誘導ではなく、多様な家族像の許容(「自由選択」)によって乗り越えようとしている。こうした多様なライフスタイル選択の許容あ、国際比較の点からフランス家族政策の位置づけを困難にしている。「自由選択」という家族政策への方針の一致は、家族と雇用の変容に影響を受けながら、家族政策の制度的持続性から抜け出すこともなく確立した合意と妥協の帰結であった。(209-210p) 

 

 「自由選択」とはいえども、すべての人が希望の保育方法を実現させているわけではなく保育所は不足気味という現実があるわけですが(233p図終−1参照)、いまだに専業主婦がそれなりのボリュームでいて、また女性の間でも「子どもが小さいときは、できることなら家にいてあげたい」と考える割合の多い日本では(例えば2015年のジブラルタル生命の調査では86.1%がそう思うと回答)、両立支援一本槍ではなく、在宅で子育てをする家庭も支援するフランスのやり方は参考になるのではないかと思います。

 

 もちろん、財源の問題もあり(この本を読む限りフランスでは使用者に大きな負担がかかっているはずなのだけど反発はないのだろうか?)、歴史も違うので、フランスのような制度がそのまま導入できるとは思いませんが、保育の無償化などあまり出生率の向上に寄与しさそうな政策に財源を投入するなら、フランスのような普遍的な家族手当に財源をまわすのもありだと思います。

 

 このように本書は日本の少子化問題や両立支援を考える上でも示唆に富む本だと言えます。

 最初にも述べたように、博論を元にした本で福祉国家をめぐる理論的な背景なども説明している分、決して読みやすい本ではないですし、値段もそれなりにする本なのですが、本書で示されたフランスの子育て支援制度と「自由選択」という考えは、今後の日本の問題を考えていく上でも有益なものといえるでしょう。

 というわけで、著者にはこの本をベースにフランスの子育て支援政策を紹介する一般書を期待したいですね。