酒井正『日本のセーフティーネット格差』

 副題は「労働市場の変容と社会保険」。この書名と副題から「非正規雇用が増える中で社会保険セーフティーネットの役割を果たせなくなってきたことを指摘している本なのだな」と想像する人も多いでしょう。

 これは間違いではないのですが、本書は多くの人の想像とは少し違っています。「日本の社会保険の不備を告発する本」とも言えませんし(不備は指摘している)、「非正規雇用の格差を問題視し日本的雇用の打破を目指す」といった本でもありません。

 本書はさまざまな実証分析を積み重ねることで、この問題の難しさと、改革の方向性を探ったものであり、単純明快さはないものの非常に丁寧な議論がなされています。特に仕事と子育ての両立支援を扱った第3章と、若年層への就労支援などを論じた第6章、最近流行のEBPMについて語った第7章は読み応えがあります。

 

 目次は以下の通り

序章 日本の労働市場社会保険制度との関係

第1章 雇用の流動化が社会保険に突きつける課題1―社会保険料の未納問題
第2章 雇用の流動化が社会保険に突きつける課題2―雇用保険の受給実態

第3章 セーフティーネットとしての両立支援策

第4章 高齢者の就業と社会保険

第5章 社会保険料の「事業主負担」の本当のコスト
第6章 若年層のセーフティーネットを考える―就労支援はセーフティーネットになり得

第7章 政策のあり方をめぐって―EBPM は社会保障政策にとって有効か
終章 セーフティーネット機能を維持するために

 

 まず、序章では現在の労働市場と社会保養制度を概観しています。非正規雇用をどう捉えるのかということと、現在の日本の社会保険制度との説明と、現状と合わなくなってきている部分、そして社会保険の手厚さをはかる「ユニバーサリティ」の概念が紹介されています。医療保険で言えば、カバー率、受給者割合、給付額の水準等という3つの軸から測るもので、社会保険を考えるときは、この複数の軸からの検討が重要だと指摘しています。

 

 第1章では社会保険の未納問題を扱っています。基本的には日本は皆保険制度をとっていますが、給料から社会保険料が天引きされるサラリーマンとは違い、自営業者や農家などが加盟する、国民年金国民健康保険の強制性は弱いです。

 年金などに関しては、自営業や農家は定年があるわけでもないのでなくても、あるいは給付が少なくてもたいして困らないという想定がありましたが、ご存知のように現在は非正規雇用や無業者などの人々がこの国民年金国民健康保険に流れ込んでおり、その未納が大きな問題となっています。

 

 未納の原因としては、保険料が高いために支払えない「流動性制約要因」、加入するメリットがないと考える(「年金を貰う前に死ぬはず」等)「逆淘汰要因」、現在の消費を過度に重視し将来のことを評価しない「近視眼的要因」の3つが指摘されていきましたが、この他にも就業移動に伴う「納付し忘れ」も考えられます。

 実際、転職回数が多いほど社会保険に非加入である確率が高まるとのデータがありますが、同時に転職回数が多いほど所得自体が低くなる傾向も見られ、やはり「流動性制約要因」が強いと考えられます。

 

 では未納になるとどうなるのか? 健康保険に関しては未納があってもとりあえずは「短期被保険証」、さらに滞納が続くと「被保険者資格証明書」が交付され、すぐに無保険状態になるわけではありませんが、やはり受診は手控えられるようになります(そもそも自己負担額が払えないケースもある)。

 年金に関しては、将来の生活保護世帯の増加という形で問題が現れるでしょう。

 未納対策としては、非正規雇用にも被用者保険(年金で言えば厚生年金)を拡大するという方法がありますが、適用が拡大されても、もともとの所得が少なければ給付される年金は低額なままであり、抜本的な解決策にはなりません。

 

 第2章では雇用保険における適用拡大の問題がとり上げられています。

 雇用保険に関しては早くから非正規雇用の取り込みが進んでおり、被験者の割合は60%台の割合を一貫して保っており、近年ではやや増加傾向です。ところが、受給者の割合は80年代、90年代に比べて下がっています(92p図2−4参照)。この要因としては、自己都合の給付制限期間を1ヶ月から3ヶ月に伸ばした1984年の制度変更と、非正規雇用の増加、長期失業者の増加によってもたらされていると考えられます。雇用保険においてもセーフティーネットからこぼれ落ちる人はいるのです。

 

 雇用保険に関しては、給付額が手厚かったり給付期間が長かったりすれば、人々が失業の状態に甘んじて職探しをしないというモラルハザードが起こる可能性もありますが、給付期間が短すぎれば本意でない仕事につかざるをえなくなり、結果的にまた失業してしまうかもしれません。

