猪俣哲史『グローバル・バリューチェーン』

 本書の冒頭にある問いは「iPhoneはメイド・インどこか?」というものです。USAでしょうか? チャイナでしょうか? それとも別の国でしょうか?

 正解は「Designed by Apple in Califoronia, Assembled in China.」というものです。

 iPhoneは一つの典型的な例ですが、現在の工業製品はさまざまな国から部品が集められ、中国などで組み立てられ、そして世界各地へ出荷されています。この国境を超えたサプライチェーンがグローバル・バリューチェーンです。

 本書は、このグローバル・バリューチェーン(以下GVC)の実態とメカニズムを明らかにするとともに、副題に「新・南北問題へのまなざし」とあるように、今後の南北問題も展望しています。米中貿易摩擦を読み解く知見もありますし、非常に刺激的ですし勉強になる本です。

 

 目次は以下の通り。

第1章 GVCとは何か

第2章 GVC誕生秘話 東アジアの統合された多様性

第3章 怒れる米国、かわす中国 GVCをめぐる超大国のロジック・ゲーム

第4章 付加価値から見た世界経済

第5章 価値は世界をどうめぐっているか 付加価値貿易の計測手法

第6章 技術革新と経済発展

第7章 GVCパラダイム 新・新・新貿易論?

第8章 新・南北問題の解決へ向けて 政策への含意

第9章 第4次産業革命におけるGVC

 

 少し前のものになりますが、2009年にiPhone3Gの部品単価を分析したところ、フラッシュメモリーやディスプレイ・モジュールを供給する日本が付加価値の12.12%、ベースバンドやカメラモジュールを供給するドイツが6.03%、アプリケーション・プロセッサーSDRAMを供給する韓国が4.59%、Bluetoothなどを供給するアメリカが2.15%、組み立て加工の中国が1.30%を占めていたそうです。ここの流通マージン等の64.21%が上乗せされて500ドルのiPhoneとなります(20p表1−1参照)。

 このようにアメリカで設計し、各国の部品を集め、人件費の安い中国で組み立て、営業・販売、アフターサービスはアメリカで行なうという仕組みができあがっています。

 こうした国境を越えた分業の形態がGVCです。分業が経済発展の鍵であることはアダム・スミスが言っていますが、現在ではこれが国境を超えた形で行われているのです。

 

  「①生産要素(労働、資本、土地)の価格や生産性の格差は、国内よりも国間の方が大きい」のですが、「②肯定感を連結するための費用は、単国内よりも複数の国にある拠点を結ぶ方が大きい」(27p)ため、①によるメリットが②のデメリットを上回らなければGVCは形成されません。

 地域における比較優位が明確で、生産ネットワーク間のアクセスが容易で、なおかつ分業のもたらすスケールメリットを活かせるだけの消費市場が存在することがGVCの発展には必要になります。

 そして、現在この条件が揃っていると思われるのが東アジアです。

 

 EUが「似た者同士」のグループであるのに対して、東アジアは日本や韓国のような先進工業国がある一方で、インドネシアのような資源国、シンガポールのようなサービス産業立国、さらに巨大な労働力を持つ中国と、異質な国が集まっています。本書の48−49pに各国の産業構造をその産業特価の度合いによって比較するグラフが載っていますが、それをみれば東アジアの多様性が視覚的にわかるようになっています。

 

 さらに51−53pにかけて、産業の生産額シェアを表したスカイライン・チャートが載っていますが、これをみるとアメリカが各分野において過剰生産あるいは生産不足の少ない極めてフラットな形を占めているのに対して、中国、インドネシア、韓国・台湾・シンガポール、マレーシア・フィリピン・タイといった国々のスカイライン・チャートは凸凹であり、比較的フラットな日本においても製造業を中心に生産過剰が見られます。

