『運び屋』

 毎回水準以上のクリント・イーストウッドの作品ですが、これは良かった!

 クリント・イーストウッドが、実在した90歳の麻薬の運び屋をモデルにし、自ら主演した映画ということで、主人公は『ミリオンダラー・ベイビー』や『グラン・トリノ』の主役に通じるような渋い人物かと思いきや、お調子者で女好きで、人種差別的な発言もポロポロとしてしまうような人物。性格的には高田純次を思わせるような感じで映画の中で何回も笑えるところがあります。

 

 主人公のアールは園芸家で、品評会などに熱心に参加する一方、家庭は顧みない人間で、娘の結婚式をすっぽかしたことによって家族とは絶縁状態になっています。破産して自分の家や園芸畑も手放してしまったアールはひょんなことから麻薬の運び屋の仕事を頼まれてそれにはまっていきます。

 食い詰めて運び屋の仕事に手を出すとなると、悲愴感がでてきそうですが、アールの場合はそれとは無縁です。暴力が支配する麻薬組織のメンバーの中でもどこか超然としていますし、スリルを楽しんでいるような様子も見受けられます。

 品評会などの外からの評価こそが生きがいだったアールにとって、運び屋をやることによって得る報酬や賞賛というものも、自分を気持よくさせてくれるものなのです。

 

 物語はアールの運び屋としての行動とともに、アールと家族の関係、そして麻薬組織を追うブラッドリー・クーパー演じる捜査官の動きを追います。アールとクーパー演じる捜査官が会った時に(まだ運び屋だと気づく前)、アールは「家族が一番だ」という話をし、実際に家族を重視した行動に出るようになります。

 ただ、それはメキシコの麻薬組織のボスに招待されてセクシーなおねえちゃんと遊んでいた人物から出た言葉であって、どこかしら胡散臭くもあります。

 

 最終的にこの話は「家族愛」の話としてまとまっていると考えることも可能ですが、『ミスティック・リバー』や『チェンジリング』で、ある種の「家族の怖さ」を描いてみせたイーストウッドだということを考えると、この映画も、裏社会に入り込み家族から完全に離脱したことによって家族が「外」になり、だからこそ家族に評価されることを喜ぶようになった男の物語とも読めますし、「家族愛」を隠れ蓑にした享楽を描いた映画といえるかもしれません。

 このあたりは人それぞれ違った感想を抱くかもしれませんが、個人的には非常に重層的な映画に思え、素晴らしい映画だと思いました。