中村元『近現代日本の都市形成と「デモクラシー」』

 副題は「20世紀前期/八王子市から考える」。東京の八王子市の1920年代後半から1940年代前半の都市展開と政治情勢を追いながら、普通選挙導入によって政治の世界へと躍り出た「無産」勢力が、地方政治においていかなる動きを見せたのかということを探った本になります。
 博士論文をもとにした本で、歴史学の難解な概念や言葉が使われているので、ややわかりにくく感じるところもあると思いますが、普選導入から戦争へといたる政治状況に興味がある人にも、また、八王子を中心に東京の多摩地域の歴史に興味を持っている人にも、非常に面白い材料を提供している本だと思います。
 ちなみに著者は「なかむら・もと」と読み、高名な仏教学者の中村元(はじめ)とは別人物です。


 目次は以下の通り。

序 章 日本近現代史研究における都市史研究とデモクラシー研究の交点 ――問題の所在と本書の視角
第一章 男子普通選挙制導入期の大都市近郊都市――東京府八王子市の状況
第二章 昭和恐慌期における都市計画事業の展開と「無産」政治勢力
第三章「土木稼業人」の労働史――二〇世紀前期における仲木屋鉱一の軌跡
第四章 一九三〇年代大都市近郊における都市地域社会と「無産」政治勢力 ―――屠場市営化・移転問題の展開を手がかりに
第五章 一九三〇・四〇年代大都市近郊都市論の前提 ――二〇世紀前期日本の「田園都市」・「地方計画」・「衛星都市」
第六章 一九三〇・四〇年代大都市近郊都市の変容と新体制をめぐる対抗
第七章 翼賛選挙期大都市近郊都市における地域政治構造の変容
第八章 戦前日本における「デモクラシー」の基底 ――新体制運動期における「革新分子」神谷卓・小島鉄広に即して
終 章 近現代日本の都市形成と「デモクラシー」――本書のまとめ


 1925年の男子普通選挙導入によって、財産を持たない、いわゆる無産階級にも政治参加の道が開かれます。これに関して、市町村への政治参加という点で見ると、農村では農民運動勢力の参加が進行したのに対し、都市では労働運動勢力の参加が微弱であった点に注目し、「都市が農村より進んでいたとはいえない」という林宥一の主張があります(6p)。
 また、昭和期のファシズムについて、大正デモクラシーとの関係をどう捉えるかという問題があります。大正デモクラシーと昭和期のファシズムは180度違うようにも見えますが、デモクラシーを平等化・同質化への志向だと考えると、昭和期のファシズムはデモクラシーのある側面の進展とも捉えられます。
 この本は、そうした学説に対して、「では実際にどうだったのか?」ということを、東京近郊の多摩地域の都市の変化を重ね合わせながら見ていきます。


 まず、この本が舞台とする八王子市ですが、この本の240pに載っている以下の地図を見てもわかるように、現在の八王子市よりはずいぶんと小さいです(現在は元八王子村、小宮村、横山村、由井村、浅川町、恩方村といった部分も八王子市)。ただし、周囲を見ると、当時の多摩地域には八王子以外に市が存在せず、多摩地域の中心都市だったことがわかります。


 八王子は近世以来、近隣で作られた生糸や絹織物の集積地であり、市内には織物業や染色業も発展していました。しかし、1922年に立川に陸軍航空第五大隊が設置されると、立川は軍都として急速に発展していきます。八王子市の人口が1920年の段階で38955人だったのに対して、立川町は4633人、これが1940年になると八王子市62279人に対し立川町33849人と、その差を縮めていきます(50−51pの表1−3)。
 

 政治的には、多摩地域自由民権運動がさかんだった地域であり、政友会の「金城湯池」と見られがちですが、八王子市では非政友会系も一定の議席を確保しており、1921年の市会選挙では政友会系12議席、非政友会系(憲政会系)13議席と二大政党制の傾向が見られます(52ー53p)。
 こうした状況の八王子市において、男子普通選挙の導入がいかなる変化をもたらしたのかということが、この本の一つのポイントになります。


