羅芝賢『番号を創る権力』

 鳴り物入りで導入されたマイナンバー制度ですが、そのしょぼさと面倒臭さにうんざりしている人も多いでしょう。行政事務を効率化し、国民にもさまざまな利便性を提供すると言われていたマイナンバーですが、蓋を開けてみればマイナンバーの通知カードをコピーしてハサミで切ってのりで貼るというアナログな作業が増えただけと感じている人も多いと思います。

 思い起こせば住基ネット住基カードというのもありました。当時、免許を持っていなかった自分は身分証明書代わりに住基カードを取得しましたが、結局、身分証明書の役割を果たしただけで、何かが便利になったという記憶はありません。そして、ひっそりとマイナンバーカードに取って代わられて終わりました。

 

 スウェーデンや韓国やエストニアのように「国民総背番号制度」が確立している国がある一方で、日本ではその導入が遅々として進みません。

 この本は、その理由を日本の戸籍制度の変遷や情報化政策の影響、そして国際比較などを通じて明らかにしようとした本です。

 「国民総背番号制度」に対する反対としてまず持ち出されるのは「プライバシーの保護」で、日本における反対論でもたびたび持ち出されてきましたが、「日本人は他国の人々(例えばスウェーデン人)に比べてプライバシーの意識が高いために「国民総背番号制度」が成立しなかった」という理由ですべてを説明するのは苦しいです。

 この本ではそうした「プライバシーの保護」という「建前」に隠された制度的な理由を掘り出していきます。

 

 著者は韓国人の女性の方で、韓国で学んだあとに東京大学大学院法学部政治学科研究学科に研究生として入学しており、この本はその博士論文をもとにしています。

 タイトルの「番号を創る権力」については、博論をもとにした本としては前田健太『市民を雇わない国家』以来の洒落たタイトルだと思ったのですが、前田氏とは行政学ゼミの先輩後輩の関係とのことです。『市民を雇わない国家』は「公務員が多すぎる」という一般の常識をくつがえす本でしたが、本書も、次々と通俗的なイメージを覆していく非常に面白い本です。

 なお、著者名はナ・ジヒョンと読むようです。

 

 目次は以下の通り。 

序論
第1章 日本の戸籍制度と番号制度
 第1節 住民管理の始動
 第2節 住民管理行政の漸進的発展
 第3節 番号制度の形成過程
 小括
第2章 プライバシーの政治的利用
 第1節 言説と実態
 第2節 国民総背番号制の浮上と挫折
 第3節 反対世論の形成
 小括
第3章 情報化政策の逆説
 第1節 行政組織と情報技術
 第2節 コンピュータ産業政策をめぐる政治
 第3節 産業政策の意図せざる結果
 小括
第4章 韓国における国民番号制度の成立
 第1節 植民地時代の住民管理
 第2節 住民管理の新たな展開
 第3節 住民登録番号の誕生
 小括
第5章 多様な番号制度への道
 第1節 福祉国家と番号制度
 第2節 帝国主義の陰に生まれた国民番号制度
 小括
結論

 

 はじめにも述べたようにマイナンバー制度が今までの行政や社会保障制度を劇的に変えるような気配は感じられません。今までのしくみにマイナンバーを書く手間が1つ増えたというのが多くの人々の感じる印象でしょう。

 第1章では、戸籍制度をはじめとするさまざまな国民管理の仕組みがかなり早い段階で分権的に整備されてしまったことが、日本の「国民総背番号制度」の成立を阻んだということを、各制度の歴史的変遷を明らかにすることで示そうとしています。

 

 日本の国民管理の基本となってきたのは戸籍制度です。戸籍制度の特徴は、個々人を血縁集団である「家」を通じて把握しようとするところにあり、その背景には血統主義によって日本人の境界を確定させようとする考えがありました。

 同時に政府は戸主に徴兵の免除や参政権といった権利を与える代わりに徴兵や徴税制度の運用の末端を戸主に担わせ、戸籍制度はたんなる住民管理だけではない側面を帯びていくことになります。

  

 第二次世界大戦後、「家」制度は廃止されましたが、戸籍制度はそれほど大きな変化を被りませんでした。戦時下では配給制度の運用などのために世帯台帳がつくられ、それが住民票へと進化していくのですが、1951年の住民登録法で住民票と戸籍の連携が図られたことから戸籍制度は生き延びていきます。

