ときどき、不思議に感じませんか。
私たちの体にまぶたと唇があるということを。
それが、ときには外から封じられたり
中から固く閉ざされたりするということを。(192p)
パク・ミンギュの『三美スーパーズターズ』が面白かったので、同じ晶文社の「韓国文学のオクリモノ」シリーズのこの本を読んでみたのですが、これも面白いですね。
ただ、ポップで波瀾万丈だった『三美スーパーズターズ』の面白さとはちがって、基本的にこの『ギリシャ語の時間』は静かな小説であり、波瀾万丈の物語が展開されるわけではありません。
主人公の一人はカルチャーセンターで古典ギリシャ語を教える男性の講師。若い頃はドイツで暮らしていましたが、その時から将来は視力を失うだろうといわれ、かろうじて視力を維持しています。
もう一人の主人公は、生まれつき話せないわけではないが、離婚や子どもとの別れなどをきっかけに口を閉ざしてしまった女性です。
この二人がカルチャーセンターの古典ギリシャ語のクラスで教師と生徒として出会うというのがこの小説の舞台設定です。
このように書くと、障害を持つ者同士のコミュニケーションを描いた作品のように思われるかもしれませんし、そのような見方も完全に間違っているわけではないのですが、この小説が描くのはそのコミュニケーション以前です。
書評家の豊崎由美がツイッターでこの『ギリシャ語の時間』のとり上げて、「レアード・ハントに似ている」といったようなことを言っていたのですが、確かに似た部分があります。
『インディアナ、インディアナ』や『優しい鬼』といったレアード・ハントの小説には、「言葉」という形を取る前の何かを描こうという姿勢が見られますが、このハン・ガンの小説にも同じような印象を受けます。
人と人とのつながりを描くのではなく、つながりに至らない何か、つながろうとする何か、つながりを拒否する何か、といったものが描かれているのです。
ここで古典ギリシャ語というこの小説の題材が生きていきます。古典ギリシャ語は現在、誰もしゃべっていない言語であり、もしマスターしたとしても、それによって新たな生きた他者とつながるわけではありません。
けれども、それは言語であり、自分の心の中にある何かに形を与えてくれるかもしれません。
訳は『三美スーパーズターズ』と同じく斎藤真理子。驚異的なペースで韓国文学を訳していますが、訳文はいいと思います。
また、『三美スーパーズターズ』とは真逆に見える作品ですが、驚異的な経済発展とIMFショックによる挫折を経験した韓国社会において、取り残された人びとをすくい取ろうとする姿勢には似ているものがあります。
パク・ミンギュの『ピンポン』、『三美スーパーズターズ』につづき、現在の韓国文学の面白さを教えてくれた小説でした。
ギリシャ語の時間 (韓国文学のオクリモノ)
ハン ガン 斎藤 真理子