 また、非正規雇用を包摂するためには受給要件の緩和が必要になりますが、それは拠出と給付の関係を弱めることでもあり、新たな「副作用」を生むかもしれません(現在の求職者支援制度は拠出とは関係なく支援が行われていますが、あくまでも教育訓練であって不況時にセーフティーネットとして機能するかどうかはわからない)。

 

 第3章は子育てにおける両立支援策について。少子化対策として保育園の拡充が叫ばれていますが、実はなかなか難しい問題もはらんでいます。

 共稼ぎの世帯が増えており、子どもが1〜3歳の場合、就業している母親の7割以上が保育施設に子どもを預けていますが、祖父母が面倒を見ているケースも0〜2歳で1割以上あります(116p表3−2参照)。また、0歳児に関しては7割が父母に面倒を見てもらっていますが、これは育休を使っているからだと考えられます。ここで注目したいのは育休や祖父母の保育と保育施設での保育は代替関係にある点です。

 

 現在では待機児童が問題になっています。経済学的に言えば、超過需要が発生しているのだから保育料が安すぎる、つまり保育料を値上げすれば待機児童が解消するということになります。これには当然反発が起こると思いますが、ここからわかる重要なポイントは「(価格調整ではなく)数量調整でしか待機児童の問題は解決できない」(123p)ということです。つまり、基本的には供給を増やすしかありません。

 

 しかし、保育園の需給にはミスマッチがあります、都市部と地方(地方では定員の枠が余っているが都市部では足りない)、保育園の場所(不便な場所なら入れる)、年齢(幼稚園もあり人員配置基準の緩い3歳以降だと余裕があるが3歳未満は厳しい)などです。

 さらに近年では、保育園がフルタイム勤務の保護者の子どもを優先して受け入れていることから、祖父母に預けてでも熱心に働いていた就業志向の強い母親が、祖父母から保育園に預けかえた可能性も指摘されています。

 保育園の有無に関わらず就業を続けるような熱心、あるいは所得の高い母親が保育園を利用し、一方で保育園がなければ就業を断念してしまう層が保育園に入れていない可能性も考えられるのです。東京23区のいくつかでは、「認可保育園利用世帯の保育料の階層分布を見ると、単峰型ではなく、二峰以上の形状をしている」(129p)とのことで、優遇される貧しいひとり親と裕福な層の2つが保育園利用の中心となっていることがうかがえるのです。

 著者は、セーフティーネットという観点からすると、「都市部で認可保育所利用が必ずしも低中所得層で高くないということはかなり問題だと捉えるべきだろう」(130p)と述べています。

 

 育児休業子育て支援政策の1つです。育児休業の期間、給付金の額とも一貫して強化されています。ただし、これらの政策が出生率の改善に結びついているかというと、よくわかっていない面も多いようです。

 育児休業に関しても、制度の性格からして、雇用が安定してて、勤続年数が長く、給与も高い者のほうが取りやすいという面があり、認可保育所と同じく格差の問題が残ります。

 また、就業の継続が問題になるのは保育所入所以前の時期よりも、むしろ小1のときにあるとも言われ、子どもの小学校に入学すると母親の就業率が10%程度低下することが統計的にも確かめられています(139p)。

 

 本章を読んで改めて感じるのは、少子化対策の難しさです。例えば、労働組合に対して行った調査では、出生率を有意に引き上げているのは「会社による託児所利用の支援」「勤務地限定制度」「結婚・出産退職者のために再雇用制度」といったもので、「法定を上回る育児休業制度」「育児等のために短時間勤務制度」「時間外労働の免除」は出生に対して影響を与えていません(144p)。しかも、効果があった施策に関しても、所得が相対的に高い世帯のみに有効で、ここでも所得の高い世帯がコストの係る対策の恩恵を受けるという状況になりかねません。

 「誰でも子どもが生み育てられる社会」の実現というのはなかなか難しいのが現状です。

 

 第4章は高齢者の就業に関して。

 年金の受給開始年齢の引き上げなどもあり、高齢者の就業が増えています。さらに00年代になって以降は65歳以上の年齢での就業が高まっており、その多くは非正規雇用となっています(154p図4-1参照)。

 高齢者の就業は本人にとっても日本経済にとっても基本的には良いことかもしれませんが、高齢者の就業の増加で心配されるのが労災の増加・深刻化です。海外の研究では高齢になると労災が死亡や重傷に繋がりやすいとの結果が出ています。

 

 日本においてもこの傾向は認められます。筆者らの研究によれば、60歳以上の就業者の割合が10%ポイント増加すると1000人あたりおよそ16件の労災が今より増加し、また被災者が死亡に至るケースも60歳以降で急上昇するそうです(157-158p)。