 当時の八王子市には工場労働者が数多くおり、無産勢力が票を得ることも期待できそうですが、実際にはそうはなりませんでした。1926年の衆議院補欠選挙においても、1928年の東京府会議員選挙でも社会民衆党社民党)の候補は惨敗しています。
 これは当時の無産政党の組織化が農民と大工場の労働者を中心に進んだことなどが影響しています。八王子の工場は零細なものが多く、八王子の無産勢力は労働者ではなく、洋服商やクリーニング業、テキ屋など、「ささやかな自営業」に支えられたものだったのです(63p)。


 第2章では、昭和恐慌時における失業救済事業と無産勢力の関係を見ていきます。
 八王子市では都市計画事業の実施が課題となっており、失業対策も兼ねて、幹線道路の舗装工事や区画整理事業などが行われました。この現場で働くために八王子には在日朝鮮人の労働者をはじめとして、さまざまな自由労働者(日雇い労働者)が集まってきます。
 こうした人々を組織することを無産政党社民党全国大衆党(大衆党)が試みますが、両派が主導権争いを繰り広げたこともあって、「大衆党も社民党も労働者を喰ひ物にするなら一切何事も頼まないから帰つてしまへ」(83p)と言われる始末でした。


 また、区画整理事業をめぐっては町内で農業を営む小作人の反対運動も起きてきます。小作人自由労働者も「無産」勢力に属する人びとですが、ここでは工事に反対する小作人と、工事の進展を求める自由労働者の利害が対立することになりました(90−91p)。
 こうした中、無産勢力の中からは右翼的立場の無産勢力が登場し、左翼もまた分裂していきます。自由労働者を率いていた仲木屋鉱一は社会大衆党を脱退して、右翼的な勢力の野口幹と結びつきますが、その野口は地主を剣術で脅しながら区画整理事業の推進を図るという、今で言う地上げ屋まがいのことをした人物でした。しかし、その野口の行動は工事の進展を願う自由労働者にとっては好ましいものでもありました。八王子市では「無産勢力VSブルジョワジー」という明快な図式がつくり上げられることはなかったのです。


 第3章では、第2章に出てきた自由労働者のリーダー・仲木屋鉱一のことが掘り下げられています。
 仲木屋は、「請負師」という親分子分の関係によって土木工事を請け負う父のもとに山梨県で生まれ、小学校を卒業後に土工となり、1920年代になると多摩地域の土木工事に参加するようになり、17歳という年齢で「労働供給業者」として多摩御陵の建設工事に参加しています。その後、1930年に八王子市で「失業登録者」となっています。
 土木業に精通していた仲木屋は、八王子市の自由労働者のリーダー的存在になり、旧社民党系の人びとと連携して三多摩自由労働組合を結成します。しかし、失業者に対して仕事の口が少なかったこともあり、常に仕事にありつける仲木屋らと、仕事にありつけない技能のない労働者の対立が強まり、なかなかうまく行かなかったようです。仲木屋自身も土木労働者の低賃金の元凶は新規に参入してくる「似而非労働者」だと見ており(134p)、ここでも無産勢力の結集はなりませんでした。
 仲木屋はこの後、左翼無産勢力と手を切り、愛国勤労組合を結成して、八王子の右翼無産勢力と手を結びます。


 第4章では、この時期に八王子市で持ち上がった屠場の市営化と移転問題がとり上げられています。
 当時の八王子市には子安町に私営の屠場がありました。東京では私営の屠場も多く、大消費地というだけあって多くの家畜が殺されていたわけですが、当然ながら周囲の住民からすると迷惑な施設でした(もちろん、被差別部落との関係もあるが、この本では特に深くは触れられていない)。そして、1920年代後半になると、施設の狭隘さや衛生面が問題とされ、多くの私営の屠場が移転を求められていきます。
 八王子の屠場も1929年をもって営業の許可が取り消されることになるのですが、屠場が市の財政に貢献するということもあって、屠場の市営化と移転が検討されることになるのです。