 90年代から戸籍事務のコンピュータ化が始まりますが、ここでも戸籍制度の抜本的な見直しは行われず、逆に各市町村で独自のシステムが導入されたことから、戸籍制度は分権的な性格を強めました。

 住民把握の基本に戸籍制度が残り、それが分権的な性格を強めたことによって、「国民総背番号制度」の導入は難しくなりました。

 

 もっとも、番号自体は健康保険や年金、免許証などで導入されています。これらの制度もスタート時には分権的な性格が強く(例えば、年金は国民年金、厚生年金、共済年金などに分かれていた)、統一的な番号はない状態で運用されていましたが、行政事務の膨張やコンピュータ化などを背景にして統一的な番号制度がつくられていきます。

 例えば、健康保険では1973年の高齢者の医療費無料化などに伴う受診率の増加が、診療報酬請求事務を増大させ、日本医師会の要請などを背景に保険者番号の形式が統一されていきました。

 

 第2章では、国民総背番号制度を阻み続けた「プライバシーの保護」という言説に焦点をあげ、それがどのようなかたちで唱えられてきたかを明らかにしています。

 国民総背番号制度に類似した制度が導入されそうになると、「プライバシーの保護」の面から懸念の声が上がります。これは当然とも言えるのですが、最初に述べたように日本で国民総背番号制度の導入が失敗しているのは日本人のプライバシー意識が強いからだと単純には結論付けられないでしょう。

 2007年に戸籍法や住民基本台帳法が改正されるまで、なりすましなどによってこれらの情報を取得することは容易でしたし、序章で紹介されている国際的な世論調査でも、「便宜のためにプライバシーを犠牲にしたことはありますか」という問いに対しても、日本人は他国に比べて高い割合で「はい」と唱えています(6p)。

 

 つまり、「プライバシーの保護」は日本人のプライバシー意識の高さとは別に、ある種の方便として用いられてきたのです(もちろん、日本人の政府に対する一般的な信頼の低さなどを要因として考えることは可能でしょが)。

 1969年、行政改革本部において第二次行政改革計画の政府案が内定し、そこには「個人コードの標準化」(71p)が盛り込まれていました。ところが、この計画に対して労働組合自治労)が反発します。

 1971年の「広域行政・コンピューター集会」では、「情報の民主的管理と運営」、「人間疎外の克服」、「プライバシーの保護」という3つの原則が提起されます。自治労にはコンピュータ化が雇用を奪う、あるいは職場環境を悪化させるという認識があり、それが「プライバシーの保護」と絡めて主張されたのです。

 

 さらに70年代になると各地で革新自治体が生まれますが、革新首長にとって労組は支持基盤の1つですが、当選するにあたって幅広い支持が必要な首長にとって、「合理化の阻止」よりも「プライバシーの保護」の方がはるかに通りのいい主張でした。

 

 70年代後半、大蔵省でグリーンカード制度の構想が持ち上がります。大蔵省は「マル優」や郵便貯金などの非課税貯蓄の透明性を確保するために、このカードとカードに記載された番号を使って銀行口座の「名寄せ」を行おうとしました。

 1981年にはグリーンカードシステムを開発するための予算も計上されており、順調に制度は導入されるはずでした。

 ところが、81年に自民党グリーンカード対策議員連盟が発足し、翌82年になると反対論が盛り上がります。この自民党内の反対論は主に郵政族議員から上がりました。グリーンカード制度が計画されたときは田中派竹下登が大蔵大臣を務めていたため、田中派郵政族は表立って反対できませんでしたが、大蔵大臣が渡辺美智雄に代わると、田中派金丸信が反対に動き出します。そして、その自民党内の動きを追うように新聞などでもプライバシーの懸念が報じられるようになるのです。結局、このグリーンカード制度は83年に断念されました。

 

 1999年住民基本台帳法が成立し、2002年から住基ネットの運用が開始されます。しかし、この住基ネットも順調に運用が開始されたわけではありません。

 住基ネットが可動するとなると、福島県矢祭町、東京都国分寺市、杉並区、三重県小俣町、二見町、神奈川県横浜市と、住基ネットから離脱する自治体が相次いだのです。ここでおプライバシーへの懸念が唱えられましたが、著者はこの時期に行われた地方分権改革とそれにのった改革派首長の動きがこの背景にあったと分析しています。