 現在の労災保険の保険料率は業種ごとに細かく定められており、労災が多いほど保険料率が高くなる仕組みとなっています。これは労災防止のインセンティブをもたせる上では良い制度ですが、これが行き過ぎると高齢者の雇用をためらわせることにもなりかねません。また、本来ならば医療保険で面倒を見るべき人が労災保険に流れ込んでくる可能性も考えられるでしょう。

  

 また、この章の後半では介護離職の問題もとり上げられています。近年増えているかのように報道されていますが、データを見ると特に増えているわけだはありません(168p表4-2参照)。また、欧米の研究では介護の就業抑制効果はほぼないとの結果っが相次いでいます。

 ただし、日本では介護は就業を抑制しているとの結果が出ています(女性の方が効果は大きい、170p図4-4参照)。

 介護保険の導入によって「介護の社会化」が行われるはずでしたが、近年では財政的な問題もあって、介護認定の再編や施設への入所基準の厳格化などにより在宅サービスに重点が置かれるようになってきています。家族が就業を断念せざるを得ない(特に賃金の低い女性)状況が出てくるかもしれません。一方、就業率の改善を単純に比較すると介護施設よりも保育施設のほうが効果があるとのデータもあり、ここでもその処方箋は難しくなっています。

 

 第5章は「社会保険料の「事業主負担」の本当のコスト」と題されています。経済学では、事業者負担は最終的には労働者の賃金に転嫁されており、労働者負担と事業主負担を区別して考える意味はない、という見解が根強くあります。

 これについて企業にヒアリングを行うと「そんなことはない」と答えるのですが、介護保険を導入した際は、40歳以上の従業員が多い(介護保険の保険料を支払うのは40歳から)企業ほど従業員の賃金を押し下げる力が働いており、それは給与だけでなく賞与こみでみるとよりはっきりとします(190p図5-5参照)。

 さらにこのコストは賃金の引き下げだけでなく、雇用の削減や、その他の福利厚生の削減に転嫁される場合もあります。 

 社会保険料の負担によって正規から非正規への転換が進んでいるというデータはあまりないようですが、社会保険料の負担の増加が意図せざる結果を引き起こすこともあります(アメリカでは出産への保険給付を企業に義務付けた結果、そのコストは20〜40歳の既婚女性の賃金に転嫁された(198p))。

 「企業への義務付け」はそのコストが見えにくいぶん、政策手法として徴用される傾向がありますが、そのコストについては慎重に見極めることが必要なのです。

 

 第6章は「若年層のセーフティーネットを考える」と題し、主に就労支援の問題を扱っています。

 よく知られているように、一般的に若年層(15-24歳)の失業率は高いです。この1つの理由は若年層のほうが自発的に仕事を変える割合が高いからですが、失業率の推移を見ると、壮年層と同じように景気が悪くなると失業率は高くなります(204p図6-1参照)。そして、ここがポイントなのですが、若年時の失業経験はその後の人生にもフの影響を与えます。つまり、不況のときに就職した若者はその後の雇用も不安定になりがちなのです。

 

 本書では若年時の景気が持続して及ぼす影響を「烙印効果」と呼んでいます。このあたりは景気が回復してもいわゆるロスジェネ世代が取り残されていることなどを思い起こすとわかりやすいと思います。

 初職が非正規雇用だったものはその後も正規雇用になり確率が低く、景気が悪い時期に卒業した世代はその後の離職率が高いと言われます。また、学卒時点の失業率が高いと、その後の賃金が有意に低いとされており、学卒時の失業率が1%高くなると、学卒後12年までに、高卒で約242万、大卒で焼く169万の損失になるとの研究もあります(213p)。

 

 「日本企業の生産構造が、企業内訓練による生産性の向上を前提とした仕組みになっていることが多い」(216p)ため、新卒採用が好まれ、途中からその構造に入っていくのは難しくなっています。

 ですから、一度正規雇用になることを逃した労働者への支援は難しく、学校から仕事への以降において失敗しないように支援することだけが対策になってしまいかねません。

 

 そんな中で、近年注目を集めているのが「就労支援」です。この背景には、若年層の就業が困難なのは、企業の求める条件と若者の持つ属性(スキル)にミスマッチがあり、それを解消していけば就業につながるはずだという想定があります。

 しかし、とにかく就労させればそれでいいかというと、そうではありません。アメリカのミシガン州デトロイトにおける研究では、就労支援サービスで直接雇用になった者と派遣雇用になった者を比較し、派遣労働に就職した場合、その後の就業率・賃金が低下する傾向にあったことを明らかにしています(この調査のリサーチデザインは面白い(230-231p)。

 

