善教将大『維新支持の分析』

 ここ最近、「ポピュリズム」という言葉が、政治を語る上で頻出するキーワードとなっています。アメリカのトランプ大統領に、イギリスのBrexit、イタリアの五つ星運動にドイツのAfDと、「ポピュリズム」というキーワードで語られる政治勢力は数多くいるわけですが、では、日本における「ポピュリズム」といえば、どんな勢力がそれに当てはまるでしょうか?

 そこで、小泉純一郎都民ファーストの会と並んで、多くの人の頭に浮かぶのが、おおさか維新の会でしょう。特に代表を務めていた橋下徹は多くの論者によって代表的な「ポピュリスト」と考えられていました。

 「橋下徹という稀代のポピュリストによって率いられ、主に政治的な知識が乏しい層から支持を調達したのが維新である」というイメージは幅広く流通していたと思います。

 しかし、この本はそうしたイメージに対し、実証的な分析を通じて正面から異を唱えるものとなっています。

 

 目次は以下の通り。

序 章 課題としての維新支持研究
第1部 問いと仮説
 第1章 維新をめぐる2つの謎
 第2章 維新政治のパズルを解く
第2部 維新支持と投票行動
 第3章 維新支持とポピュリズム
 第4章 なぜ維新は支持されるのか:維新RFSEによる検証
 第5章 維新ラベルと投票選択:コンジョイント実験による検証
第3部 特別区設置住民投票
 第6章 都構想知識の分析
 第7章 投票用紙は投票行動を変えるのか:投票用紙フレーミング実験による検証
 第8章 特別区設置住民投票下の投票行動
 終 章 我々は民主主義を信頼できるのか
補論A 批判的志向性は反対を促すか:サーベイ実験による検証
補論B 都民ファーストの躍進とポピュリズム

 

 実は、維新支持をポピュリズムや、橋下徹のポピュリストとしての能力に求める考えは次の3つの現象をうまく説明できません。

 まず1つ目は、橋下が引退した後もつづく維新の強さです。維新は2015年の特別区設置をめぐる住民投票の敗北の責任をとって橋下市長が辞任した後も、同年の大阪ダブル選で勝利し、さらに16年の参院選でも大阪選挙区で大量得票に成功しています。もし、橋下が有権者を操っていたのであれば、このようなことは起きないはずです。

 2つ目に、大阪やその周辺地域以外での維新の弱さです。2012年の衆議院選挙以来、維新は国政にもチャレンジし議席も獲得していますが、大阪での強さを他の地域で再現できていません。例えば、維新の掲げる行政改革や公務員への批判は、大阪だけに当てはまる問題ではありませんが、今のところ維新が強く支持されているのは大阪とその周辺だけでなのです。

 3つ目は先述の特別区設置をめぐる住民投票での敗北です。自分たちが与党の立場にいる時の住民投票ということで、この住民投票は維新にとって有利なはずでした。しかし、その住民投票で僅差とはいえ敗北しているのです。

 

 このような矛盾を受けて著者が提出するのは次のような仮説です。

 第一は、維新が「大阪」の利益代表者として有権者に認知されたという点です。いわゆる「府市合わせ」問題を解決する存在として、既成政党にはないイメージを持つことができたのです。

 第二に、そのイメージを政党ラベルとして活用した点です。維新の候補者は自らの個性よりも「維新の候補者である」ことをアピールして選挙戦を戦い、有権者はそれを重視して投票を行いました。

 そして、第三は、有権者橋下徹に踊らされる「大衆」ではなく、批判的志向性を持った「市民」だったということです。維新支持者は都構想に関する知識を得る中で、ギリギリのところで迷いが生じ、住民投票では反対へと回ったのです。

 

 これを受けて、著者は序章において本書の主張を次のようにまとめています。

 たしかに多くの有権者は、政治や行政に関する知識を欠いている。また、大阪市民の大阪市政への不満は、政令市制度がその根本に決定的な問題を抱えること、さらには大阪市における政治ないし政党の機能不全に起因する、きわめて根深いものである。しかし、それは必ずしも維新支持者が愚かな「大衆」であることを意味しない。大阪市民・府民は、あるいは有権者は信に足る存在である。本書の主張は煎じ詰めればこの一言に尽きる。(6p) 

 

 では、この仮説はどのようにして確かめられるのでしょうか? 出口調査などのデータを見れば維新に投票した人々の特徴などは見えてくるかもしれませんが、「なぜ支持したのか?」といったことは容易にはわかりません。

 そこで、著者が活用するのがサーベイ実験です。有権者に意識調査を行うことで、有権者の支持の理由などを探っていくのですが、近年では、ネット調査が可能になったことにより、有権者ごとにランダムに質問を入れ替えたり、多くの工夫を施すことが可能になりました。これによって有権者の中の支持のロジックを取り出そうというのです。