 ただし、東アジアとアメリカをひとまとめにしてスカイライン・チャートをみると(55p図2−8)、ほぼフラットな構造になっています。個々のピースは凸凹でもアメリカという消費市場も組み入れて考えると、そこには互いに組み合わさったシステムの姿が見えてくるのです。

 

 さらに東アジアには域内に香港とシンガポールという「高度に整備された輸送インフラや物流管理能力、そして英語と中国語をほぼ等しく主要言語に持つことなど、他の国にはない強力な優位性」(57p)を持つ場所があります。

 さらに東アジア地域の関税は、関税の上限である「譲許関税」よりも低い税率が設定されていることが多く、ASEANはもちろん、中国やインドでも関税の引き下げが進んでいます。

 こうして出来上がった東アジアのGVCについて、本書の第2章では次のようにまとめています。

 

 中国という存在が、東アジア地域に極めて特異な生産システムをもたらした。すなわち、

 (1)中国以外の東アジア諸国が高付加価値の部品・付属品を生産し、

 (2)それらを中国の安価(低付加価値)な労働力によって集中的に最終製品へと組み上げ、

 (3)消費市場としての欧米諸国に輸出する、という三角構造に基づいた国際分業体系である。そして、この非対称的な価値創出メカニズムこそが、今日における米中貿易不均衡問題の本質を読み解くカギとなる。(63−64p)

 

 第3章では、いよいよ米中貿易摩擦に焦点が当てられているわけですが、まず、アメリカの地域のデータを見ると、2016年のアメリカ大統領選挙において、中国との競争に多く晒されている地域の有権者ほど 共和党に投票する割合が高かったことがわかります(77p図3−1参照)。

 中国は1990年代なかばから2011年にかけて世界の加工生産輸出の44〜55%程を占めていました(89p表3−1参照)。前世紀の末から工業製品の輸出における中国の存在感というのは圧倒的です。

 

 しかし、ここで気をつけたいのが中国はあくまでの最終的な組み立てを行っているだけであり、中の部品は別の国で作られているケースが多いということです。

 先程、iPhoneのケースをとり上げましたが、中国で行われているのは最終的な組立工程にしかすぎません。ところが、アメリカに向けて輸出されるのは180ドル近い商品であり、輸出統計にも180ドル分の輸出が計上されます。つまり、中国が得ている付加価値は組立工程のわずかなものなのに、統計上は中の部品を含めた価格が計上されているのです。

 

 ですから付加価値ベースでアメリカの対中貿易赤字を見るとその数字は圧縮されます。2005年では約23%、2015年でも約12%過大に計上されていると考えられるのです(米国政府統計との乖離はさらに大きい、91p図3−5参照)。

 付加価値ベースで貿易を見ると、中国の対米黒字は圧縮され、日本や韓国の対米黒字は増大することになります(93p図3−7参照)。「対中国での赤字が日本や韓国に振り替えられるという、政治的にも極めてセンシティブな結果」(94p)となるのです。

 

 ただし、この事実が知られるようになれば米中貿易摩擦はおさまるかというと、著者は否定的です。中国でも中間財の生産が増えており、統計と付加価値ベースのギャップは縮まってきていますし、現在、摩擦のポイントは知的財産権の問題へと移りつつあるからです。

 このことについて著者は次のように述べています。

 近年の主に協調ゲームを基盤としたGVCにおいて、米中貿易関係は非熟練労働をめぐる対立を抱えつつも、根底では常に米国の知的資本と中国の労働力による「共謀」を前提としてきた。それゆえ、トランプ政権の対中強硬路線にはある種の偽善性・演劇性が潜んでいたわけであるが、前述のZTEとファーウェイに対する措置は、これまでとは様相が異なるものとして見ていいのではないだろうか。(97p)

 

 第4章では、付加価値貿易の考え方を説明しつつ、付加価値貿易の視点から見るとないが見えてくるかを紹介しています。

 詳しくは本書を見てほしいのですが、自動車産業においてドイツの高付加価値化が際立っており、それに連れてスロバキアハンガリーチェコなどの周辺諸国で「自動車産業化」が牽引されている一方で、アメリカとメキシコの関係においては、アメリカの生産ラインがそのままメキシコに移植されたような動きを見せています(115p図4−6参照)。これは興味深い分析です。

