伊藤修一郎『政策実施の組織とガバナンス』

 副題は「広告景観規制をめぐる政策リサーチ」。タイトルと副題からは面白さは感じられないかもしれまえんが、「なぜ守られないルールがあるのか?」「なぜ政策は失敗するのか?」といった問いに変形すると、ちょっと興味が湧いてくるかもしません。

 そして、副題にもなっている広告景観規制は、ほとんどの地域で違反行為が放置されている一方で、京都のようにかなり実効性をもった規制が行われている地域もあります。「京都は歴史のある街で特別だ」という声もあがりそうですが、本書を読むと、京都市以外にも静岡県金沢市宮崎市などで効果のある取り組みがなされていることがわかります。

 多くの自治体が失敗している一方で、成功している自治体もあるのです。ですから「守られないルール」が存在する原因は「ルールそのもの」よりも「ルールの守らせ方」にあると言えるのです。

 

 本書は、第1部で失敗の原因を分析し、第2部で歴史的経緯や規制に成功している事例を取り上げ、第3部で統計分析を行うという手堅いつくりになっており、政策を分析する上での1つのモデルとしても読めると思います。

 実は著者は神奈川県の職員として広告景観規制の仕事を担当していたこともあり、「政策が実行されない事情」というものが実感的にわかるないようになっていて、そこも本書の面白い点だと言えるでしょう。

 

 目次は以下の通り。

第1部 なぜ政策は失敗するのか――政策実施組織の構造の理論分析
第1章 政策実施研究の論点と屋外広告物政策の概要
第2章 政策実施を妨げる職員行動と組織構造
第3章 平均的自治体の屋外広告物事務

第2部 なぜ違反対応は実行されたか――政策実施ガバナンスの理論と事例
第4章 政策実施ガバナンスの理論
第5章 屋外広告物政策の歴史と国の関与
第6章 静岡県東海道新幹線沿線野立看板対策
第7章 京都市ローラー作戦による違反適正化
第8章 金沢市審査会方式と宮崎市適正化プラン

第3部 実施活動を変えるものは何か――行政・市民・業界の統計分析
第9章 統合的統計分析による仮説検証
第10章 屋外広告業界の構造と法遵守
第11章 市民意識と政策支持の規定要因
結論 実効性ある政策実施のために

 

 まず、基本的に広告景観規制は失敗しています。よく「整然としたヨーロッパの町並みに比べて、無秩序に看板が乱立する日本の町並みは…」みたいに言われますが、実際、秩序だった景観をもつ日本の町並みは少なく、景観の無秩序さを際立たせているのが看板や広告と言っていいでしょう(もちろん『ブレードランナー』じゃないですけど、「それがいい」という考えもあると思います)。

 そして、おそらく景観が無秩序であることが、違法な広告や看板がなくならない理由でもあります。誰も規範を守っていないときにわざわざ守るメリットは少ないのす。一方で、整然とした景観の中で違法な広告や看板を出すことにはかなりの風当たりがあると考えられ、そうなれば自然とルールは守られるかもしれません。おそらく、良い均衡と悪い均衡とどっちつかずの均衡(そこそこ違反広告があって自分も出すか迷う状況)があって、なかなか良い均衡(違反がほぼない)にはたどり着けていないのが日本の多くの都市の現状でしょう。

  

 屋外の広告を取り締まる法律はあります。屋外広告物法という法律があり、そこでは自治体が自治事務として規制を行うという形が取られています。

 取り締まりにあたる規制機関には、都道府県(実際には〇〇土木事務所、△△地域振興局といった複数の市町村を管轄する出先機関が処理する)、政令市・中核市、景観法に基づき景観行政団体になった市町村の3つの類型があります。そして、これらの団体は、広告物の設置許可を出したり、違法広告物への指導や簡易除却を行ったり、業者の登録などを行っています。

 

 ただし、法律や取り締まりを実施する機関は存在しても、それがうまくいっていないというのが現状でしょう。

 第2章では、まず担当職員の行動原理を検討しています。屋外広告物の違反対応は職員にとってはストレスのかかる仕事です。相手がゴネれば解決には多くの時間と労力が必要になるでしょう。一方、申請処理は定型の仕事であり、それほどストレスはかかりません。そこで職員は申請処理を優先し、違反対応を後回しにしがちになります。

 

 さらにこれに日本の行政組織における「大部屋主義」が加わります。日本では人員と職務が明確に対応する「個室主義」ではなく、仕事を課の職員で分掌する仕組みをとっています。この仕組みを大きな部屋で複数の職員が働いていることから「大部屋主義」と言います。