 

 第2章以下では、仮説を検証するためのさまざまな実験が行われていますが、その前にまず、維新の支持者はこれといった特徴を持っていません。政治的疎外や社会的紐帯の弱さと維新支持には強い関連性がありませんし、教育水準や世帯年収とも強い関連性はありません(45-46p)。松谷満や伊藤理史の研究によれば、維新支持と公務員への不信、新自由主義的信条が関連するとのことですが、著者はこの知見を懐疑的に見ています(48pの注5参照)。また、この解釈では維新が大阪以外で弱い理由をうまく説明できません。

 

 他にもポピュリストとしての橋下徹の能力なりカリスマ性に注目する議論もありますが、大阪府知事時代も大阪市長時代も橋下は一貫してその支持を低下させています。マスメディアを巧みにコントロールし、露出をはかったにもかかわらず、その支持は伸びていないのです。もちろん、それでもそれなりの支持率を維持したところに注目すべきかもしれませんが、やはり維新の強さをすべて橋下徹のポピュリストとしての能力に還元するのは無理があると言えるでしょう。

 

 そこで著者が注目するのが政党としての維新です。橋下徹ではなく、維新が政党として一定の支持を集めていると考えれば、橋下退場後の維新の強さを説明できます。

 多くの有権者は選挙のときに候補の政党を見ます。たとえ、支持政党がなくても、「自民党は嫌だ、共産党は嫌だ」といった形で政党ラベルを利用している有権者は多いと思います。

 ただし、日本の市町村レベルの選挙では一般的に政党ラベルは機能していないと言われます。日本の市町村議会の選挙は大選挙区制で、個人の名前を書かせることが重要です。候補者をみても保守系無所属が一番目立つように、市町村議会では選挙制度の影響もあって政党名はそれほど重視されない状況になっています。

 ところが、維新の候補者は維新の候補者が複数立候補している選挙区においても、独自性をアピールせずに「維新の候補であること」をアピールしています。61-64pでは維新候補者の選挙公報が分析されていますが、それぞれの候補の差は目立ちません。

 

 この政党名の強さと候補者の自律性の弱さが、維新を「大阪」の利益の代表者、あるいは調停者として売り出すことを可能にします。

 維新でなくても、府議会と市議会の多数派が同じ政党であれば、府と市の利害調整は進みそうですが、日本の地方議員は非常に自律性の強い存在であり(選挙のときに政党に頼っていない)、府の政党組織が市議を動かすことは困難です。

 ところが、政党が強く議員の自律性が弱い維新では、政党が市議を動かすことは容易なのです。

 

 このように政党として支持を得た維新でしたが、その支持は弱いものでした。維新の熱狂的な支持者党のは少なく、「むしろ強度という観点からいえば不支持者のほうが「熱狂的」だといえる」(70p)のです。

 この支持の弱さが特別区設置住民投票の否決へとつながっていきます。

 

 第3章以降では、サーベイ実験を通じて、それぞれの仮説を検証していきます。

 どれも興味深いものですが、まずこの本の主張の骨格を検証しようとするのが第4章の維新RFSE(Randomized Fatorial Survey Experiment)です。これは、「おおさか維新の会が、以下のようになったと想像してください」と前置きした上で、「党首は〇〇です」、「党本部は〇〇です」、「関西出身議員の割合は〇〇です」といった質問の「〇〇」の部分を入れ替えながら質問を行い、その支持の度合を訊くというものです(対象は近畿7府県の有権者)。例えば、「党首は〇〇です」の〇〇の部分に「橋下徹」、「吉村洋文」、「渡辺よしみ」といった名前をランダムに入れることで、党首名がどのくらい支持に影響するかを測ろうとするのです。

 

 この結果は115pの図4.3に載っていますが、それによると、党首が橋下徹松井一郎であることは吉村洋文である場合よりも支持を上げ、党首が渡辺よしみや片山虎之助であることは吉村洋文であるときよりも支持を下げます。

 また、党本部が東京23区内である場合よりも大阪市内であったほうが支持が上がります。関西出身議員に関してもその割合が高いほうが支持が上がります。やはり、維新の支持の一つの要因に「大阪」または「関西」色があると言えるでしょう。

 政策に関しては議員定数の削減の割合が大きいほど支持が強まる傾向がありますが、公務員数に関してはそれほど明瞭な関係は見られません。

 

 さらに第5章では、被験者にさまざまな候補者のプロフィールを見せて選ばせることで、維新の政党ラベルが維新支持者の投票行動に対して強い規定力を持つことを明らかにしています。

