加藤聖文『国民国家と戦争』

 副題は「挫折の日本近代史」。明治維新から第2次大戦での敗戦までの歴史を、「国民国家」という枠組みに注目しながらコンパクトに辿った本になります。
 角川選書の1冊ですが、参考文献まで入れても220ページの本で、ボリュームとしては厚めの新書としてもいけそうです。ですから、それほど個々のエピソードは深掘りされていないのですが、重要事項を押さえつつ、今まであまり注目されていなかった事件や人物にも目を向けており、コンパクトでありながらオリジナリティを持つ内容です。
 著者は『「大日本帝国」崩壊』中公新書)などの本を書いていますが、今作でもミクロ的な動きをマクロ的な図式に位置づける腕が冴えています。

 
 目次は以下の通り。

序 章 国民国家日本を考える
第一章 明治維新と「国民」創りの始まり
第二章 創り出される「国民」意識
第三章 多様化する国民国家と新しい「国民」
第四章 変容する国民国家
終 章 「国民国家」の創り直し


 フランス革命以降、国民を基盤とする国民国家が成立し、国際社会の基本単位となってきました。それは21世紀の現在でも変わりません。
 しかし、この国民国家とは人工的なものでもあります。日本は大まかに言って「日本国民=日本民族」となっているので(もちろん大まかに言って)、この人工性が意識されることは少ないですが、例えば、イギリスは民族の違いにこだわればイングランドスコットランドウェールズ北アイルランドの4つの国家に分裂させることも可能ですし、逆に民族的な同質性にこだわってオーストラリアやニュージーランドと一つの国民国家を形成することも可能かもしれません。国民国家の枠組みとはあくまでも可変的なものなのです。


 「日本人」という枠組みが意識されるようになったのは幕末からです。
 ペリー来航以降、尊王攘夷論が吹き荒れますが、その中において著者は武市半平太が結成した「土佐勤王党」など、身分制を打破しようという動きに注目しています。
 尊王攘夷論はまず国防問題として生まれましたが、その中から政治制度や身分制度の変革をめざす動きも出てくるのです。
 特に幕府による長州征伐や下関戦争によって追い詰められた長州藩では、領民を取り込むかたちで奇兵隊をはじめとする諸隊が結成され、身分制が実質的に解体していくことになります(元は百姓身分の伊藤博文足軽以下の中間身分だった山県有朋が飛躍できたのもこれがきっかけとなる(36-37p))。
 

 日本は国民国家としては後発だとみられていますが、明治新政府の成立は1868年であり、イタリア統一1870年、ドイツ帝国成立の1871年などと比べると、決して遅いとはいえません。
 明治新政府の成立後、日本は国民国家の三要素である領土・国民・主権の確定と整備を急ぎます。まずは隣国との間の国境線を確定し(国民国家以前は不毛の地は放置されたが、国民国家成立以降は無人島でも領土として確定されていくことになる)、「小国民」をつくり上げるために藩を廃止して身分制を解体し、地租改正によって村という中間団体を排除して直接税をとりました。そして「主権」を維持するために富国強兵が目指されたのです。


 改革の過程で維新に関わった志士はリストラされていき、官僚制がつくり上げられていきます。この「有司専制」に対して、自由民権運動が起こりますが、これに地租改正に不満を持った農民層が加わり、五箇条の御誓文の「公議政体」を求めたことから、この運動は活性化していきます。
 政府側と民権運動側が政府の主導権を争うかたちで憲法の制定が進むのですが、両者とも国民国家の中心に天皇を位置づけるという点には違いはなく、その妥協として名目的には天皇に権力が集中しているが実質的には分権的である大日本帝国憲法が成立します。
 また、こうした過程の中で江戸時代には入り組んだ支配を受けていた村が再編され、行政の最小単位としての「村」がつくり上げられていきました。


 「国民」創りは教育の場などで行われましたが、それとともに「国民」意識の養成の場となったのが軍隊でした。
 特に日清戦争は多くの人々に「日本」という国家、日本「国民」としての自覚を意識させたと考えられています。兵士たちは故郷で盛大な見送りを受けて出征し、戦争が終わると故郷に「凱旋」しました。戦争前はただ農民だった男が地元の名士扱いになることも珍しくなかったのです。また、日本の軍隊では、社会階級が軍隊内の階級に持ち込まれず、出世が可能だったことも「国民」意識の養成に役立ちました。
 日露戦争ではさらに多くの人々が出征し、ナショナリズムも盛り上がりましたが、同時に大きな犠牲をはらった「国民」からは外交への不満なども噴出します。