 そして、1つの仕事を複数の職員が担当したり、あるいは1人の職員が複数の仕事を担当するような形態がしばしば見られます。

 

 こうなると、起こってくるのが業務間の人員争奪戦です。各職員の仕事が明確でないために、しばしば緊急性の高い仕事に人員が回され、緊急性の低い仕事は後回し人されます。また、1人の職員に複数の業務が任されている場合でも、やはり緊急性の低い仕事は後回しにされるでしょう。

 景観は大切かもしれませんが、景観がわるかったからといって直ちに損害が生じるわけではありません、こうして行政組織の論理からも屋外広告への違反対応は先送りされていくのです。

 

 第3章では、実際の人員配置を見ています。屋外広告事務で係を構成しているのは政令市の7割、中核市の3割であり、景観行政団体では2.9%しかありません(46p表3−1参照)。人員では専任職員が政令市で4.1人、中核市で1.1人、景観行政団体で0.4人と、人手不足の感は否めません(47p表3−2参照)。

 屋外広告事務の優先度を担当に尋ねる調査でも、90%近い担当者が他の業務に比べて優先順位が高いとは思っていません(50p図3−5参照)。一方で、違反指導では、相手から「規制があること知らなかった」「自分だけがなぜだめなのか」「なぜ他の地区はよくてうちの地区はだめなのか」などと反発されることも多く、80%近い職員が違反指導にストレスを感じています(63p図3−11参照)。

 

 国の屋外広告物法は1949年に制定されています。戦前は警察が広告物の規制を行っていましたが、戦後は建設省へと移されています。しかし、この法律に対しては「言論の自由を束縛するものだ」という建設省の担当者が思っても見なかった反対を引き起こします。ビラやポスターの規制が、政治運動や労働運動の妨げになると考えられたのです。

 制定された法では、法律に基づいて各都道府県が条例をつくり規制を行うこととなっていましたが、実はこの条例の制定がスムーズには進みませんでした。49年に27都府県、59年に7道県が制定した後、条例制定の動きは停滞し(やはり言論の自由の侵害だといった批判が根強くあった)、最後の山口県が制定したのは66年でした。63年には建設省が「非常に強い行政指導」を出して、今年中に必ずできるようにすると答弁しましたが(98p)、それから3年の時間が必要だったのです。このあたりは「明治以来の中央集権制」みたいな言い方がすべてに当てはまるわけではないといった感じです。

 

 その後、国はオリンピックと新幹線開業に対応するために、規制強化を求める通達を出して、都道府県への関与を強めますが、1973年の第3次改正が難航したことから、国は関与を弱めていきます。その後の地方分権の進展もあって、屋外広告規制に関して、国が強い対策を求めることはなくなっていきました。

 

 そのせいもあって屋外広告取り締まりの動きは鈍いわけですが、例外的に成果を上げている自治体もあります。本書がとり上げるのは静岡県京都市金沢市宮崎市です。

 

 まず、静岡県ですが、新幹線沿線の野立看板の取り締まりで成果を上げています。1992年の研究によると、東海道新幹線沿線の野立看板は543基があり、愛知県160、静岡県20、神奈川県141と静岡県の少なさが際立っています(122p)。また、2013年9月と2014年3月に著者が確認した際にも、静岡県内の明らかな禁止区域と思われる場所には非自家用の野立看板はなかったそうです(123p)。

 著者が静岡県が成果を上げている理由として提示しているのが、(1)手順の明示によるルーティン化と(2)目標と実績の共有です。

 静岡県では広告取り締まりを目的としたパトロールが毎月1日実施されており、違反広告物を発見すると台帳に記入し、指導・措置を記録してきます。この指導の過程もルーティン化されており、担当者が是正活動に踏み切る心理的ハードルを下げています。さらに登録業者に違反の点数制度を設け、点数が一定以上になると営業停止処分を行います。また、初任者研修も行っています。

 静岡県でこうした取り組みが進んだ背景には、県議会での屋外広告物に関する質問の多さもあげられます。70年代から違反広告物の指導実績がたびたび議会に報告されており、議会の関心の高さが県の対策を促進させたと言えます。

 

 京都市は以前から景観への意識が高いことで有名でしたが、それでも相当な量の違反広告物があるのは事実でした。

 規制が一段と強化されるようになったのは、2007年の屋外広告物条例の改正以降です。当時の桝本市長の強い意欲のもとに改正が行われましたが、広告業者からは大きな反発を受けました。この条例の審議の中で、既存の違反広告物に対する質問が出たこともあり、市は本腰で違反の摘発に取り組むことになります。