 維新支持者が維新という政党の名前に反応するのは当たり前のような気もしますが、他の政党の支持者と比べて維新支持者は政党ラベルにより反応しています。

 

 第3部では、特別区設置の住民投票が分析されています。

 まず、著者は住民投票の一ヶ月後に都構想に関する知識を調査することで、有権者が都構想について一定以上の知識を有していたことを明らかにしています(161p図6.1参照)。また、2015年の大阪ダブル選後の調査でも有権者は一定以上の知識を有していたことが確認されています。

 この背景には特別区設置の住民投票の前に特別区設置のメリットとデメリットが記載された『投票広報』が全戸に配布されたことがあります。68pにその内容が載っていますが、デメリットとメリット、それに投票方法が4頁にわたって記載されています。

 もちろん、維新は大規模なキャンペーンを行い、メリットをアピールしたわけですが、有権者は『投票広報』などを通じてメリット・デメリットの双方を理解していたのです。

 

 特別区設置の住民投票で反対が多数を占めた理由としては今までもいくつかの分析が行われています

 まずは、投票直後の出口調査のデータから唱えられたシルバーデモクラシー仮説です。朝日新聞朝日放送が共同で実施した出口調査(197p図8.1参照)によると、反対が賛成を上回ったのは70代以上のみで、他の世代では軒並み賛成が多数派を占めています。つまり、高齢者の反対が住民投票の帰趨を決めたというのです。

 しかし、実はこの出口調査を信じると賛成多数にならないとおかしいのです。この出口調査期日前投票(全投票者の約26%)を含んでおらず、この調査だけで何かが言えるというものではないのです。

 

 さらに世帯収入の高い中心部で賛成票が多く、周辺部で反対が多かったことをもとに、社会経済資源が少ない人が反対したという「取り残される周辺の不安仮説」も、維新の支持者の分析などを見ると支持できませんし、橋下徹個人の支持率と結びつける考えも、それだけではすべてを説明することは出来ないといいます。

 

 そこで、著者は都構想への賛否は住民投票の告示日から投票日の間に大きく「賛成が減る」方向に動いたことに注目します。

 そして、サーベイ実験によって有権者の「一面的な見方に固執しない態度」といった批判的志向性が強くなると、都構想への反対が増えるという関係性を示します(213p図8.8参照)。

 この結果を受けて、著者は「すなわち態度変容を生じさせやすい維新を支持していた大阪市民が、特別区設置住民投票の特異な情報環境下で、自らの批判的な志向性に基づき熟慮した結果、賛成への投票を一歩踏みとどまったのである」(215p)とまとめています。

 

 終章では、これまでの議論を受けて、今までの維新をめぐる議論を次のように批判しています。

 維新政治に関する著作や論考は枚挙の暇がないほど多く存在する。しかしどのなかのどれだけが実証的証拠に基づき、維新について論じるものなのであろうか。とりわけ「大衆社会」と銘打ち、維新を支持する有権者を愚者の如く扱ってきた論者は、何を根拠にそのような議論を展開するのか。筆者から見てポピュリズム論は、研究者を含む知識人が有する、ある意味での傲慢さを明らかにするきっかけになった議論であるように思われる。とりわけ維新に関する論稿については、そのような傾向が強かったのではないか。(223p)

 

 さらに維新の躍進の背景には、大阪において維新以外の政党が機能していない現状があるとして、地方議会の選挙制度を従来の中選挙区制から、拘束式または非拘束式の比例代表制に変えることを検討すべきだとしています(このあたりは著者が「あとがき」で「Twitter友」と書く砂原庸介『民主主義の条件』の議論と重なる)。

 有権者を批判する前に、まだまだやるべきことはあるのです。

 

 このように、この本は実証分析をバリバリ行う学術書でありながら、熱い主張をもっています。自分も「大衆」という概念を持ちだして現実の政治を憂いてみせるような議論にはほぼ意味がないと考えているので、そうした印象論をデータを用いて打ち砕くこの仕事は非常に貴重なものだと思いますし、また広く読まれるべき内容だと思います。

 

 また、著者のサービス精神も十分に感じられる本で、比較的見難いグラフが多い政治学の本の中で、この本のグラフの見やすさは特筆すべきものです。さらに、脚注にも著者のサービス精神は遺憾なく発揮されています。

 

 最後に、これは蛇足ですが、この本を読んで「大阪」という存在についても改めて考えさせられました。

 NHKの歌番組に「わが心の大阪メロディ」という番組があって年一回くらいやってますが、このタイトルの「大阪」の部分に「東京」や「名古屋」を入れると明らかに変なんですよね。「大阪」という言葉は、地名や自治体以上の何かを象徴していて、それが維新を他の地域政党以上のものにしている面もあるのではないか、ということなどを少し考えました。