 この章では住基ネット離脱の動きを先導した杉並区の山田宏区長の動きが分析されていますが、山田は元衆議院議員で杉並区長を辞めたあとも国政に復帰している人物です。彼にとって国と自治体の対等な関係というものが重要であり、それを示すために選ばれたのが住基ネットだったという側面もあるのです。

 

 第3章は「情報化政策の逆説」と題して、通産省の産業政策がかえって統一的なコンピュータシステムの導入を阻んだ経緯が明らかにされています。

 日本のコンピュータ産業は少なくとも20世紀までは順調に発展しており、技術不足が国民総背番号制度を阻んだわけではありません。

 もともと自治体の使用するような汎用コンピュータの世界ではIBMのシェアが圧倒的でした。これに対して政府、特に通産省は国内のコンピュータ産業を育成する政策をとっていきますが、その政策の1つが政府や関係機関での国産コンピュータの優先的な導入でした。この政策によって、中央省庁におけるシェアは73年の段階で、NEC32.4%、東芝24.8%、富士通23.0%、日立12.2%、沖電気5.5%となりました(111p)。地方自治体でもこの5社に三菱電機IBMを足した7社がシェアを握ることになります。

 

  当時の汎用コンピュータは複数の機械からなるユニットで、当時の23区では20~30名規模の組織が導入にあたって発足しました。当初は税や給与などの計算に使われていたコンピュータですが、中野区は60年代後半から住民管理にも用い始め、徐々にその他の自治体へも広がっていくことになります。

 自治体におけるコンピュータの活用は上からではなく、自治体独自の取り組みとして広がっていきますが、それが強固な分権的システムをつくり上げることになります。

 また、国内のコンピュータ産業を育成しようとした政策が、次期システムの選択に際して既存のシステムを無視できなくなる「ベンダーロックイン」といわれる状態を生み出しました。122pの図3-5では、65~95年の東京23区の使用メーカーが示されていますが、途中での東芝の撤退による影響を除くと あまり変化がありません。そして、こうした中でメーカー独自の文字コードなどが使われるようになり、システムの変更はますます難しくなっていったのです。

 そして、これが集権的な国民管理システム構築へ向けた大きな障害となります。

 

 第4章では比較事例として韓国がとり上げられています。韓国は植民地時代に日本によって戸籍制度が導入されましたが、現在では国民番号制度が導入されています。この経緯を明らかにすることで、日本との違いを探ろうとしています。

 

 1910年に日韓併合が行われると、23年には「朝鮮戸籍令」が制定されます。しかし、日本の戸籍制度が戸主に権利を与える代わりに徴兵や納税などの末端事務を担わせる仕組みだったのに対して、朝鮮人の戸主には与えるべき権利(参政権や徴兵免除)がなく、末端事務を担ったのは「洞・里」と呼ばれる住民組織でした。

 この洞や里には区長が置かれ、1937年に日中戦争が始まり戦時体制が強まると、区長は有給になり、さまざまな事務を行うようになります。

 

 日本の植民地支配が終わると、米軍は当初、食料配給を廃止しますが、これは大きな混乱を生み、結局は住民組織を使って食料配給を行うことになります。このときに使われたのが洞籍簿であり、食料配給と結びついて洞籍がもっとも信頼できる住民把握の手段となりました。

 さらに冷戦状況が生まれてくると共産主義者摘発の手段として身分証明書が利用されるようになります。朝鮮戦争が勃発するとこの身分証明書は顔写真付きとなり、これが朴正熙政権のもとでの住民登録番号制度へとつながっていきます。

 

 また、62年に制定された住民登録法では住民登録と戸籍を区別しており、日本にあるような「戸籍の附票」はありません。

 その後、韓国では70〜80年代にかけて福祉制度がつくられていき、行政サービスも拡大していくのですが、そこで使われたのが住民登録番号でした。結果として、韓国の行政サービスは住民登録番号制度と連動しており、行政手続きのワンストップサービス化や電子化が進んでいます。

