ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』

 白水社から刊行された「ボラーニョ・コレクション」の最終巻。「スタニスワフ・レム・コレクション」とかと比べるとスムーズな刊行ペースだったと思います。
 最後を飾るこの『チリ夜想曲』は、150ページ弱の中編小説。ウルティアという神父でもあり文芸評論も行っていた人物の死の間際の告白というスタイルをとっています。
 文章は改行なしで延々と続くスタイルで、今までのボラーニョの作品とはやや違った印象も受けます。


 また、この話の重要な部分を占めるのがピノチェト軍政下のチリで、ピノチェトの弾圧から国外に逃れた人をとり上げることが多い(実際、ボラーニョも海外へ逃れた)ボラーニョの作品の中では、そこもやや異色です。
 ただ、ピノチェトのクーデターが行われる前の時代のことも数多く語られており、配置されているエピソードの数々はいかにもボラーニョ的なものでもあります。
 

 ただし、そんな中でもやはり異色であり、この小説の中でもひときわ輝くのがピノチェトにまつわるエピソードです。
 ピノチェトというのはボラーニョにとって生涯にわたって対決すべき存在であったのだろうと思いますが(悪やファシズムへの執拗な言及はやはりある程度はボラーニョ自身の体験から来ているのだと思う)、ピノチェトがはっきりと登場するのはこの小説だけではないかと思います。


 主人公のウルティア神父は、ピノチェトとその他の将軍にマルクス主義について講義するという依頼を受け、密かに講義を行います。
 他の将軍たちが脱落する中でピノチェトは最後まできちんと講義を聞き、その後、主人公にアジェンデが何を読んでいたのか知ってるか、と尋ねます。主人公が何も答えられないでいると、ピノチェトは雑誌だよ、と答え、インテリと思われているアジェンデが本を読まない人物だったと言います。さらに畳み掛けるようにチリの政治家たちがきちんとした本を読んでいなかったことをあげつらい、一方で、自分にはきちんとした著作(軍事史地政学の本)があることを告げます。


 ボラーニョは特にピノチェトがなした行為と彼の人格を結びつけることもありませんし、ピノチェトを異常者のように描くこともありません。ただし、それだけに上記のピノチェトの自分は本を読んでいるというアピールは非常に深い印象を残します。
 ピノチェトはつまらないことに拘泥する真面目な人間なのですが、そこから「悪」が生まれてくるのです。


 全体的に他のボラーニョの作品に比べるとそんなに読みやすいものではないのですが、強い印象をあたえる小説に仕上がっています。


チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)
ロベルト・ボラーニョ 野谷 文昭
4560092699