クリストファー・R・ブラウニング『増補 普通の人びと』

 ナチ・ドイツによるユダヤ人の虐殺について、多くの人はアウシュビッツ−ビルケナウに代表される絶滅収容所による殺害という印象が強いと思います。

 そこでは、工場における分業のような形で毒ガスによる虐殺が行われ、多くのドイツ人が自らの職務を果たすことで虐殺が完成しました。アレントはそうした官僚的な虐殺者としてアイヒマンを描き出し、それに「悪の陳腐さ」という言葉を与えました(実はアイヒマンは筋金入りの反ユダヤ主義者が法廷での「平凡さ」は演技だった可能性が高い。野口雅弘『忖度と官僚制の政治学』参照)。

 

 しかし、ユダヤ人の虐殺はガス室のみで行われたのではありません。ホロコーストの犠牲者およそ600万人のうち、20〜25%が射殺によるものであり、20%と考えてもおよそ120万人と相当な数を占めています。

 こうした射殺を行った部隊としてラインハルト・ハイドリヒ率いる特別行動部隊(アインザッツグルッペン)が有名ですが、他にも警察大隊などがこの任務に関わっており、本書がとり上げている第101警察大隊もそうした部隊の1つです。

 

 戦場のおいては様々な残虐行為が起こります。「兵士たちは暴力に慣れ、人命を奪うことに無感覚になり、味方の死傷者に憤慨し、陰険で見たところ怪物のような敵の頑強さに苛立っていたから、時々感情を爆発させ、またときには、最初の機会に敵に復讐しようと残忍な決意を固めた」(260p)からです。

 しかし、本書がとり上げている第101警察大隊は多くの隊員が戦闘を経験していませんでしたし、生死を賭けた敵に遭遇したこともありませんでした。それでも、彼らは少なくとも38000人を殺害し、45200人のユダヤ人を絶滅収容所へと送りました。

 「普通の人びと」であったはずの彼らになぜこのような行為が可能だったのか? というのが本書のテーマになります。

 

 実はこの第101警察大隊は非常に興味深い存在です。この部隊に関しては1960年代に司法尋問が行われており、500人弱の隊員のうち210名の調書があり、著者はこの中の125名分の調書を詳細に分析しています。

 この大隊はハンブルクからポーランドへ送られており、大部分はハンブルク出身者で、それに周辺地域やルクセンブルク人が少数混じっていました。

 隊長はヴィルヘルム・トラップ少佐・彼は50代で第一次世界大戦に従軍経験があり、勲章を授けられたこともありました。

 その他の下士官に関してはナチ党員もいましたが、隊員の大部分は労働者階級の出身で、平均年齢は39歳と、軍務につくには年を取りすぎていると思われる人びとでした。世代的にいってナチによる教育の影響を強く受けたとは言い難い世代です。

 

 さらに興味深いのは1942年の7月にポーランドのユゼフフ村において、この部隊に最初のユダヤ人射殺の命令(働くことのできる男性は強制収容所に送り、残った女性、子供、老人はその場で射殺)が上から下った時に、隊長のトラップ少佐は目に涙を浮かべ、「隊員のうち年配の者で、与えられた任務に耐えられそうにないものは、任務から外れてもよい」(26p)と言ったのです。

 このような中で、小隊長のブッフマン(裁判の記録を利用した関係で仮名となっている)もそうした行動には参加したくないと訴え、護送の任務に回され、さらに10〜12人の隊員がトラップ少佐の呼びかけに応じる形で任務から外れました。

 つまり、どうしてもユダヤ人の射殺を行いたくない者については、それを拒否する機会があったのです。

 

 それでも、隊員の多くはうつ伏せにされたユダヤ人たちを背後からライフル銃で撃っていきました。途中、この仕事には耐えられないと何人かの隊員が抜けました。その一人は次のように語っています。

 射殺は私にとってひどく嫌悪感を催すものでしたから、私は四番目の男を撃ち損じてしまいました。私はもはや、正確に狙いをつけることができなくなっていたのです。私は突然吐き気を催し、射殺場から逃げ出しました。いや、これは正確な言い方ではなかったようです。私は、もはや正確に狙いをできなかったのではなく、むしろ四番目にはわざと撃ち損じたのです。私は森のなかに逃げ込み、胃液を吐き出し、木にもたれて坐り込んでしましました。(122p) 

 

 また、強引としか言えない合理化を行う隊員もいました。

 私は努力し、子供たちだけは撃てるようになったのです。母親たちは自分の子供の手を引いていました。そこで私の隣の男が母親を撃ち、私が彼女の子供を撃ったのです。なぜなら私は、母親がいなければ結局その子供も生きてはゆけないのだと、自分で自分を納得させたからです。いうなら、母親なしに生きてゆけない子供たちを苦しみから解放(release)することは、私の良心に適うことだと思われたのです。(128−129p)

 

 しかし、結局ユゼフフの村では少なく見積もっても1500人のユダヤ人が射殺されたと考えられています。多くの隊員にとって気の進まない任務でしたが、彼らはやり遂げました。その後も彼らはユダヤ人を射殺し、あるいは貨物列車に詰め込んで絶滅収容所へと送っています。

 絶滅収容所へとユダヤ人を送る任務を行った隊員の一人は「彼らはひどくやつれはて、すでに半ば餓死しているように見えました」(181p)という証言を残しています。

 

 こうした隊員の行動に対して、「当時のドイツ人はナチの反ユダヤ主義イデオロギーに染まっていたからだ」という見方もあるかもしれません。事実、本書と同じ第101警察大隊をとり上げたゴールドハーゲン『ヒトラーの自発的死刑執行人たち』では、そうした見方がとられています。