 このナショナリズムの高まりによって生まれた民衆の政治参加の要求とどう折り合いを付けるかが大正期の課題になります。
 明治期は明治天皇天皇が国民と国家の間の調整弁や緩衝材の役割を果たしましたが、病弱な大正天皇にその役割は期待し難く、天皇の神聖性のみが強調されました(115p)。
 また、日清戦争で台湾を、日露戦争南樺太を獲得し、そして1910年に韓国併合を行うなどして領土を拡張した日本は、これらの地域に住む人々をどう扱うのかという問題にも直面することになります。
 結局、帝国憲法は及ぶが施行せずという形をとることとなりますが、それは以下のような奇妙な状態を引き起こしました。

 同じ国民でも樺太に居住すると参政権(選挙権と被選挙戦)がなくなるという奇妙な状態になった。ちなみに、台湾でも朝鮮でも居住する住民には参政権がなかったが、これは現地人に限らず日本人も同様であった。しかも、日本人の場合、兵役はどこに住んでいようと適用された。逆に、日本国内(内地と呼ばれた)に居住する朝鮮人や台湾人には選挙権が与えられていたが、兵役はなかった。(120p)

 こうした中で、朝鮮では三・一独立運動が勃発し、台湾では台湾議会設置請願運動が盛り上がります。


 国内では米騒動によって寺内正毅内閣が倒れ、本格的な政党内閣として原敬内閣が誕生しますが、経済では大戦景気が終わり、日本はたびたび不景気におそわれるようになります。


 資本主義が発展する一方で、緊張を増してきたのが地主と小作人の関係です。しかし、政友会はどちらかというと地主の利益を代弁する政党で、この問題に応えようとはしませんでした。
 この問題に取り組んだのは政党政治家ではなく農商務省(1925年から農林省)の官僚たちです。明治期には柳田国男がこの問題に取り組み、大正期には石黒忠篤らが米価調整や農業金融の整備を行いました。
 一方、政党は普通選挙が導入された後も、これらの問題への取り組みは鈍いままでした。  
 
 
 国民の政治権利意識が高まる中で、国民の声は政党を通じて国家に影響をあたえていくべきなのですが、それにうまく政党が応えられず、国民と国家、あるいは国民と天皇を直結させるような国家主義が台頭していきます。
 また、政党が田中内閣の不戦条約や浜口内閣の海軍軍縮条約など、国民生活には直結しない外交政策を倒閣のために利用したことも政治を混迷化させました。著者は「国民国家において外交という問題は、現在においても解決されない課題である」(160p)と述べ、外交に必要な専門的な人材や秘密と国民のコミットメントの両立の難しさを指摘しています。
 戦前の日本では満州事変をきっかけに国民が軍部を支持するようになり、外交がコントロール出来ない状況になっていきます。


 一方、国内では世界恐慌に伴う生糸の暴落などによって農村が大きな打撃を受け、これに対して自治農民協議会という農本主義者団体が中心になり、農村救済請願運動が起こります。これは既成政党とも社会主義系の団体とも違った系統の団体で、のちに教えていた塾生が五・一五事件に参加することとなる橘孝三郎満州移民を押し進めた加藤寛治などが中心でした。
 この運動は盛り上がりを見せ、斎藤実内閣になると農村救済のための諸政策が進められることになり、石黒忠篤らが中心となり農山漁村経済更生運動も始まります。農本主義者と官僚によって新しい農村政策が進んでいくことになるのです。
 中央では、天皇機関説事件によって、天皇憲法の枠外に放り出され、天皇は「絶対化」されると同時に祭りあげられます。こうして、明治憲法は空文化していきました。
 

 こうして日本は戦争に突入していきます。そして、アジアに領土を広げた日本は、占領地の人々をどう扱うかという問題に直面し、いわゆる「皇民化」を進められます。1944年に朝鮮と台湾で徴兵制が始まり、1945年に朝鮮・台湾での参政権付与が決定されたという事実は、国民国家を再編成する動きといえるでしょう(195ー199p)。
 しかし、この試みは破綻し、1945年の8月に外地の人びとは日本から切り離されていくのです。


 基本的にこの本は日本近現代史の概説書なのですが、ここではオリジナリティのある部分を中心にまとめてみました。概説書でありながら著者独自の視点が生きていることがわかると思います。
 きちんと勉強していくためには、巻末の参考文献からさらにということになるのでしょうが、まずは入り口としてお薦めできる本になっています。


国民国家と戦争 挫折の日本近代史 (角川選書)
加藤 聖文
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