『未来のミライ』と『となりのトトロ』

 この前の木曜に『未来のミライ』を見てきました。前評判はあまり良くなかったですが、面白く見ることができました。細田作品の中ならば『バケモノの子』よりも楽しめましたし、個人的には『サマーウォーズ』よりも好きです(『時をかける少女』と『おおかみこどもの雨と雪』には及びませんが)。
 作品の内容としては、映画の途中に「子どもはいつのまにかひとりでなんでもできるようになる」みたいなセリフがありますが、その「いつのまにか」をファンタジーで埋めてみたようなものだったと思います。
 おそらく、2012年9月に長男が、2015年末に長女が誕生したという細田守監督の個人的な経験が濃厚に反映された作品で、自らの子育て、そして子どもを育てながら不思議に思った経験がストレートに描かれているのだと思います。


 主人公は4歳の男の子のくんちゃん。建築家の父と編集の仕事をしている母とゆっこという犬と暮らしていますが、そこの未来ちゃんという妹が登場します。今まで両親、そして親族の愛を一身に受けてきたくんちゃんですが、未来ちゃんの登場によりその地位を奪われます。くんちゃんとしては当然面白くなく、「未来ちゃん、好きくない!」とわがままを言って両親を困らせるわけですが、そんなくんちゃんが「お兄ちゃん」としての立場を受け入れるまでの物語です。
 多くの子どもは「いつのまにか」、「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」らしく行動するようになっていくわけですが、子育てをしている身からするとまさに「いつのまにか」そうなるわけで、細田監督もそれを不思議に思ったのでしょう。
 この映画では擬人化した飼い犬(ゆっこ)や未来から来た妹の未来ちゃん、そして家族にまつわる記憶などが、くんちゃんの背中を後押しします。
 繰り広げられる多くのシーンはくんちゃんの妄想であって、擬人化したゆっこや未来から来た未来ちゃんとの絡みは笑えますし、未来の東京駅のシーンなどはかっこいいです。また、子どもの描写はリアルで、同じような年頃の子どもを育てていると、その動きや表情も笑えると思います。


 そんなふうに『未来のミライ』を楽しんだ翌日にテレビで『となりのトトロ』がやっていたので子どもたちと一緒に見たのですが、この両作品はタイトルの響きだけでなく、いくつか似た部分がありますね。
 まず、くんちゃんとメイです。ともに4歳で、メイは「嫌だもん!」と叫んで姉を困らせ、くんちゃんは「好きくない!」と叫んで父と母を困らせます。そして何よりも両作品とも「子どもはいつのまにかひとりでなんでもできるようになる」ということを描いた映画です。
 この「いつのまにか」の部分を埋めるのが、『となりのトトロ』では姉のさつきと自然や森の妖精(神?妖怪?)で、『未来のミライ』では未来から来た妹と家族の記憶やつながりといったものです。


 けれども、両作品で大きく異なっている部分もあって、それは『未来のミライ』では親(特に父親)の成長が描かれている点です。『未来のミライ』では、専業主夫のポジションを担うことになった父親の悪戦苦闘ぶりや親としての成長が丁寧に描かれています。
 一方、『となりのトトロ』ではお父さんもお母さんも、経済的な問題や病気を抱えているにしろ、人格的には非常に完成した存在でした。これはキャスティングにあらわれていて、『となりのトトロ』のお父さんは、若い頃から「出来上がっていた」感のある糸井重里であるのに対して、『未来のミライ』のお父さんは『逃げるは恥だが役に立つ』で新垣結衣からさまざまな指摘を受けて成長する男を演じた星野源
 あくまでも子どもが主役で「子どもを見守るできた親」を描いた宮粼駿に対して、細田守は親にもウェイトを置いて家族というものを描こうとしています。


 ただ、この「親からの視点」を入れたところが評価の別れる所になっているのかな? とも思います。現代においてリアリティを持ちつつ万人を納得させるような親の物語というのは難しいですよね。
 それでも、『となりのトトロ』は過去を舞台にしているから成り立つ物語でしょうから、個人的には親をひっくるめて描こうとした『未来のミライ』のチャレンジを評価したいですね。


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