 2008年の市長選で当選した門川市長は違反屋外広告物を7年後に一掃すると約束しましたが、それでも違反の是正は進みませんでした。議会でも批判が高まる中で、2012年に再選された門川市長はローラー作戦を打ち出します。広告業務全体で専任職員15名、嘱託職員4名を確保し、さらに嘱託職員52名を採用。71名の体制でしらみつぶしに指導を開始します。2013年度には専任職員25名、嘱託職員84名の109名体制となり、メリハリを付けながら指導を進めていきました。そして周囲から違反広告が消えることで看板などを工夫しようという動きも生まれました。

 ここでも市長のイニシアティブとともに議会での質問や発言が市の動きを後押ししています。

 

 金沢市に関しては、特に市を挙げての違反対応が行われているわけではないのですが、専門家も関与のもと周囲との調和を重視しながら広告物の審査が行われています。また屋外広告物審査会では、12名の委員から学識経験者2名と業界関係者2名を組み合わせた輪番背で許可申請の審査が行われており、これが業者の意識を高めていると考えられます。

 宮崎市では2009年にGISと連動したシステムが開発され、許可や違反の摘発がスムーズにできるようになりました。また、違反物件に対して特例的に許可を出し、手数料を徴収する特例許可制度も運用されています。コンサルタント出身の職員を採用したこともあり、今までにはなかったアイディアが試されています。

 

 ここまでが第1部と第2部。第1部で理論、第2部で事例が述べられ、第3部では統計的な実証がなされています。

 第9章ではさまざまなデータから政策結果(アウトカム)を決定づける要因を探っています。その結果は218p図9−11の「違反割合を従属変数とするパス図」に表されています。取締強度、職員数といった違反割合を減らすのに効果がありそうな要素がいまいちい効いていない結果となっています(職員数は負の影響をもたらしている)。

 ただし、議会質問が職員数の増加や職員が是正のために費やす時間を増やすなど、規律付けの要因となっていることがうかがわれます。

 

 第10章では屋外広告業界側の実態と対応をデータから探っています。

 まず、屋外広告物の事業者は小規模な事業者が多く(224p表10−1参照)、業界団体に入っていない業者も結構な割合で存在します(225p表10−3参照、本文でも注記されているようにここの加盟率63.2%は高めに出ている可能性がある)。日本の行政は業界団体を通じて情報伝達や調整、合意形成などを行うので、この状況は行政にとってはやりにくい状況だと見ていいでしょう。

 さらに本章ではゲーム理論を使いながら、指導と業者の行動を分析しています。業者は違反を知りつつも、それを上回る経済的効果があると見て機会主義的に違反を犯してると考えられます。行政の対応が甘いと見れば違反をするわけです。

 また、屋外広告業者は「屋外広告物への市民の関心は薄い」と感じていて(237p図10−3参照)、それが違反を生んでいるとも言えます。同時に違反の現状は不公平だとも見ており(240p図10−6参照)、このあたりを変えていくことで業者の意識を変えていくことができるかもしれません。

 

 第11章では市民の意識がとり上げられていますが、まず市民には屋外広告物規制の存在についてはそれなりに知っていますが、内容までは知らないといった状態です(245p図11−1参照)。街の美観に関しても興味を持っています(女性の方が興味を持っている(246p表11−2参照)。

 ただし、「屋外広告物規制」、「道路維持管理」、「河川管理」、「都市公園管理」の4つに順位をつけてもらうと第4位とする人が最も多いです(248p図11−2参照)。ただし、著者はこれらの中で屋外広告物規制が下位になるのは仕方のないことで、むしろ1位にあげた人もいることから市民の優先順位は低くないと見ています。

 ただし、取り締まりのための人員増について聞くと、それほど賛成は多くなく(256p図11−8参照)、違反に対しては厳しくのぞんでも良いとしながらも、財政支出に関してはやや消極的と思われます。258pのパス図をみると、規制知識を普及させることで、屋外広告物規制についての市民の理解を深めることは可能かもしれません。

 

 このように本書は屋外広告物規制を取り扱ったものですが、本書で見いだされた知見は他の政策分野でも応用可能なものが多いと思います。また、「組織の動かし方」を考える本にもなっていると思います。

 ですから、本書はさまざまな立場の人にとって「ためになる」本だと思います。屋外広告物規制や景観保全に関わらず、何か自治体に実行してもらいたい政策がある人、あるいは自治体の内部にいて実効的な政策が行われないことに苛立ってる人などは、本書を読むと何かヒントを得られるかもしれません。