 しかし、50ページ以上の「あとがき」で著者が詳細に反論しているように、ゴールドハーゲンの議論は乱暴であり、人びとを虐殺行為へと向かわせた理由を説明しているとは思えません。

 

 著者は500人近い隊員のうち、最初に任務から外れることを申し出た者が12人ほどだったことについて、急な命令でじっくりと考える時間がなかったこととともに、次のような心理状態を指摘してます。

 大量虐殺について考察する上で、時間の欠如と同じくらい重要なことは、順応への圧力であった。 ー それは軍服を着た兵士と僚友との根本的な一体感であり、一歩前に出ることによって集団から自分が切り離されたくないという強い衝動である。大隊は最近になって兵力を定員にまで満たしたところであったので、隊員の多くはお互いをよく知らなかった。戦友の絆はまだ充分に強められていなかったのである。にもかかわらず、あの朝ユゼフフで一歩前に出ることは、戦友を置き去りにすることを意味した。そして同時に、自分が「あまりに軟弱」ないし「臆病」であることを認めることを意味した。一人の警官が強調したように、誰が、結集した軍団の前で、「あえて面子を失う」ようなことをできたろうか。(126-127p)

 

 隊員の中にはサディズム的な資質を発揮して虐殺に加担した者もいましたが、多くはこのように、気は進まないが仲間から外れることを恐れて虐殺に加担しました。

 本書の最後に置かれた「普通の人びと」という章では、スタンフォードでのフィリップ・ジンバルドーの監獄実験を引き合いに出しながら、こうした心理が分析されていいます。この実験では看守役となったメンバーのうち約1/3が新しいタイプの嫌がらせを発明して冷酷に振る舞い、残りの多くが規則に従って囚人を虐待し、20%以下の小グループが囚人にバツを与えなかったといいます。

 第101警察大隊においても、「ユダヤ人狩り」に志願し、熱狂的な殺戮者となったた隊員、命じられると射殺を行うが自らはその機会を求めない多数派、射殺を忌避したり拒否した小グループに分かれました。

 第101警察大隊の行動はある種の普遍的な集団心理でも説明できるのです。

 

 さらに虐殺が親衛隊に訓練されたソビエト領土内の外人部隊であるトラヴニキと共同で行われるようになると、第101警察大隊の隊員の負担は軽くなりました。銃殺などの汚れ仕事はトラヴニキに回されたからです。

 さらにアルコールが彼らを助けました。アルコールを飲まない警官の一人は次のように証言しています。

他の戦友のほとんどは、大勢のユダヤ人を射殺したからがぶ飲みしたのです。というのは、こうした生活は素面ではまったく耐えられないものだったからです。(143p)

 

 そして、何度もユダヤ人の射殺を繰り返すに連れ、隊員たちの感覚も鈍っていきます。警官の一人は次のようなおぞましいジョークを紹介しています。

 昼食のテーブルについていたとき、幾人かの戦友が作戦中してきたことについてジョークを飛ばしていました。彼らの話から、私は彼らが作戦を終了してきたばかりだと推測できました。私は特にひどい話だなと思い出すのですが、隊員の一人が、俺達は今「殺されたユダヤ人の頭」を食べているんだぜと言ったのです。(210p)

 

 こうした雰囲気になると、小規模の射殺やユダヤ人狩りにおいて志願者を募るのは容易でした。そして、射殺に抵抗を覚えるものは指揮官から物理的に離れた位置にいることによってこうした任務から逃れたのです。

 

 その後、ドイツの形勢が不利になるに連れ、第101警察大隊の任務もパルチザンとの戦いなどへと変化し、多くの者は敗戦とともにドイツへと戻りました。

 隊長のトラップ少佐はポーランド人殺害の嫌疑で訴追されて死刑判決を受けましたが、多くの隊員はハンブルクでそれぞれの職業へと戻り、60年代になって司法尋問の対象となり、何人かが有罪判決を受けました。

 

 最後の方で著者は隊員たちの心理について次のように述べています。

 列を乱すことによって、撃たない隊員は「汚れ仕事」を彼らの戦友に委ねることになったということである。個々人はユダヤ人を撃つ命令を受けなかったとしても、大隊としては撃たねばならなかったのだから、射殺を拒絶することは、組織として為さねばならない不快な義務の持ち分を拒絶することだったのである。それは結果的に、仲間に対して自己中心的な行動をとることを意味した。撃たなかった者たちは、孤立、拒絶、追放の危険を冒すことにあった ー 非順応者は、堅固に組織された部隊のなかで、きわめて不快な生活を送る覚悟をしなければならなかったのである。しかも部隊は敵意に満ちた住民に取り囲まれた外国に駐留しているのだから、個々人には、支持や社会的関係を求めて帰るところはなかった。(297p)

 

 このように、まさに「普通の人びと」がいかにしてユダヤ人の虐殺を実行するに至ったのかを明らかにしたのがこの本です。心理過程を明らかにするだけでなく、実際の虐殺の様子も再現しようとしていますので、ユダヤ人がポーランドにおいてどのように殺されていったのかを知ることも出来ます。

 

 この本を読むと、ホロコーストという近代以降もっともおぞましいと思われる出来事の一翼が、まさにタイトルにある「普通の人びと」の上述のようなよくある集団心理によって担われていたことがわかります。

 この本の中には、ユダヤ人の射殺という任務に嫌悪感を持っている人物も登場しますし、心理的な負担を感じている者もいます。ただ、それでも第101警察大隊が他の警察大隊、例えば、ナチ化された若者を中心に徹底的な教化と訓練を受けた300番代の警察大隊に劣らない数のユダヤ人を殺害しているという事実(370p参照)はには恐ろしいものがあります。

 ユダヤ人の虐殺について考えるだけでなく、人間の集団心理を正しく恐れるためにも広く読まれるべき本だと思います。