 戸籍制度の定着度合いの薄さと、冷戦構造によってプライバシーへの関心が高まる前に住民登録番号制度が導入されたことが、日本との違いを生んだと言えます。

 

 第5章では、国民総背番号制度が導入されているスウェーデンエストニア、台湾の3カ国をとり上げ、その導入の経緯を探るとともに、アメリカやドイツで国民総背番号制度が導入されなかった経緯も明らかにしています。

 

 スウェーデンでは1947年に個人識別番号が導入され、福祉の発展とともにこれが広く使われるようになりました。

 アメリカやイギリスが「分権・分離型」の中央地方関係であるのに対して、スウェーデンは「集権・融合型」の関係であり、自治体の活動は中央政府の規定した範囲内で行われました。このことと福祉を教会や職業団体などではなく中央政府が担ったことが一元的な国民総背番号制度の成立につながったと考えられます。

 

 エストニアに関しては、近年電子政府の取り組みなどが注目されていますが、国民総背番号制度のルーツに関しては、ソ連からの圧力とソ連への併合、そしてソ連時代の経験を抜きにしては語れません。

 エストニアは独立した翌年の1992年に個人識別コードを導入し、パスポートや運転免許証や学生証にそれがもれなく記入されています。身分証の携帯も義務付けられており、韓国と同様に冷戦下、あるいは冷戦崩壊後に必要とされた国民管理のしくみが電子政府などに生かされていると言えます。

 なお、台湾についても戒厳令下での国民管理の仕組みが国民総背番号制度の成立へとつながりました。

 

 こうした国際比較をした上で、著者は結論部分で次のように述べています。

 番号制度を検討の対象とする本書が、プライバシーに関する問題を議論の中心に置かなかったのは、監視社会の危険性よりも、国家権力の両義性を強調するためである。国民番号制度を受け入れた国々の市民に対して、そうした人々が利便性のためにプライバシーを犠牲にしたという見方をするのは妥当ではないと筆者は考える。重要なのは、近代国家が、そうした制度を人々に受容させる権力をいかに獲得したかを理解することである。そのためには、秩序の安定を目指して発揮される国家権力と、福祉国家の便益を享受する市民の支持を受けて増大してきた国家権力の両方に注目する必要がある。(191p)

 

 例えば、韓国や台湾では国民総背番号制度は秩序の維持を目的として誕生したものかもしれませんが、それは現在、行政サービスの利便性の向上に役だっています。一方、ドイツのように過去の記憶が一元的な国民番号制度の成立を阻んでいるケースもあります。各国の国民番号制度の現在の姿は、それぞれの国家の歩みを表したものでもあるのです。

 

 日本については、第1章から第3章に書かれている理由などによって国民総背番号制度の導入が阻まれてきており、マイナンバーがこれらの障壁を乗り越えることができるかどうかは不透明です。

 最後に著者はマイナンバーの構想が新自由主義的な政策をとっていた小泉政権期い生まれたことに触れ、その行方について次のような見方を披露しています。 

以上のように、マイナンバー制度の成立は、日本の福祉国家の質を向上させるために政治エリートたちが悩み抜いた結果であるとは言えない。むしろ、その動機は、福祉国家の縮小、あるいは現状維持であった。そのための手段として設計された番号制度が、市民にそれほど歓迎されないのは、ある意味では当然のことのように思われる。本書を執筆を終えた段階では、マイナンバー制度に対する規範的な評価を下すことは難しい。だが、一つはっきりしたことがあるとすれば、それは福祉国家の質的向上をもたらさない形で番号制度の改革を進めても、その試みは、常に市民の抵抗に直面するだろうということである。(195p)

 

  このようにこの本は日本において国民総背番号制度が成立しなかったさまざまな要因を探っています。この手の制度に対しては常に「プライバシーの保護」という反対意見が対置されますが、そうした言説の裏にある制度的・構造的な要因を探っていく内容は非常に刺激的で面白いです。

 博士論文をもとにしており、論点の多岐にわたっているために読みやすい本ではないかもしれませんが、国民総背番号制度だけではなく、電子政府、あるいは行政全般に興味がある人にもお薦めですし、また、「制度」とか「経路依存」などの言葉に反応する人にもお薦めできます。