 日本における就労支援で難しいのは、日本の企業の雇用慣行が密接に関わっている点で、今後も慣行が維持されるのであれば、ロスジェネ世代に教育訓練を行っても、彼らをレール上に乗せることは難しく、支援は低賃金のままでも暮らせるような仕組みを作っていくことになるでしょう。一方、慣行が崩れ雇用が流動化していくならば、就労支援も行いやすくなるかもしれません。

 

 第7章はいわゆるEBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング)が検討されています。日本語では「客観的な根拠(エビデンス)に基づく政策形成)とも呼ばれ、日本でどの程度取り入れられているかはともかくとしてトレンドとなっている考えと言っていいでしょう。

 財政状況が苦しくなり、政策に対する説明責任が求められるようになってきた今、エビエンスに基づいて政策をつくることが必要であり、そのための因果推論の考え方も普及してきています(これについては、例えば本書でもとり上げられている中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』を参照)

 

 しかし、場合によっては複数のエビエンス、しかも正反対の結果を示すエビデンスが存在する場合もあります。そのためにいくつかの研究をまとめてさらに分析するメタ分析(メタ・アナリシス)という方法もあります。

 ただし、医学や薬学などに比べると、経済学などの社会科学の分野では分析の諸条件が研究によって異なることが多く、複数の研究が支持しているからそれだけでOKというわけにはいきません。

 また、「出版バイアス」の問題もあります。よくない結果(研究者の仲間から支持されなさそうな結果)は公表されない、出版されないことも考えられます。例えば、260p図7−7では最低賃金が雇用に及ぼす影響に関する研究がグラフ化されていますが、その分布はマイナスの影響を与えるという結果を持つほうに傾いています。他にも介護が労働時間に及ぼす影響に関してもマイナスを示す研究に偏っていますし(261p図7−8)、単独の研究ではなく、「研究群」として捉える視点が重要だと著者は言います。

 

 さらに政策形成の過程も考える必要があります。例えば、労働政策であれば、労働者側も使用者側も賛成しているのならば、ある政策を採用するかどうかに関してエビデンスは必要ないかもしれません。逆に、労働者側と使用者側ではっきりと利害が対立するような場面でもエビデンスは求められないかもしれません。

 「実際には、価値の対立をエビデンスで解決できるわけではなく」(266p)、制作決定にエビデンスが役割を果たす場面というのは、政策の目的には対立がなく、そのための施策が複数ある場合などに限られてくるのです。

 他にも、エビデンスとなる数値の性格にも注意を払う必要があります。数値は客観的に見えますが、同時に数値にできるのしか測っていません。特定の数値を指標にすることでその他のものが蔑ろにされたり、行動が歪む可能性もあります(本書でも言及しているジェリー・Z・ミュラー『測りすぎ』参照)。

 エビデンスを得るためのコストもあるわけで、「皮肉ではあるが、EBPMの原則に従うならば、「指標に基づく政策は、便益のほうが費用よりも上回っている」というエビデンスがないのであればやめたほうがよいことになる」(270p)というわけです。

 

 本章の後半では社会保障分野における分野におけるEBPMを検討していますが、著者は定量分析の結果を活かすべき分野として、社会保障制度が有する家族機能や地域機能との関係性をあげています。

 近年、社会保障に関しては社会保障制度の拡充から、財政難もあって自助・互助と共助・公助のバランスをとることが重要という論調に変わってきていますが、実は「かつては家族や地域がセーフティーネットの役割を果たしていた」というのは神話に過ぎないのかもしれません。平均寿命の短かった時代では、老後の蓄えも介護もそれほど必要ではなかったかもしれないのです。

 

 こうしたことを踏まえて、著者は「エビデンスは制作決定の一要素にすぎないことを認識したうえで、エビデンスが議論に資する状況を見極めるほうが有意義である」(284p)と述べています。

 また、終章では次のようにも述べています。

 やや斜に構えた見方かもしれないが、エビデンスの役割は政策目標を明確にすることに寄与するところが大きいのではないかという気がしている。行政はとかく当該施策の担当部署内で完結してしまう思考を抱きがちであり、本来の施策の目標が失われがちである。そのようなときに、エビデンスに基づいた議論をしようとすることは、そのエビデンスが現状では容易に得られないようなことがあったとしても、政策目標や論点を明確にするという意味で、やはり必要なことではないか。エビデンスそのものというよりも、エビデンスの探求自体が、同じ議論の土俵に立たせてくれるのである。(303p)

 

 思いもよらず長いまとめになってしまいましたが、これは本書の性格の反映でもあります。本書はズバッとエビデンスを示して、明確な処方箋を示すような本ではなく、現状認識を示した上で、社会保障制度の複雑さと難しさをさまざまな角度から示したものとなっています。

 「答え」を知りたい人にはもどかしい本かもしれませんが、問題を考えたい人にとっては有益で非常に読みごたえのある1冊になっていると思います。