 いくら利益が出るといっっても屠場は基本的には歓迎されない施設であり、いわゆるNIMBY (“Not In My Back Yard”(我が家の裏には御免))問題を引き起こします。
 移転先は同じ子安町ですが(この本の書き方だとどこからどこに移転しようとしたのかがよくわからない)、周囲の住民からは反対の声が上がり、子安町会聯合会が中心となり、屠場設置反対期成同盟会が結成されます。特にこの運動を担ったのは旧来の地主層ではなく、新しく台頭した都市の自営業層でした。 


 この運動に対する無産勢力の対応ですが、右翼無産勢力だけでなく左翼無産勢力も設置促進を主張しました。特に左派の社会大衆党は「敷地予定地の子安町民、地主の猛省を促すべく社大党支部独自の決議文を手交することゝなり」(172p)との方針を打ち出すなど、市全体の利益を強調して屠場設置を進めようとしていきます。
 一方、政友会系や民政党系の市議は「町」の主張を認める姿勢を取ります。既成政党が地域の個別利益に配慮しようとしたのに対して、無産勢力は地域に組織されていない無産階級と俸給生活者の支持を得ようと、市全体の利益を打ち出しました。
 結局、屠場の建設自体は、子安町民にとって大きな利益となる八王子駅南口の開設問題と絡んで進められ、1936年に完成します。
 

 第5章は1930・40年代の日本の都市政策を内務官僚飯沼一省の議論を中心に見ていくもの。「衛星都市」を使った工業の分散などが主張されており、八王子もそうした「衛星都市」の一つに位置づけられることになります。


 第6章では1930・40年代の八王子の動きを、「新体制」との絡みを中心に見ていきます。
 八王子市の市会では1929年の選挙の際には議員の4割を占めていた織物関係業者の割合が33年の選挙では3割を切るまでに低下するなど、普選の導入と浮動票を構成する俸給生活者や貧困層の増加によって、その政治的な勢力図も変わりつつありました(235p)。
 そうした中で、無産勢力である社会大衆党や日本無産党といった無産勢力が市会選挙でも議席を獲得するようになっていきます。
 また、1937年に日中戦争が始まると、軍需産業に引っ張られる形で近隣地域の工業化と都市化が進行します。立川だけでなく中島飛行機の航空エンジンの工場が作られた武蔵野町、さらに三鷹村、町田町、調布町、府中町などでも軍事施設や軍需工場の建設が進んでいきますが、こうした中で、やや出遅れていたのが八王子市です。
 市内に大工場を誘致する余地がない八王子市は、周辺の小宮町、横山村、由井村などとの合併によって工業用地を確保しようと動き出します。


 1940年になると、いわゆる近衛新体制運動が動き出します。既成政党を乗り越えて国民組織をつくり上げようとしたこの運動に、八王子においてもまずは無産勢力がまっさきに呼応しました。
 しかし、民政党系の市長であった関谷源兵衛も新体制運動に呼応し、現職や前職の府議や市内の有力団体の首脳などを集めて、新体制樹立のための懇談会を開催します。新体制運動に乗っかる形ではありますが、メンバーを見渡していみるとそれは旧勢力の結集であり、「革新」の排除でした(251p)。
 こうして足元固めた関谷市政は、小宮町への合併へと動き、1941年にこれを実現させるのです。