 

 第5章は付加価値貿易の計測方法を扱った章で、産業連関分析から入って付加価値貿易の計測方法やそのデータを紹介しています。

 

 第6章では技術革新がGVCを通して経済発展に及ぼす影響を分析しています。

 製造業にはさまざまなスタイルがあり、自動車のように部品同士の丁寧なすり合わせが必要な垂直統合型から、サプライヤーがクライアントに従属する従属型(アパレルなど)、加工業者に一定の裁量をもたせる相互依存型(近年ではアパレルでもこのタイプがある)、部品の標準化が進んでいるモジュール型、ほぼ汎用部品で構成される市場型といったタイプがあります。

 

 近年では、モジュール化の動きが自動車産業でも起こっています。こうした中でデルファイ、ボッシュデンソーといった基幹部品メーカーが存在感を高めるとともに、中国では瀋陽航天三菱汽車とデルファイが、主に中国の地場自動車メーカーに対して、その個別の車体を基準にエンジンなどの基幹部品をマッチングして販売するという協業を行っています。瀋陽航天三菱汽車がエンジンとトランスミッションを、デルファイが電子制御ユニット(ECU)を提供することで、技術力の低いメーカーでも自動車の生産が可能になるのです(157−158p)。

 

 また、電子産業ではプラットフォーム・リーダーと呼ばれる製品の技術基盤を提供する企業が存在感を高めています。代表例はなんといっても「ウィンテル」(マイクロソフトインテル)ですが、中国の携帯電話市場では2G/3Gのときは台湾のメディアテックが、4G のときは米国のクアルコムが、その基幹となる製品パッケージを供給することで存在感を高めました。クアルコムと中国の携帯電話メーカーに関しては、相互依存型の関係に変容しつつあると著者は見ています。

 

 こうした状況に関して、著者は次のように分析しています。

 従来、グローバル市場に参加するには国内に高度な産業基盤を必要とし、まず前提として、その国が巨大な資本投下を伴う工業化の長い道程をたどることが想定されていた。しかし、輸送技術や情報通信技術の発達により生産工程の細分化と地理的分散が進展したことで、強力な産業基盤を持たない途上国でも、組立工程など自国の技術レベルに合った部位を国際的なサプライチェーンから切り取ることが可能となった。(168p)

 このような中で、技術移転も先進国主導企業と途上国企業の関係性の中で進んでいきます。技術自体の国際移転・伝播のスピードも上がっており、GVCには経済発展のプロセスは今までよりも大幅に圧縮する力があるのです。

 

 第7章ではGVCが新しい貿易理論をもたらすかどうかが検討されています。やや専門的な議論も含むので詳しいことは本書を読んでほしいのですが、リカードがその基礎を確立し、ヘクシャー=オリーンからサミュエルソンに至る流れの中で維持してきた3つの古典的命題の1つ目(完全競争のもと、生産活動は規模に対して収穫不変である)をクルーグマンの「新貿易論」が覆し、2つ目(産業は均質な生産者によって構成されている)をメリッツの「新・新貿易論」が覆したわけですが、GVCパラダイムは3つ目の命題(各国は最終製品についてのみ貿易を行い、また、それら製品は輸出国の生産要素だけを用いて生産される)も覆すことになります。

 

 第8章ではGVCを通して「新たなる南北問題」を展望しています。

 GVCは今までの先進国と途上国の壁を壊しつつあります。例えば、電気・光学機器産業のサプライチェーンにおける付加価値のあり方を見ると、1995年の段階では高付加価値=先進国、低付加価値=途上国という棲み分けがはっきりと見られたのに対して、2009年の段階ではその棲み分けが崩れつつあります(195p図8−1参照)。

