『スパイの妻 劇場版』

 冒頭の蒼井優の初登場シーンは本当に見事で、戦前の神戸の街の撮り方も加わって、最初は素晴らしく格調の高い映画だと感じましたが、途中からB級映画的なテイストも加わってくるのが黒沢清ならではですね。

 

 蒼井優演じる聡子は貿易商を営む福原優作(高橋一生)の妻で、日中戦争のさなかの1940年であっても非常に裕福な暮らしを送っています。優作は映画好きで西洋的な暮らしに親しんでいる人物で、夫婦仲も良好です。

 ところが、優作が甥の文雄と満州に行って帰ってきて以来、優作の様子がおかしくなり、優作と聡子のかつてからの知り合いである東出昌大演じる憲兵隊の隊長(これがまたハマり役)も優作の身辺を探っていることを知ります。

 

 最初は受け身の聡子ですが、背景に女性の影を感じてから能動的に動き出します。このやや過剰とも言える行動を蒼井優が見事に演じています。夫の秘密を追う姿勢は次第に狂気と言っていい感じにもなってくるのですが、この加速具合が見事です。 

 そして、「家庭の幸福」(太宰治が諸悪の根源と言ったもの)とそれを守るためには世間に従うべきだという聡子の考えと、自らの「コスモポリタン」だという優作の考えが激突するシーンがあるのですが、ここもまた見事。政治哲学とかの授業でも見せてもいいかもしれません。

 

 ただ、ずっと高尚な歴史ドラマが続くかというとそうでもなくて、聡子の見る夢とかはB級テイストですし、妙なホラーテイストが入ったりしますし、憲兵隊本部の考証のいい加減さとかもきっと確信犯的なのだと思いますが、歴史ドラマから意図的に距離をとっているようなところもあります。

 おそらく、もっと隙のない作品にすることもできるのでしょうけど、そこであえて映画的な絵面の面白さをとっているところが黒沢清ならではなんだと思います。ちょっと、ブライアン・デ・パルマとかを思い出しました。

 

 もっとも、この映画は濱口竜介と野原位の脚本も良くできていて、黒沢清の作品にたまに見られる「ルーズすぎ」な感じを上手く回避しています。

 「だれが狂ってるのか?」ということを常に問い続けるような脚本になっており、画面だけでなくストーリーでも最後まで緊迫感をもたせます。

 先程述べた憲兵隊の本部のシーンをはじめとして少し変なところもあるのですが、それも含めてザ・黒沢清ワールドを堪能できる作品ですね。