 第7章では1942年の翼賛選挙に焦点を当てています。本来、1941年に行われるはずだった衆議院議員選挙は開戦が近づく中で延期され、翌42年の4月に行われました。この選挙は政府が推薦候補を選定し、その当選を目指して選挙戦が行われました。
 また地方議会においても翼賛選挙が行われるようになり、42年の6月には八王子市の翼賛士会選挙が行われています。翼賛選挙においては、まず銓衡委員会で推薦候補が選ばれるわけですが、その銓衡委員に名を連ねたのは、前市長、元市長、前小宮町長(先述のようにこの時には合併済み)といった政治家とともに、八王子市の伝統的基幹産業であった織物業の関係者でした。
 その結果、市会議員の候補者も織物業の関係者が多く占め、当選者でも織物業者が12名で全体の33、3%、関係業者を含めると15名(41.7%)を占めました(290p)。八王子市では20・30年代を通じて市会議員に占める織物業者の割合は漸減傾向にあったのですが、翼賛選挙の名のもとで「旧勢力」勢力が復活を遂げたのです。翼賛選挙では「新人」が期待されたわけですが、そこで出てきた「新人」は「旧勢力」から選ばれた人びとでした。


 第8章では、新体制運動に参加した「革新分子」として、八王子の鍼灸医・神谷卓と露天商(テキ屋)・小島鉄広がとり上げられています。
 神谷は1940年におそらく25歳だった人物で、八王子市内で鍼灸医をしながら東北や北海道の無医村を回る活動などもしていました。そうした中で社会の矛盾を強く感じるようになり、それが「現代西欧文明」への批判へと発展し、皇道医学社を設立します。同時にナチスの保険医療政策にも大いに共鳴してたようで、従来の医療制度の打破をうたっていました。
 小島鉄広は1906年生まれで1920年代に八王子で露天商=「香具師」として活動していたようです。当時の露天商にはより有利な形で出店ができる「ジンバイ」と、その「ジンバイ」が決めた枠内で出店できる「コロビ」という業者がありましたが、小島は「コロビ」でした。小島は、日本大衆党(のちに全国大衆党)に参加しつつ、「コロビ」の人脈などを生かして37年の市会議員選挙に当選します。
 さらに新体制運動の波にのる形で、「ジンバイ」と「コロビ」の一体化を訴え、「ジンバイ」と「コロビ」の格差是正に成功します。「平等化」を志向する新体制運動の中で、小島はある意味で成功した人物とも言えるでしょう(ちなみに「あとがき」で明らかにされていますが、小島は著者の母方の曾祖父)。


 このように八王子市を舞台に、無産勢力というアクターに焦点を当てながら1920年代〜40年代の地方政治の動向を描いてみせた本になります。
 歴史学の博士論文をもとにしている本のため、歴史学の文脈に沿った専門用語が多用されており、個人的にはそこにやや読みにくさを感じる部分もありましたが(もう少し事実を淡々と書いていっても面白いと思うのですが、歴史学には固有の文脈があるからそれは仕方がない)、非常に多様な楽しみ方が出来る本だと思います。
 20世紀前半に東京近郊でどのように都市が発展したのかという視点から見ても面白いですし、都市化の中での地方政治の変容といった部分に注目しても面白いと思います。
 

 そして、この本を読んで強く感じたことは「無産階級が団結することの難しさ」、つまり「貧乏人が結束して金持ちと対峙することの難しさ」です。
 いつの時代の金持ちに比べて貧乏人は多数派なわけですから、民主主義の社会では貧乏人が団結して金持ちから政治の主導権を奪うことは容易なように思えます。
 ところが、この本を読めばわかるように、同じ無産階級とは言っても、日雇い労働者と小作人の利害は違いますし、零細自営業と俸給生活者の利害も違います。また、政治には階級的な利害対立だけではなく、地域的な対立や産業構造からくる対立など、さまざまな対立が持ち込まれます。このような複合的な対立構造がある中で、「無産階級」という一点で団結するのはなかなか難しいのです。
 一方、「工場を誘致するために隣の小宮町を合併しよう」というような、誰にとっても得になるように見える話は、意外にさくさくと進んでいきます。
 こうした政治の構造を、1920〜40年代の八王子市という時代と場所においてミクロ的に見せてくれるのがこの本の面白いところだと思います。
 個人的には、さらに終戦から60年代初頭くらいまでの八王子のその後の変化というのも見てみたいですね。


近現代日本の都市形成と「デモクラシー」――20世紀前期/八王子市から考える
中村 元
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