 そうしたこともあって、先進国ではグローバル化に対する揺り戻しが起きており、それが政治を大きく揺さぶっています。

 

 しかし、雇用を守るために保護貿易を行なうという選択肢は時代錯誤のものとなっています。「輸入に制限がかかれば生産活動に活用できる中間財・サービスの範囲が狭まり、結局のところ自国企業の国際競争力を著しく低下させる」(198p)からです。

 また、中国の輸出は日本やアメリカにおいても多くの付加価値を生み出しており、逆に2006年に欧州員会が中国とベトナムの靴製品に対して行ったダンピング相殺関税は、欧州域内の靴のデザインや流通などの業者に大きな打撃を与えることとなりました。

 さらに、安価な輸入品が手に入らなくなることは低所得者層の打撃となります。

   

 では、雇用をどうすればいいかというと、著者はサービス雇用が増えていることに注目しています。アメリカの雇用を見ると、2011〜16年にかけて、倉庫業、宅配業、小売業で雇用が伸びており、サプライチェーンの運用を支援する産業での雇用の増加が確認できるのです。

 

 一方、途上国にとってGVCの発展はどうだったかというと、まずは大きな恩恵をもたらしたと見ていいでしょう。雇用が増え、国民所得が上がりました。特に中国は「GVCへの参加を通じて歴史的にも例を見ない急速な富の蓄積を果たし」(206p)ました。

 また、GVCの参加には複雑な取引が行えるだけの法制度の整備も必要であり、GVCに参加するためにそうした法制度の整備が進んだ面もあるでしょう。

 

 しかし、この発展がさらに他の途上国(例えばアフリカ諸国)を巻き込んでいくかというと、著者はやや懐疑的な見方を示しています。

 アフリカ諸国の労働生産性は低迷したままですし、先進国の消費市場に以前のような勢いはありません。また、環境問題に対する関心の高まりで、より厳格な環境影響評価に基づく生産管理が求められるようになりました。

 そして、何よりも生産のオートメーション化が進んだことで、今後、製造業は今までのような膨大な労働力を必要としなくなってくる可能性が高いのです。

 GVCの恩恵は中国+αで打ち止めになってしまう可能性もあるのです。

 

 先進国と途上国の関係においても変化があるかもしれません。21世紀前半の国際ルールづくりでは先進国がルールをつくり、途上国が追随するという形でルールが形成されましたが、GVCによって先進国の絶対優位性はゆるいでいくことになります。もちろん、途上国も安価な労働力党武器は失いますが、その代わりに国内の消費市場という新たな交渉カードを手に入れることになります。

 こうなると、特に国内の市場が大きい中国やインドなどは先進国のつくるルールに従わなくなり、独自のルールをつくっていくようになるかもしれません。

 

 終章では、第4次産業革命とも呼ばれる近年の新技術の製造業とGVCへの影響を検討しています。詳しくは本書を読んでほしいのですが、新技術はサプライチェーンの追跡を容易にし、製造現場のオートメーション化を進めます。

 今までは、途上国は「安価な労働力」という入場チケットをもってGVCに加わり、成長とともに「安価な労働力」というチケットをさらに貧しい国に譲り渡していく形でしたが、第4次産業革命によって、この「安価な労働力」というチケットの有効期限は切れてしまうのかもしれません。

 

 このように本書は、GVCという近年の現象を分析しながら、今後の南北問題や国際貿易体制の行方までを占うという非常にスケールの大きく射程の長い本となっています。それでいて、現状についての細かな分析も充実しており、面白く読みごたえのある本に仕上がっています。

 難解で高度な分析も行っているのですが、それを図やグラフなどに落とし込むことで直観的にわかるようにしていることも、この本の優れている点と言えるでしょう。

 GVCという製造現場に起きている現象だけでなく、米中貿易摩擦の行方や南北問題の行方に興味がある人にもお薦めできる一冊です。