デニス・ジョンソン『海の乙女の惜しみなさ』

 先週、レベッカ・ステイモスという聞いたことのない名前の女性から電話があり、共通の友人であるトニー・ファイドが他界したと知らされた。自殺だった。彼女が言ったように、「みずから命を絶った」。

 二秒ほど、その言葉の意味が分からなかった。「絶った……なんてことだ」

 「そうです。自殺してしまったようで」

 「どうやって死んだかは知りたくない。それは言わないでくれ」。正直言って、どうしてそんなことを言ったのか、今でもまったく想像がつかない。(31p)

 

 『ジーザス・サン』や『煙の樹』などの作品で知られるデニス・ジョンソンの第2短編集にして遺作となった作品。

 人生のどん底、最悪の瞬間のようなものを見事に掬ってみせるのがデニス・ジョンソンの作品の特徴ですが、今作は遺作ということもあるのか「老い」というテーマも感じさせます。

 冒頭に紹介したのは表題作「海の乙女の惜しみなさ」の一部分ですが、この作品はまさにそうした特徴がよく現れています。

 広告業界で働く初老の男が主人公で、彼の人生や体験が断片的に語られていきますが、そこには確かにみじめな経験があるとともに、いくつかの出会いがあり、喪失があります。

 

 つづく「アイダホのスターライト」は、アルコール依存症の治療センターにいる男の書いた何通もの手紙という形式を取った作品です。これはまさにデニス・ジョンソンの得意とする最悪な状況を描いた作品と言えるかもしれません。

 

 次の「首絞めボブ」も刑務所を舞台とした作品で、最悪な状況、どうしようもない人物が描かれているのですが、最後になって「この場所は魂の交差点みたいなものなんじゃないか」(113p)と哲学的なレベルに突入します。

 

 4つ目の「墓に対する勝利」は、大学で創作を教えていた主人公が教え子を連れて、牧場に住むダーシー・ミラーという作家に会いに行くが、その後、ミラーについて心配なことがあると連絡を受け…という話。ここでは「老い」が限りなく「死」に接近している感じでちょっとホラーっぽいですね。

 

 最後は「ドッペルゲンガーポルターガイスト」という話ですが、これはちょっと他のジョンソンの作品とは違った印象を受ける作品です。

 主人公は大学で創作を教えている人物ですが、そこでマーカス・エイハーンという才能豊かな若者に出会います。実際に彼は詩人としてその名を知られていくことになるのですが、彼はエルヴィス・プレスリーに取り憑かれている男でもありました。

 しかも、単純なファンというわけではなく、エルヴィスが生まれた時に死んでしまったとされる双子の兄弟(ジェシー・ガーロン・プレスリー)が実は生きているという一種の陰謀論に取り憑かれているのです。

 この話はエルヴィスの謎というのもコテコテの陰謀論で惹かれますし、ラスト近くの9.11テロのエピソードの入れ方などもはまっていて、面白いと思います。

 

 <エクス・リブリス〉シリーズの第一弾が、このデニス・ジョンソンの『ジーザス・サン』で今ブログを振り返ってみたらあれから10年なわけですが、実際にアメリカで発行された年から考えると、『ジーザス・サン』から、この『海の乙女の惜しみなさ』まで26年の月日が流れているわけで、その月日も感じさせるような短編集でした。